第十四話 女王の憂鬱
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――side セシリア
「……ふう」
執務を終え部屋に戻り、午後の紅茶を楽しむ。普段政務に追われ息をつく暇もない私にとってこの時間は数少ない一日の楽しみの一つだ。ですが、今日は思わず口からため息が漏れてしまう。
「ふむ、珍しいですね陛下。貴女がため息を漏らすなど……」
思わず漏れたそれを、ウェネーフィカに指摘される。私は無意識に出てしまったはしたない行為を見られた事よりも、自らの内に溜まった鬱憤を発散する切っ掛けを得た事に喜んだ。
「解りますかウェネーフィカ様!」
「む、まあそこまで露骨に構って欲しそうなオーラを出されつつ、何度もこちらを凝視しながらのため息を吐かれては流石にのう……」
「流石は賢者ウェネーフィカ様ですわ。そのご慧眼、感服いたします」
「い、いや、そこまで露骨に話を聞いて欲しそうにされては誰でも……」
「聞いてくださいまし!」
「う、うむ……」
本来女王として、他者に弱味を見せる酔うな事は避けねばなりませんが、賢者ウェネーフィカ様の前で虚勢を張ったとて無意味な事。折角あちらから訪ねて下さったのですからこの機会に一つ、私の悩みを聞いていただく事といたしましょう。
「私を悩ませているのはズバリ、ナツメ様の事で御座います」
「……ほう、続けよ?」
どうやら私の話の内容がナツメ様の事と分かり、ウェネーフィカ様も興味を持たれた御様子。眼の色が明らかに変わりましたね。さもありなん、彼女はナツメ様ファンクラブ会員三号。
「この件に関しましては私、ウェネーフィカ様にも申し上げたい事が御座いますのよ?」
話を聞いていただくのに不躾であるとは重々承知しておりますが。私、先日の事は許せないのでございます。私が恨みがましく見つめると、ウェネーフィカ様はバツが悪そうに視線を反らす。どうやら私の言いたい事は既にお分かりの御様子。
「ふむ、ワシにも不満があるという事は……先日のテュッセ姉様との件かのう?」
「そうで御座います! まったく何を考えてあのような危険な勝負を! ナツメ様は女の子なのですよ?」
「そうは言うがのう。耳長の掟は陛下も知っておられよう? ナツメちゃんが意思を通すというのであれば、ああする他は無かったと思うがの? それ故、陛下も勝ち目は薄いと言うのに果敢に挑まれたので御座いましょう? 一国の王ともあろう御方が、無様に吹き飛ばされておられたでは御座いませぬか」
「私が行った程度の決闘であればまだ良いのです。いえ、あの程度の決闘でさえも、本来聖女であられるナツメ様にさせるような事では御座いません。それなのに、先日のあれは何ですか!? 殆ど死闘といって差し支えのないものではありませんか!」
先日の決闘、扉を開いた瞬間の衝撃は今も忘れられません。修練場の至る所に散らばる夥しい血痕、砕かれた石壁、剥がれ砕けた石畳。更には私も見た事がない様な魔力を纏われたテテュリセ・ティアテテュリ・イ・リティ=ティリア様のお姿。そして……
「あれほど執拗に痛め付けられたナツメ様のお姿を拝見した時は心臓が止まるかと思いました! ウェネーフィカ様もアオイ様もヒデヒコ様も何故あそこまでになるまえに止めてくださらなかったのか!」
あの時の。腕を折られ血を吐き顔中腫らせ、それでも尚立ち続け殴られ続ける姿を思い出しただけで私の胸が締め付けられる。テテュリセ・ティアテテュリ・イ・リティ=ティリア様をあそこまで本気にさせたナツメ様のお力にも驚きですが、あの時はそれどころではなかった。
「……まあそれがあそこに入る事を許される条件じゃったのだろう。ナツメちゃんはその可憐な容姿と心優しい振る舞いから勘違いをされがちではあるが、その本質は中々に壮烈じゃ。戦いの結果を他人に邪魔されれば決してその者を許さぬじゃろうて。勇者様方はそれを理解して必死に助けに入りそうになるのを堪えておったよ」
「……」
「まあ壮烈とは評しましたが、あの娘の行動の理由は利己的なものではありませぬし、そこは尊重しなくてはなりますまい。あの娘の事を慕うものには堪らぬ話ですがの。ワシも寿命が百年は縮んだ気分で御座いましたわ……」
「それは解っているけれど。心配なものは心配ですわ。あとウェニーフィカ様はお幾つまで生き長らえる御積りなのですか!?」
ナツメ様は女神マディスに選ばれた聖女様というだけあって、その慈愛の心と癒しの力、更にはその天上の物とすら思える美しさ全てを兼ね備えておられた素晴らしいお方。一度ナツメ様が一人湖畔に佇むお姿を目にした時は、女神そのものが降臨したのかと思った程で御座いますとも、ええ……
……だというのに。なんっっっで中身はあんなに暴れん坊なのでしょうね!
そりゃまだお若いですから、多少落ち着きがないのは仕方ないと思いますよ? ええ、私とて十代の頃はそれなりにコルテーゼに叱られも致しました。
ですがあの方の
先日も木に生った果実を取ろうと登攀したそうで、かなりの高所から足を滑らせて落下したとか。それを見たコルテーゼが泡を吹いて倒れたそうですね……他のメイドからも似たような報告を受けておりますし。笑いながら怪我は治せるから大丈夫などと言うナツメ様を、コルテーゼと二人で一晩中お説教したのは記憶に新しい。
「それにじゃ。今回の決闘も¨テュッセ姉様を助けたい¨という願いからの行動じゃからのう。あまり邪険にも出来ませぬよ。あの娘が無理をする時の行動原理は基本的に他者に対する博愛。無下にするのも憚られるのじゃ」
そういえって呵呵と笑うウェネーフィカ様。私はそれを白い目で眺めつつ再びため息をつく。まったく、笑い事ではありません。普段は過保護過ぎる程にナツメ様を甘やしますのに。変なところではナツメ様の危険を防ごうとなさらないのですね。
私は、いつかあの方が取り返しのつかない大怪我をされてしまうのではないかと、これほど気を揉んでおりますのに……私が過保護すぎるのでしょうか。
「……まあ、しばらくの間は謹慎していただき、淑女教育をみっちりしておりますから。多少は淑女としての振る舞いを覚えてくださると期待しましょうか」
「……なんじゃと? ナツメちゃんが大人しくそんな教育を受けておるのかの?」
「今回の大立回りのあとコルテーゼのお説教が効いたらしく、ここ数日は大人しくされておりますよ。教育係の者も皆、ナツメ様は見違えるように大人しくされていると誉めておりましたよ。これを機に真の淑女になっていただけると良いのですが……」
「ふむ……うーぬ? まあ、よいか。ところで話は少し変わるがの。他の御二方は最近どうなのじゃな? 勇者様と聖騎士様も訓練を進めておられるのじゃろう? ワシが教えておるのはナツメちゃんだけじゃからのう。残りの御二方の情報はいまいち入って来ぬのじゃ」
「アオイ様とヒデヒコ様に於かれては、歴代の異世界召喚者の中でも突出した才能を持っておられるかと。ヒデヒコ様は既に騎士団長と互角かそれ以上。アオイ様は単独でのバジリスク討伐に成功しておられますね」
あの御二人の戦闘のセンスは過去の転移者と比べても非常に高い。残されている書物や記録を辿ってみても、これほどの成長速度を見せた勇者様は稀だ。恐らく、あの二人は護る者が居るからこそ、力を欲しておられるのだろう。凄まじい成長速度を見せつつも、まだまだ伸びしろを感じさせる底知れない潜在能力も頼もしい御二人です。
「ふむ、流石は勇者様とその弟君と言ったところかのぅ……頼もしい限りじゃて」
「お強いだけでなく義侠心もお持ちですからね。まさに女神の使徒、素晴らしい方々だと思います」
「ふむ、勇者様のことは騎士団に任せておいて大丈夫そうですの」
「ええ、とても順調に力をつけてくださっていると思いますわ」
私の言葉に満足されたのか、ウェニーフィカ様は用意された茶菓子に手を伸ばし、少し冷めてしまった紅茶で口を潤した。
――しばらくお茶とお菓子を楽しまれたあと、ゆったりと背もたれに体重を預けると、不意に真剣な顔になり少し低くなった声を発する。
「ところで……陛下は。ナツメちゃんの事をどう思いますかの?」
「どうとは?」
質問の意味が分からない。それはナツメ様個人に対しての私の感情を訪ねておられるのだろうか?
「過去、女神から送り込まれた異世界人は勇者や戦士や聖騎士。中には魔術師などもおったが、法術を使うクラスでの転移者などは聞いた事もない」
「……そうですわね。確かに過去に例はございませんね。まあそれを言ったら一度に複数人が召喚された前例もほぼ無いのですけれど。ましてや勇者様の血縁にも無いナツメ様のような例は過去ありませんわ」
「まあ今まで聖女がおらなんだのは偶然かもしれぬが、それ故少し不安もある」
「不安……?」
「法術に関しては過去に異世界からの勇者様方に治癒術士がおられなかった為、上級法術と言うものがあまり伝わっておらぬ。この先、戦いが激化した時、ナツメちゃんの使える上級法術が少ないというのは懸念材料じゃ」
「そ、それは確かに……ですが」
「解っておるよ。それを踏まえた上で、ナツメちゃんは良くやっておる。本人は分かっておらんようじゃが、中級であるミドルヒールで瞬時に傷を塞いだり骨折を治したりしておるのは異常じゃ。普通は時間をかけてやっと出血が止まる、微細なヒビが入った程度の骨折であれば辛うじて治癒する。その程度の法術のはずじゃからのう」
「ウェネーフィカ様の奥伝とも言える秘奥の心得を当たり前のように扱えている異常性も、本人は解っておられないのでしょうね。本来であれば何年も師事し、その果てに辛うじて扱えるものですのに」
「あれにはワシも驚きを超えて呆れたわい。ナツメちゃんであれば中級法術までしか使えなくても大丈夫かもしれぬと一瞬思ってしまったほどじゃ」
「あれだけのお力。もしかすると、ナツメ様は歴代勇者様以上の宿命を背負われているのかもしれませんわね」
「ファファ、ソレはどうじゃろうかのう。まあ、治癒力は本人の慈愛の心や、他者を労り救いたいという心が強く影響すると言う。おそらくはあの娘の優しい心が大きく関係をしてるのじゃろうて」
確かにあの方の献身の精神は少々行き過ぎの感があるほどです。それが影響を及ぼしている可能性はありますね。
「あとは単純に魔術や法術と呼ばれる物に対しての親和性とセンスが高いのう。ナツメちゃんがジャストガードなどと呼んでいる
「
あのような危険な事、本当は止めていただきたいのですけれど。あの方はどういう訳か率先して戦闘に飛び込んでいってしまうのですよね。まるで戦闘狂のあの方のようです……
以前、庭先で石と木の棒を並べて唸っていらっしゃったので、何をしているのかと訪ねましたら「孤児院の男の子と今度探検に行くから武器を選んでいるんだ!」と満面の笑顔で答えられてしまい、何の事を言っているのか意味がわかりませんでした……ヒデヒコ様やウォルンタースが言うには、あれが男の子のロマンなのだとか。解せません。
孤児院で作ったというピカピカに磨かれた泥団子を自室に飾っていらしたのも私には理解できませんでしたが、あれも男の子的には宝物だったりするのでしょうか? 泥団子を見つめるナツメ様のキラキラの表情をみると、その辺りを尋ねるのがひどく無粋な行為な気がして聞けませんでした……
「ま、まあ、ここ最近は淑女教育の方も大分進んでおられるようですし、そう遠くない将来にはナツメ様の少年らしさも薄らいでいく事でしょう」
少しだけ寂しい気もしますが、そのほうがナツメ様の為ですからね。心を鬼にして、完璧な淑女を目指していただきましょう。
「……陛下、先程も少々気になったのですが。その教育、開始して今日で何日目ですかの?」
「え、そうですね……そろそろ二週間程になりますかね? こんなに真面目に淑女教育を受けてくださるなんて、ナツメ様も元々はこういったお淑やかな一面をしっかりと持ち合わせておられたという事なのでしょう。こんな事ならもっと早くに……」
「……で、今日はナツメちゃんの姿は見ましたかの?」
ん? なんでそのようなことを聞くのでしょう?? しかも私の言葉に被せてくるなんて。何をそんなに焦っているのかしら?
「そういえば今日は見ていないですね。と言いますか、今日はナツメ様のお姿を見に行こうと言う気すら起きなかったような……あら? そういえばナツメ様の今日のスケジュールは……あら?? あらら?」
不思議ですね? ナツメ様のことを思うと、なにか頭に霞がかかったような?
「ぬ、これは認識阻害の法術! さてはあの杖爺の仕業じゃな!? いかん、陛下。ナツメちゃんの元へ向かいますぞ! 恐らくナツメ様はこっそり城を抜け出すおつもりですじゃ!」
「え、え!? 何を言っているのですか? ナツメ様のお部屋でしたら、高層に御座いますし、入り口には騎士が控えております。抜け出せるような部屋ではありませんよ?」
「何を悠長な、しっかりなさいませ! よく考えてくだされ陛下、認識阻害を跳ね除けるのです。あの子ならば塔の最上階に幽閉されていようが窓から抜け出すに決まっとる。そも、あの娘が大人しく淑女教育なんぞ受ける訳がないでしょう! 二週間も大人しくしてたんじゃ、間違いなく脱出計画をたてておったに決まっとる!! ご丁寧に認識阻害術までかけておるんじゃ、十中八九既に部屋は藻抜けの空ですぞ!」
な、なんですって!?
ウェネーフィカ様の言葉に従いナツメ様の部屋へと向かう。手を引かれながら走っていると、徐々に頭の霧が晴れていくような感覚を味わった。言われてみれば確かに可怪しい、何故私はナツメ様が脱走しないなどと考えていたのか! あの方が大人しくしているという事に、何故違和感を感じなかったのか!?
やがてたどり着いたナツメ様の部屋の周囲には人気がなく、本来警護をしているはずの騎士の姿もない。嫌な予感を振り払い扉を開くとそこには、開け放たれた窓と主が不在の部屋が……
最悪の事態を想像し、青ざめながら階下を見るとそこにナツメ様の姿はなく。とりあえず落下はされていなかったことに安堵する。
変わりに視界に飛び込んできたのは、ご丁寧に外壁と同色に塗られ、壁の隙間に埋め込まれた鉄の杭。それが転々と階下の無人の部屋まで続いているのが見えた……
「な、な、な……」
「やはりこうなっておったか……」
「ナァツメェェェェ様ァァァァ!!」
どうしてあなた様はこんなにおてんば娘なのですかあ!
私の叫び声はむなしく晴天に飲み込まれていったのだった。
――side 棗
「へっくち!」
「魔女お姉ちゃん風邪なの?」
「違うよ、多分誰かが僕の噂をしてるんだ。きっと最近真面目にお勉強してたからその事かなー?」
「すごーい! じゃあお城に帰ったらご褒美もらえるのかな? 楽しみだね!!」
「そうだね、へっくち! へっくち!! うーん、これはたくさん噂されちゃってるぞ~エヘヘ。へっくち!」
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