亜khびあゆいえ

香久山 ゆみ

亜khびあゆいえ

「学校に行きたくない」

 娘が言った。

 それで真っ先に思い浮かんだのは、いじめだ。けれど、いじめではないという。

 ただ頑なに行きたくないと首を振る。

 理由を言いなさい。でないと休ませるわけにはいかないよ。娘に目線を合わせて、なるべく追い詰めないようやさしく言う。娘は固く口を閉ざしたままだが、私だって譲るわけにはいかない。気の詰まるような沈黙が続く。子どもは苦手だ。この対峙方法が正しいのかどうかさえ分からない。早く夫が帰ってきてくれればいいのに。吐き出しそうになる溜息を堪えていると、根負けした娘がようやく口を開いた。

「へんなのがいるの……」

「変なの?」

 学校に変質者でも出たのかと、一瞬だけ脳裏を過ぎったが、すぐにぴんと来た。

「オシラセ様ね……」

 私が呟くと、娘ははっとしたように顔を上げた。私は今度こそ溜息を吐いた。クラスメイト数人と「ふだめぐり」で遊んだことを、娘はことば少なに白状した。底に沈めて蓋をしていたはずの記憶が蘇ってくる。頭が痛い。――いや、どうして私は忘れていたのだろうか。本当に、今の今まですっかり忘れていた。でなければ、いくら夫の転勤とはいえのこのことこの土地に帰ってきやしなかった。

「学校にお休みの連絡を入れるわね」

 ともあれ、相手がアレでは娘を学校へ送り出すわけにもいかない。

「そういえば、担任の先生って先月産休で交替されたわよね。今の先生って誰だっけ」

「右本先生」

 思わずばっと振り返る。

「ミギモト、サヤカ?」

 私の問いに娘が頷く。そうだろう、めずらしい苗字、彼女以外に出会ったことはない。背筋がぞぞぞと総毛立つ。震える指を抑えて小学校へダイヤルする。

 担任教諭に繋いでもらい、名乗ると、一瞬の間があった。

「……どうも、お久しぶり。小学校のあの時以来ね」

 けれど電話口の声は冷静だった。「ちょうどこちらからも連絡しようと思っていたのよ」右本先生は言う。クラスの半数から欠席連絡があり、学級閉鎖となるそうだ。「体調に問題ない子は、家でドリルの何ページをやっておいてください」当たり障りのない事務連絡。

「娘が、オシラセ様がいるっていうんだけど」

 思い切ってこちらから話題を振る。

「ええ。他の子もそれで休んでるからね。知ってる」

「でも、おかしいじゃない。あれは、私達が小学生の時に呪いを解いて、もう終わったはずでしょう。なのに、今更……」

「終わってないわ。あっちの世界に夏彦くんを置いてきたままだもの」

 熱の籠もらない口調で右本彩加が言う。

「……やっぱり、あなたでしょ。娘達にふだめぐりを教えたのは。あれは、私達の代で禁止になったはずだもの」

 それには答えず、彼女は続ける。

「コロナ禍で保護者同士の接点がないかもしれないけど、同じクラスに宇梶さんの子もいるのよ。結婚して姓は変わっているけれど。あなたは桜田くんと結婚して、わざわざあれから二十年のこのタイミングで帰ってきた。私だって、小学校教諭になんてなるつもりなかったのに……。終わってないのよ、まだ」

「……行くのは、私達なのね?」

 恐怖を感じるよりも、娘があれに参加しないですむことに幾分安堵している。親になったのだと、妙な実感が湧く。

「でなければ、代わりに子供達が呼ばれるだけよ」

「けど、五人揃えなきゃ」

 夫と宇梶さんを入れても四人だ。一人足りない。

「それは大丈夫」

「オシラセ様」と「ふだめぐり」という単語を知っていて、二十年前に夏彦くんをあっちの世界に置き去りにしたことも知っている人がいるらしい。

「そんな人……」いるわけない、と言い掛けた言葉を飲み込む。

 実際、先程から視線を感じているのだ。娘はすでに部屋に戻っている。視線はもっと別のところから感じる。二十年前あっちに行った時も異次元に迷い込んだ感覚だったから、別次元から参加者が紛れ込むこともあるだろう。そもそも、私達だって図書館で見つけた見慣れない本を「ふだめぐり」を知り、あれに参加することになったのだ。

「宇梶さんには私から連絡しておくわ」

「夫には私から言っておく。もう一人には」

「もうここまで話を聞いているからへいきでしょう。それではまた明晩」

 そう言って、右本彩加は電話を切った。
















 ――ねえ、そこのあなた。

 もう分かっているでしょう。おかしなタイトルの物語なんて開くものではないのよ。話は聞いたわね。明晩迎えに行きますから、よろしくお願いしますね。

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