4篇

14頁

 ナリがエアリエルと出会った、あの日以降。


「ナールー」

「……」


 ナルは、兄がどこかへ行ってしまわないよう、ガッチリと腰に手を回して離さない毎日を過ごしていた。

 

「おーい、俺の可愛い妹よー」

「……」


 可愛い妹は反応しない。

 

「今日こそ鍛錬させてくんないかなぁ? お兄ちゃん、身体鈍りすぎてしんどいんだが」

「……」


 妹ちゃんはそっぽを向いた!

 

「ガッハハハハ! お兄ちゃんが困ってるから離れましょうねぇ、ナルちゃん!」

「むっ!」

「あっ。トールさん、バルドルさん! おはよう!」


 兄妹の部屋に入ってきたバルドルとトール。トールに力づくで兄から離されたナルは、「おはようございます! 離してください!」と空中で愛らしくジタバタしている。


「すまない。ノックはしたんだけれど、返事がなかったものでね。勝手に入ってしまった」

「いえ。助かりましたよ。はじめは後ろめたさで受け入れてたけど……ほんと、動きたくてしかたなくって」


 ナリが手をわなわなと震えている姿を、トールとバルドルは互いに苦笑を見せる。


「まぁ、一週間も謹慎してたんだ。ナリ君を許してあげてもいいんじゃないかな、ナルさん」


 トールの大きな手で頭を撫でくりまわされている最中だったナルは、唸りながらも「……分かりました」と、小さく言った。


「ナル! ありがとう! じゃあ、早速ロキと――」

「そのロキならいないよ、ナリ君」

「えっ」

 

 二神の話を聞くに、はじめはロキに話があったようで彼の部屋に向かったようなのだが。目的の彼は、その部屋にはいなかったそうだ。既に兄妹の部屋に向かったのかもしれない、と二神はこちらの部屋にやってきて今に至る。

 ロキはどこに行ってしまったのか。兄妹も考えていると、ふとバルドルが「……シギュンさんを探しに行ったのか?」と呟いた。彼の口から出た初めて聞く名前に、ナルは反応してしまう。


「シギュン? それって、誰ですか?」

「あっ。えーっと」

「あらぁ。貴方達、ロキから聞いたことなかったの?」


 ナルに問われて戸惑いを見せるバルドルであったが、トールはそんな彼の様子を気にすることなく口を滑らせる。


「シギュンさんは、ロキの大切な人よ。でもね。この夜の世界になってからどこかへ行ってしまっててね……」


 トールの話を聞いた兄妹は、今までのロキの表情を思い返していた。ふと見せる哀愁の瞳。最高神との謁見後に見せた影を帯びた表情を。そんな兄妹の表情の変化に、バルドルは眉をひそめる。

 そこで、「そういえば!」とトールが更に口を滑らせた。


「貴方達って、彼女によく似てるわね。彼女も銀色の髪と瞳を持ってたのよ」


 その言葉に、兄妹は目を丸くさせる。ナリは「そう、なんだ」と顎に手をあてて顔をしかめてしまう。しかし、ナルの心情の変化はそれ以上だった。

  

「ロキさんの大切な人に……私達が、似てる」


 ナルの顔は、戸惑いと不信感でどんどんと曇っていく。

 

「? ナル?」


 妹の変化に気付いたナリ。声をかけようとしたその瞬間――外から轟音が鳴り響く。

 音は風を引き起こし、窓が迫ってきた強風によりビリビリと震える。兄妹が音に対して自身の耳を塞いでいる間、バルドルとトールは窓の外を平然と眺めている。そんな彼等と同じように、兄妹も目線を窓へと向けた。

 

「「――なにあれ!」」


 そこには、巨大な緋色の竜がいた。


 ◇


 ナル達は竜の元へと早足で辿り着く。それはゴツゴツとした緋色の鱗、睨まれれば一歩も動けないであろう蒼の瞳、全てを切り裂くであろう鋭い爪と牙、そしてこの空を飛び回るための大きな翼。存在感に圧倒されて一歩近づいてしまうと、鱗から発せられる熱気に兄妹は圧倒される。

 そんな竜の背中から颯爽と降りる者がいた。それは、彼等が探していたロキ本人であった。

 

「ロキ!」

「ん? うわ、なんで君達がここに」

「我達はファフニールがやってきた衝撃で来たのよ」


 トールが出した知り合いの名前に、兄妹は首を傾げる。それもそうだ。彼等が知っている彼は小人のおじさんであって、こんな大きな竜ではないのだから。

 

「バルドル様、トール様。ご機嫌麗しゅうございます。ナリ君、ナルちゃんもどーも」

 

 竜は、大きな図体を屈ませて、二神に頭を下げて挨拶をする。そして、兄妹にはその身体からは想像できないほどに柔らかな笑みで挨拶を向けてきた。

 

「えっ。本当にファフニールさんなんですか!」

「な、なんで? ファフニールさんは小人族だろ?」


 兄妹の驚き様に、ファフニールは「ハッハッハッ」と大きく笑ってみせる。

 

「そうじゃよ。まぁ……話せば長くなるんじゃが……。罰で、こういう力を持ってしまったんじゃよ」


 ファフニールの言葉には、ほんの少しの悲しみがまとわりついていた。それを感じとったナルは「……そう、なんですね」とそれ以上何かを聞こうとはしなかった。すると、彼はまた優しげな微笑みを見せる。


「それはそうと。ロキを奪ってすまんかったな。こいつに対価を払ってもらってたんじゃよ」

「対価ってなんだよ」

「あれ、言ってなかったっけ? 君のその剣の対価を払いに行ってたんだよ。炎の国まで」


 ナリの疑問に、ロキが彼の腰に差された剣へと指差す。

 銀の装飾と柄の部分にペリドットの宝石が埋め込まれた彼だけの剣。ナリはあの日以降ファフニールに頼んで、この宝石を使った自分の剣を作ってもらっていたのだ。彼女の願い通りに。その剣を作ってもらった時、ナリは御礼についてはぐらかされていたのだが。まさか本人ではなくロキが払わされていたとは思いもよらない事実である。

 

「そ、そうなのか。……ありがとう」

「いいよ。行かなくちゃいけないとは思ってたから、いい機会だったんだ」

「そんなこと言って。散々、駄々をこねとったではないか」


 ファフニールの発言に苛立ちを見せたロキは「うるせぇ」と、彼の固い鱗に向かって平手打ちをする。

 

「……。炎の国」


 バルドルがボソリと呟く。その小さな声にも関わらず、ロキは肩をびくつかせる。

 

「炎の巨人――スルトが統治している国。お父様でも、近づく事が出来ない国」

「バルドル様?」


 何かしら考え始めたバルドルにトールは声をかけるものの、彼はひたすらに目線を合わそうとしないロキを見つめる。

 

「ロキ。貴方は、あそこに行けるのか?」

「……。あー。眠いなぁボク。悪いけど帰るわ」


 バツの悪そうに、わざとらしく欠伸をしながら自室へと帰ろうとするロキ。

 

「えー! 俺との鍛錬は?」

「ちょっとだけ寝たらやってやるか――ぐぇ」

 

 ナリに足止めを食らった彼の首元を、ガシッとバルドルは掴んだ。彼の唐突な行動に、細い目でロキは睨みつける。


「は? なに?」

「言いたくないならそれでいいさ。それに、私は貴方に悪い事をしてしまったし。それでお互いを許そうじゃないか」

「だからなんだよ? 言いたいことはそれだけか?」

「……仕事だ、ロキ」


 半ば苛立ちを含ませながらロキが聞くと、バルドルはにこりと微笑む。

 

「君に会わせたい巨人族がいる。ーーアングルボザという者だ」


 バルドルの口から出た名前に、ロキは顔を歪める。

 

「やだ」

「拒否権はない」


 そんな子供のように駄々をこねるロキを、ただただナルは見つめていた。

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