道の駅みつ

 ひたすら市街地走行と格闘しながら市川を越え、夢前川を越え、ついに揖保川だ。揖保川を越えるとすぐに中川を越えるのだけど、中川は揖保川の河口部の支流のようなもので、かつては三角州だった気がする。でもって中川を越えるとついに龍野だ。


「はりまシーサイドロードに入ります」


 そうなるそうだけど市街地走行で海なんか見えないぞ。それどころか山に突き進んでる気がする。それでも市街地は終わって行く見たいで、


「海が見えます」


 やっとかよ。でも海が見えるとなぜかテンション上がるな。


「道の駅みつで少し早いですが昼食にします」


 賛成。途中でコンビニ休憩は取ったけど、昼食休憩が欲しいよ。あそこみたいだな。来てみてわかったけど、はりまシーサイドロードの起点をこの道の駅にする気持ちが分かったかな。厳密には道の駅の手前からシーサイドロードになってるけど、ランドマーク的にはここにしたいもの。


「この先で七曲りになるのもあります」


 クルマも多いけどバイクも集まってるな。バイク乗りは海沿いの道が好きだものな。ボクもそうだ。この辺に停めさせてもらって、なるほどこうなってるのか。道路から見たら平屋に屋上テラスだけに見えるけど、道路の下に浜まで建物が続いてるようだ、さて昼飯だけど、夕食も牡蠣のはずだから穴子のひつまぶしにしておこうか。


「牡蠣スペシャル」

「わたしも」


 お前らな。


「ここまで来て牡蠣を食べないのは大罪です」

「昼も夜も牡蠣なんて最高」


 美玖が牡蠣好きなのは知ってるけど流花もそうなのか、だからここまでツーリングに来たんだろうけどな。それにしてもスペシャルなだけあって、牡蠣のオイル漬け、牡蠣の佃煮、牡蠣の酒蒸し、蒸し牡蠣レモン、牡蠣フライに牡蠣釜飯、


「美玖は土手鍋」

「流花は豆乳鍋」


 どれだけ牡蠣食べるんだよ。まあ、いっか、本人が食べたいんだもの。ここで流花が不安そうに、


「七曲りってだいじょうぶでしょうか。岩谷峠では死にそうになりました」


 立杭ツーリングの時か。あそこよりマシのはずだよ。あそこは初見ではちょっと怖いとは思う。けっこうな急カーブもあるし、峠道の登りもそれなりにキツイからな。


「登りも苦労しましたが、下りが怖かったこと」


 下りの峠道ってそんなもんだ。登りに関してはモンキーの非力さに尽きる。ああいう登りでギアを上手く使って走るのが楽しいと言えば楽しいけど、苦労させられると言えば苦労させられる。


 七曲りはボクも初めてだけど、アップダウンはあるだろうけどあそこまでの登りや下りはないだろうし、ワインディングも多いみたいだけど、ヘアピンまでは無いと思うよ。そんだけ牡蠣食べたから頑張ってくれ。


「室津はパスにします」


 時間の関係から仕方がないだろ。ここは御津だけど室津から地名だと思う。室津はとにかく古い港で、伝承では神武天皇の東征に際し、先遣隊が港を開いたとあるぐらいなんだ。文献上では奈良時代に行基の播摂五泊に上げられてるぐらい。


 室津の全盛期はやはり江戸時代だと思う。参勤交代が始まると西国大名は海路で室津を目指したとされている。室津で上陸して西国街道から江戸を目指したんだろうな。


「兵庫津じゃなく室津だったのは?」


 明石海峡が難所だったからとされてるかな。潮流が速いから難破する船も多かったそうだ。


「江戸期も航海技術は上がっています」


 北前船で北海道まで行くようになったぐらいだもの。北前の海に比べると瀬戸内は穏やかだけど、兵庫津にも問題はあったらしい。兵庫津は海岸線の関係で東西じゃなく南北に港がある。


 兵庫津の欠点は東南からの風に弱い事で、これが強いと吹き曝し状態になったそうなんだ。そのために、


「清盛が経ヶ島を築いています」


 防波堤みたいなものだったはずだけど、あの時代にそれだけの大工事が必要なぐらいの弱点があったと言えるだろ。さらに西から来ると和田岬を回る必要があるのだけど、これは明治になっても難所だったんだ。


「兵庫運河がそのために開削されています」


 大名行列はお殿様もいるから、リスクのある兵庫津を避けて室津から陸路にしたんだと思うよ。


「だから本陣が五つもあったのがわかります」


 あれは海路であるが故の特殊事情だと思う。大名行列の数だけなら東海道の方がもっと多いはずなんだ。大名行列は原則として同じ宿場に泊まらなかったそうだ。だから東海道は五十三次もあったと考えてる。


 だけど海路でそれは難しい。海路を支配するのは日和だ。航海に適した天候と、風を待つのが鉄則だ。そうなると大名も出発する港は違っても航海する日は同じになる。港だって陸路ほどあるわけじゃないからラッシュになる。


 さらに室津に着けば泊まらざるを得ないはずなんだ。だって船から陸路用の道具を下ろさないと大名行列を組みようがないもの。


「帰路はもっとです」


 たぶんな。室津に到着する日をずらしても、出航は日和次第だ。待つ日数が増えれば、大名行列の渋滞が起こる。これもその日にならないと出航できるかどうかなんてわからないから、荷物を積み込んで港に待機する以外にないはずだ。


「大名行列だけでなく商船も多数寄港したとなっていますが、後背地を考えると・・・」


 商船がどこに寄港するかはすべて船頭の判断だ。その判断基準は三つぐらいあったはずなんだ。まず一つ目は日和だ。危ないと感じれば即座に入港を判断しないと難破の憂き目に遭う。次はどこで商品を買い入れ、どこで売るかの判断だ。


「もう一つはなんですか」


 娯楽だ。船は男所帯だし、当時の船乗りの勤務は過酷だ。だから船頭も含めて娯楽を織り交ぜるのも重要だったぐらいのはずだ。


「当時の娯楽となると・・・」


 女だよ。室津は日本の遊女発祥の地と言われるぐらい古い歴史があって、なおかつ充実していたそうだ。船乗りたちは室津で遊女と遊べるのを楽しみに頑張っていたんじゃないかな。


 室津の衰えは明治になってからだ。幕府が無くなれば参勤交代もなくなる。さらに交通網が鉄路中心になっていく。それでも海路と言いたいところだけど、蒸気船のモータリゼーションが起こる。


「だから室津も兵庫津も衰えて神戸港の時代が来た」


 単純にはそんな感じで良いと思う。もっとも神戸港もだいぶ衰えたけどね。さて行くか。


「はい」

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