第6話

 翔真が車と衝突して、入院することになった。

 原因は、自分だった。


 事故の後はよく覚えていない。

 ただ茫然と立ち尽くし、目の前の信号機を見つめていた。

 麗奈と流星が傍に来て、それから何かを言われた気がする。

 時間が経つと救急車やパトカーの音がしていた。

 流星は気づけばいなくなっていて、麗奈だけが傍にいた。麗奈と手を繋いで家に帰ったことは記憶にある。


 麗奈は祖母と話をしていた。

 何を話していたかは知らない。三人でテーブルを囲んでいたけれど、話していたのは二人だけ。

 祖母に何かを聞かれたような気がするが、上の空で何と返事をしたのか覚えていない。


 二人が話し終えると祖母は家を出て行った。どこへ行ったかは知らない。

 祖母がいない間、ずっと麗奈が隣にいた気がする。

 途中で麗奈がおにぎりを作ってくれた。差し出されたので、取り敢えず食べた。中身は多分梅だった。いや、昆布だったかもしれない。


 祖母が帰ってくると、麗奈が帰って行った。

 祖母は何かを言うわけでもなく、ただ一言「お風呂に入りなさい」と言っていた。それは何故かしっかりと覚えている。


 湯を張った浴槽に浸かると、今日の事を思い出した。

 振り返った自分。傍にあった翔真の顔。放り投げられて叩きつけられた身体。耳障りなブレーキ音。翔真に衝突する黒い車。吹っ飛ばされる翔真の身体。ボールのように転がり、コンクリートの壁にぶつかる翔真の足。倒れ込む翔真の姿。信号が青に変わる際のカッコーの音。翔真に集まる人の群れ。救急車とパトカーのサイレン。


 あぁ、そうだ。

 翔真に守られ擦り傷ができた自分と、車に衝突した翔真。

 そうだった、翔真に守られたから、今、湯に浸かっている。


 途端に呼吸が荒くなり、目から湯ではないものが垂れ流れる。

 ひゅーひゅーと喉の奥から虫が鳴くように空気が出る。


「うぇっ」


 何かを吐き出しそうになる。

 何も出ない。


「翔真、翔真、翔真、翔真」


 どうしよう。

 今、翔真は生きているのだろうか。

 死んでしまったらどうしよう。

 このまま一生会えなかったらどうしよう。

 どうしてあの時走ってしまったんだろう。どうしてあの時許さなかったんだろう。どうしてあの時前を見なかったんだろう。どうしてあの時意地を張ったんだろう。どうしてあの時、どうして。


「う、え、おぇ」


 流星はきっと、翔真と一緒に救急車に乗ったのだろう。

 呆然と立ち尽くす友達を麗奈は放っておくことができず、家まで送ってくれたのだ。

 祖母はきっと、翔真のいる病院へ行ったのだろう。

 自分だけ何もせず、ただ温かい湯の中にいる。

 翔真を心配して救急車に同乗することをしなかった。救急車に乗ってどこへ行ったかなんて、今まで考えもしなかった。

 思考を放棄し、ロボットのように体だけ動いていた。湯によって壊れたロボットは、思い出した。


「うわああああああん」


 子どものように泣いた。

 浴室に響く泣き声は、台所にいる祖母まで届かないだろう。

 無駄に広い家がこの時ばかりは都合良かった。


 最悪の結末ばかりが頭を過り、涙は次から次へとあふれ出る。

 三人に合わせる顔がない。


 好きな人を自分が殺してしまうかもしれない。

 好きな人と二度と会えないかもしれない。

 その恐怖に勝つことができず、見えない明日に怯える。


 車と衝突した人間はどれくらいの割合で死んでいるのだろう。


 頭の中はパニックだった。

 何故あの時轢かれたのが自分ではなかったのだろう。

 前を向いていたら、目の前にある信号機が赤く光っていることに気付いたはずだ。

 きっと今も、翔真は苦しい思いをしているに違いない。

 そんな時に、自分は湯の中で寛いでいる。


 浴槽から抜け出し、シャワーを浴びようと手に取った。

 温度は四十度にしてしてあったが、一番冷たい温度に設定する。

 冷たい水を頭から浴び、寒さに震える。

 こんなもの、なんてことはない。

 翔真に比べたら、冷たい水を浴びるくらいなんてことはない。


 自分でも何故こんな奇行に走ったのか分からない。

 ただ、自分が無事でいることが納得できなかった。

 何かしないと、気が済まなかった。


 浴室に入って二時間近くなった頃、祖母によって奇行から解放された。

 呆れた祖母の言葉と表情は鋭く胸を突いた。


 翌日の日曜日、翔真と映画館へ行く予定だった日、当然と言うべきか風邪をひいて寝込んだ。

 麗奈が様子を見に来てくれたようだが、合わせる顔はなく、部屋には入らせなかった。

 祖母は幾度か部屋に入り、食事や着替えの世話をしてくれた。

 お互い終始無言だった。

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