七月二日 妖狐
アカツキの国を形成する大きな三つの島のうちがひとつ、
今回の敵将は狐の異形であり、特に狐火を飛ばす遠距離攻撃に長ける。遠距離攻撃は術の中でも難しいとされているのにも関わらず、数百もの炎を操り、的確に狙ってくるのだった。
対する鷹山陣営で、確実にその狐火を避けられるのは三名。
一人目、
二人目、
三人目、暁孝。彼の結界の展開速度なら確実に対応可能だ。また、先のふたりとは異なり、離れた他者を守ることもできる唯一の術師であった。
ゆえに、今回の戦いで彼は後方の天幕から感知結界及び結界術『桜』の広域展開をし、武士団の防御を一手に担っている。
「大丈夫か、トキ……」
「……大丈夫」
言う間にも暁孝の額からは嫌な汗が垂れる。
感知結界と志堂を介して受け取る鷹の視界の情報の処理を同時に行いつつ、目標の座標を決定して防御結界を張る、という作業を連続して行っているからか、暁孝の目は開いてはいるものの焦点を捉えてはいなかった。
「暁孝様、少しお休みになってください! ここは我々のみで」
「……いや、大丈夫だ」
盾隊と呼ばれる、暁孝が将を務める隊の者たちがそのように申し出るが、断る。彼らは隊の中ではかなり優秀な結界術師ではあるものの、彼らの展開速度では狐火の速さにかなわなかった。それを彼らも理解しているうえで申し出るほど暁孝の体はギリギリに見えた。
「……右翼の感知範囲を、任せてもいいか」
「は、はい!」
彼らの不安げな表情が目に入り、暁孝は防御結界ではない別の術を任せた。
数年の研究の成果として、最近ようやく感知領域の共有ができるようになった。もちろん擦り合わせに訓練は要するが、感知結界を大きく展開できることは妖との戦いを優位に進めるために重要であった。
それからさらに数刻。
志堂の鷹を通して暁孝はその瞬間を見る。
狐の異形の右手側から“鷹の矛”こと寧姫が距離を詰めた。薙刀は分厚く霊力を纏っており、触れれば瘴気を本体とする妖にとっては致命傷となりうる。彼はそれを避けるように退いた。
その瞬間、目にも留まらぬ速さで“鷹の翼”こと永信が詰め寄り、妖狐の急所を突き刺す。と同時に、寧姫の刃がその首を刎ねた。
「やったか……!」
志堂が呟くか否かの間に、緊張の糸が切れたように暁孝の身体から力が抜ける。それを部下たちが慌てて支えた。霊力も集中力もすでに限界を超え、もはや残心の余裕もなかった。
しかし。
鷹の視界に映るその死体が黒いモヤとなってゆらり、と消える。そして、視界が途切れて志堂は目を押さえた。鷹の眼が潰されたのだ。
「……幻術……!」
古から妖狐は人を欺くモノ。幻を操る術は狐の十八番だった。
「まだ余裕のあるものでもう一度結界領、域を……ッ」
地面に倒れる暁孝が、じわりじわりと目を見開く。刃を鮮血が伝う。
「心ノ臓は外したか」
先ほどまでいなかったはずの妖の異形が志堂の胸を貫いていた。
「しど……う」
乾ききった口から掠れた声が漏れ出た。
周りの者はあまりに濃い瘴気に当てられて動くことができない。ただ、貫かれた団長を見ているのみ。
「お、前……名は……?」
志堂がわずかに振り向きながら言う。
「言うわけないであろうよ。貴様の『魂縛り』が名前を知っていることが引き金であるのは知っておる……」
志堂はゴフッと湿った咳込みをする。それを見ながらも暁孝は霊力不足と疲労の蓄積で指ひとつ動かすことはできなかった。
突然、志堂は胸に刺さっている刀を掴んだ。そして、ヘラヘラと笑っていた妖狐の顔は凍りつく。小刻みに震え始めた。身体を動かそうとしているようだ。
「き、さま、な、ぜ?」
呂律の回らない様子で妖狐が尋ねる。それには答えず、志堂は悪役さながらの笑みを浮かべた。
「死なば諸共だ……一緒に死ねや……」
妖狐の体が頽れていく。それは異形の
そのとき。
空間が歪み、永信と寧姫が現れた。膨大な霊力を保有する寧姫のみに限られるが、術印を記した札により転移術『征鳥』は再現が可能であるという仮説は立っていた。普段なら成功を喜ぶ場面だが、現在そんな余裕はない。
「な……ッ」
「志堂……! おい治療霊術師はおらんのか!」
「皆もう少し前方に出ております!」
永信が舌打ちする。それをしても仕方がないことは彼とて分かっているが。
「何、この霊力の少なさ……志堂、一体何をしたんですか!」
寧姫が自身の霊力を分け与えながら尋ねるが返答はない。既に気を失っている。
「え、永信……!」
各所に指示を出している永信に暁孝が這って寄る。
「並の術師じゃ、もう志堂を助けられ、ない……! だから、
「なんでや! 治療霊術使えるやつは全員こっちに出てきとるやろうが!」
「ひとり、いる」
一拍ののち思い至る。
「まさか……」
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