幕間

幕間

 彼が目覚めるとロキと同じ顔をした男は、掴んでいたロキの首元から手を離す。そのせいでロキは、上半身が地面へと倒れそうになるのを寸前で耐えきり、まだこの状況に呑み込めないまま「君は誰だ」と声を絞り出す。

 その問いかけに、ロキの顔をした男はロキと目線を合わせるように座り込み、悪戯げな笑みを見せる。

 

「まだ分かんねぇの? ナリは分かってそうな感じだったぞ?」

「いいから答えろよ!」

 

 自分と同じ顔がヘラヘラとふざける姿が見るに耐えなかったのか、ロキはつい声を荒らげてしまう。そんな彼に男は「へいへい」と返し、ロキをまっすぐに見つめる。

 

「ロプトだよ」

「は?」


 聞いたことのある名に、ロキは固まる。だが。

 

「でもそれは仮の名だ。ボクの真名は……ロキ。君だ。君なんだよ」

 

 同じ顔をした男--ロプトはそう答えた。

 

「なんで……冗談キツイぜ」

 

 少しばかりの笑み。だが、かの邪神でも《もう一人の自分》の登場に内心は焦っている。それを隠すための歪な笑みだ。彼の言葉にロプトは、「冗談ならどれだけ良かったか」と赤い瞳に影を落とす。

 

「なぁ、ロキ。覚えているか? レムレスがどういった存在か」

 

 ロプトからの問いかけにロキはナリの件を思い出した。ナリを喰おうとした精霊エアリエル、彼女も内に産まれたレムレスを持っていた。その時、彼女はこう言っていた。


「レムレスは、そいつの後悔」

「あぁ。そうだ。後悔……いわば、負の感情が具現化したもの。憎しみ、悲しみ、苦しみ。この夜の世界に生まれたほとんどのレムレスは、そういった負の感情で構成され……積み重なった行き場のない感情を、この世界で生きている者達に向けているのさ」


 彷徨う亡霊について話したロプトは「……けれど、例外もある」と話を続ける。

 

「……それが、特別なレムレス」

「あぁ。風の精霊エアリエル、氷狼フェンリル、盲目の神ホズ。彼等は、この偽りの世界になってから、ある記憶を持ち合わせたレムレスと共に目醒めたんだ。そして……ボクも」

「……」

「ボクは君の、後悔で、復讐心で……記憶そのものだ」


 ロプトが自身の胸元をギュッと握るなか、ロキは切なげな彼の顔を、自分も同じような顔をしているんだろうかと、顔が苦しげに歪むのを感じながら彼に問う。

 

「記憶、ってなんだ?」

「……」

「ボクがこの空間に来るまでに、ある幸せな夢を見たんだ。ナリとナルがボクの子供で、シギュンが幸せそうに笑ってて、ホズはオーディンに拒絶されず、バルドルも幸せそうで……本当に、理想の幸せだと思った」

「……あぁ、そうだな。そうだと、良かったな……」


 ロプトの表情が、彼の黒髪のようにずんと暗くなっていく。その表情で、ロキは確信を持つ。

 

「そっか。君が持ってる記憶と、関係があるんだな」


 ロキの言葉に、ロプトはゆっくりと頷く。


「あぁ。彼女は……シギュンは、幸せな日常が永遠に続くことを願った。それが、君の見た夢さ。彼女の理想の幸せが詰まった、泡沫の夢の世界」

「……シギュンに、そんなこと」


 ロキは目線を地面へと伏せながら、シギュンの出会いを思い浮かべる。自身に似た、自分のことを多く語らない名も無き彼女。自身が、戒めを緩める者――シギュンと名付けた、笑顔の眩しい愛しい彼女のことを。

 そんな中、ロプトは「出来る」と強く言い放つ。その言葉に驚きながら、ロキは顔を上げた。

 

「彼女は……そういう力を持っている。感情は時に力になる。それが、彼女が過去を繰り返す力の源」


 ロプトは眉間に皺を寄せながら、拳をギュッと握る。

 

「けれど、この世界で永遠の幸せなんて叶えてはいけない。終焉という運命には逆らえないからな。それでも彼女は、自身が壊れかけていることも気づかずに、逆らって逆らって逆らって逆らい続けて……その結果が、この明けぬ夜と亡霊達。輪廻の軸から外れてしまった世界線だ」

 

 ロキは彼の説明を半ば受け入れながらも、「シギュン、どうして」と呟く、と。

 

「……思い出したいか?」

 

 ロプトがロキの頬に触れる。


「本当は、君自身で思い出して欲しかった。ナリとナルを。大切だと思う心を取り戻していったように……それでも、仕方がない」


 彼の創り出す靄がロキの身体を包みこんでいく。

 

「ロキ。ほんとうのボク。なんにも憶えていない空っぽのボク。あのクソッタレな終焉を受け入れて――」


 ロプトの赤い瞳が眩く光る。


「シギュンの希いねがいを壊してくれ」

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