第24話

 幸子は自分が人魚の子孫だと聞いた時、信じていなかったが信じないこともなかった。真実だろうが嘘だろうが、幸子には関係がなかった。自身に尾でもあれば素直に信じていたかもしれないが、そんなものはなかった。

 人魚の話は親が信じており、幸子が二人姉妹の姉だということもあって、結婚は婿をとった。跡取りという程のものではないが、人魚の血筋を絶やさないようにと、何時の時代も婿をとっていた。旦那は婿入りに反対することなく、幸せな家庭を築けた。

 ただ、娘はそういかなかった。代々女家系であるため、幸子の子どもも娘しか生まれなかった。それも、一人娘だ。その一人娘が幸子同様に、旦那となる男に婿入りをお願いした。だが結婚して数年経つと娘の旦那は外で愛人をつくり、家を出て行った。幸子の娘は絶望し、蒸発した。残されたのは幸子の孫の一華のみだった。


 幸いにも金銭面で困ることはなく、一華に我慢を強いることなく育てることができたと自負している。

 人魚の末裔とは言うものの、血は薄くなっているのでただの人間である。いつまでも人魚に拘らなくても良いと思うが、生を受けた以上、先祖からの受け継ぎは後世にもしなくてはならない。その思いで一華にも伝えた。高校生になった一華は半信半疑で、当然の反応だった。自分も昔はそうだったからだ。


 幸子が人魚の話を信じ始めたのは、人生の折り返し地点に立ったときだった。

 家の固定電話が鳴った。あの時のことは今でも覚えている。


「珠代と申します」


 受話器越しに聞こえた声は、今にも死に行く者のそれだった。

 九十代の女性が病室で電話をかけているかのようで、知り合いではないが細心の注意を払い、刺激しないよう会話を進めた。。


 受話器越しに震える声を気にしながらも話が展開していくと、珠代と名乗る老婆は魔女の子孫だった。

 魔女の血は途絶えていなかったのか、と驚愕したが、それ以上に警戒心を強めた。魔女が今更、何の用だ。


「用という用はないのですが、一度話をしてみたかったのです。貴女が人魚の血を持つことは随分と前から知っておりました。わたくしの個人的な感情で、人を雇い調べたのです。不快にさせてしまったらごめんなさい」

「話をしたかっというのは、どういう意味でしょう」

「そのままの意味です。どんな人なのか、どこに住んでいるのか、興味があったという言い方は失礼でしょうか。同じ御伽噺に出てくる者の子孫は今、何を感じ、どう生きているのか、個人的に関心があったのです」


 敵意は感じなかった。それでも心を開けないのは、きっと電話の相手が魔女であるから。魔女の力は消えていないのかもしれない。

 そんな幸子の心情を理解しているかのように、「魔女の力はありますよ」と震える声で断言した。

 無意識に息を止める。


「けれどそれは、随分と変わってしまった。血が薄れると色々と変わってしまうものですね。ただ一つ、魔女の力は残っています。もし貴女がわたくしたちの持つ魔女の力が必要になれば、いつでもお声をかけてください。出来る限りお力になれたらと思います」

「何故、こんな話を?」

「何故でしょう。今まで先祖が貴女方と連絡を取り合っていないことが、わたくしには不思議ですが、気持ちが分からないわけではありません。それでもわたくしは、貴女と話したかったのです。わたくしはもう長くはありませんし、恐らくわたくしの孫の代で血は途絶えるでしょう」

「孫の代で?」

「年を重ねるとすべてが衰えますが、勘だけは鋭くなるものですね。きっとあの子は結婚をせず、子どもを産むこともないでしょう。魔女の血が絶えようとしている、そう思うと最後に貴女と話をしたかったのです」


 年を重ねると勘が鋭くなる。それは幸子も同じだった。人を見る数が増えるからか、若い頃よりも今の方が鋭く人を観察できる。

 魔女の力が終わると聞き、少しだけ警戒心を解く。

 受話器を握り直し、顔も分からない老婆に尋ねる。


「今、貴女方はどこに住んでいるのです?」


 現代の固定電話で相手の電話番号を控えることができる。しかし、表示されているこの番号は自宅の固定電話かもしれないし病院からかけているのかもしれない。

 住んでいるところさえ分かれば、いつでも会える。


「わたくしは長くなく、残された時間は一か月しかありません。わたくしより、孫を頼るといいでしょう。孫はまだ若いですが、力はありますよ。しかし、若い故にあちこち住居を移すでしょう。心配は要りません、将来は甲斐丁村に住むよう言ってありますから」

「甲斐丁村と言えば、確か人魚の化石が見つかったという村では?」

「えぇ、そうです。村の名前を忘れても、そのことは忘れないでしょう。人魚の化石が発見された村。魔女の力を求めるならば、そうですね、約二十年後に甲斐丁村を訪れてください」


 二十年後とは随分と長い。

 しかし珠代や珠代の孫にも都合があるので仕方ない。それに、魔女の力を頼ることはないかもしれない。けれど念のため、その村の名前をメモ用紙に書き込む。甲斐丁村と書いた下には珠代の名前も書き記す。


「二十年後とはかなり先の話ですね。失礼ですが、娘さんは?」

「娘はおりません。十三年前に他界しましたから。わたくしがあの世へ行けば、残された魔女は孫一人となります」


 幸子は自分の娘が死んでいるのか生きているのか分からないが、今ではこの世にいないものだと思うことにした。

 娘がいないと寂しく思う日が多々あったが、残された孫に娘の分まで愛を注いだ。この魔女も、そうだったのだろうか。


「そうですか。お孫さんの名前を伺ってもよろしいですか?」

「奈世と言います」


 幸子はメモ用紙に書いた珠代の字の下に、奈世と新たに書き込んだ。

 人魚の子孫に関心があったと言っていたが、幸子の生い立ちを聞くわけでもなく近況を聞くわけでもなく、魔女に関する話を一方的にした後、挨拶を交わして電話は終了した。




 この出来事は一度も忘れたことはない。


 古いメモ用紙を箱から取り出すと、あの時書いた「甲斐丁村」「珠代」「奈世」の字が残っている。紙は黄ばんでいるが、文字は未だ読むことができる。

 一華には魔女の居場所を風の噂で聞いたと嘘を吐いた。本当のことは言いたくなかった。できれば、魔女に関わらないでほしかったからだ。


 固定電話が鳴った。

 立ち上がって固定電話の表示を見ると、一華からだった。

 気持ちを落ち着かせてから受話器を取る。


「はい」

「おばあちゃん、聞きたいことがあるんだけど」


 自分のエゴで孫を縛り付けたくはない。未成年といえど幼い子どもではないのだから、本人が望むならどのような結果になっても、自分が口出しするようなことではない。

 一華の話を聞いて、返答をする。自分が持つ魔女の情報をすべて晒しはしない。真実だけを言うが、大部分は隠す。

このまま魔女探しは諦めて帰ってくればいい。

そんな親心はあるが、嘘を吐いて一華を欺こうとしないのは、必死になる一華の背中を押してやりたいからだ。孫の力になりたい。その思いが強かったからだ。

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