第二十七話 大司教の願い
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室内に紅茶の香りが漂い、窓からは優しい光が差し込む。目の前にはニコニコとした柔らかい笑みを浮かべたシュットアプラー大司教。横に佇む
先日の大司教様の立ち振舞から、きっと今日は碌な事にならないだろうと意気込んで来たものの、どうにもこのお茶会に不穏な雰囲気は感じられない。僕の考えすぎだったんだろうか?
折角差し出されたお茶を飲まないのも失礼なので一口飲もうとすると、僕の手を優しく制して先輩が紅茶を口にした。あれ、何で飲ませてくれないの?
「……よいお茶ですね。流石は大司教様、私達の様な出どころも知れない山出しに対しても平等なご歓待、感謝申し上げます」
「いやいや、ご噂の勇者様方。しょれも我らが主神、マディス様が遣わされた御方。最大限の持て成しをするのは当然という事で御座いましゅよ」
二人はにこやかに「ふぁふぁふぁ」「うふふ」と笑い合う。なんだろう朗らかなワンシーンに見えるのに変な緊張感があるし、僕がお茶を飲もうとすると今度はグレコ隊長がやんわりと邪魔をする……なんで?
「なるほどなるほど、流石大司教様ともなりますと神の御使いには礼を尽くしてくださるものなのですね……その割には先日、うちの聖女棗には随分な事をされたと聞き及んでおりますが?」
そう言いながら先輩は笑みを浮かべたまま紅茶のカップをテーブルに置く。
……カチャ
……カチャカチャカチャ
んっ? カップを置いた音?
……カチャカチャカチャカチャ
……違う、この音は置かれたカップから鳴ってる音じゃない。金属のぶつかり合う音? その音は目の前の教会聖騎士の方から聞こえてくるような気がする。
「ふぉっ、勇者様。できればその辺で勘弁してもらえんかの。あれは儂の悪癖しゃ。それ程酷い無体を働くつもりは無かったのしゃが、そちらのお嬢さんがあまりに可憐であったからの。ついつい悪戯をしたくなってしまったのしゃよ。興が乗ってやりすぎてしまったから、今日はこうしてお詫びのお茶会にご招待したわけしゃな。聖女ナツメ様、あの時は本当に申し訳なかったのう」
「悪戯で騎士をけしかけて、そのまま攫おうとなさったと聞き及んでおりますが? とても冗談で済まされる状況では無かったと聞いております」
申し訳無さそうに謝罪する大司教様、でも先輩の怒りは収まってない様子。でも今日の大司教様はあの時とは全く違う雰囲気だし、もしかしたら本当に冗談だったのでは? でも先輩は全くそうは思ってないみたい。
「――あのときの騎士はまだ新人であったからの。儂の悪戯の意図を誤解してしまったのしゃ。全ては儂の不徳の致すところ。この通り謝罪しますゆえ、怒りの鉾を収めてはいただけませぬかな? もちろん後で聖女ナツメ様には改めて正式な謝罪もさせていただくつもりしゃ」
「……ふむ」
先輩の呟きとともに部屋の空気が気持ち軽くなる。聖騎士さんの震えも止まったらしく、もうカチャカチャ音は聞こえなくなっている。
「――いやはや恐ろしい御方しゃな、寿命が縮む思いしゃった」
「表情ひとつ変えずによく言うね」
「え、え……?」
なんだろう、僕にはよく解らなかったけど、今先輩がなにかしたのかな? って、よく見たらグレコ隊長も少し顔色が悪い。騎士団の皆さんに至ってはびっしょりと汗をかいている。え、え?何だか僕だけ気が付かなかったけど、先輩なにかやらかしてたの!?
「ふぉっ、顔色一つ変えていないのは聖女様も同様のようしゃが?」
「うーん、棗君は大物なのか鈍いのか。……締まらないね、どうにも」
「うぇっ!?」
「あの殺気の中、まったく動じないのは流石というかなんと言いますか」
あれあれあるれ? 何だかみんながジト目で僕を見ていた。特にグレコ隊長の表情が心に痛い。胸元に入ってる小さな相棒もプルプル震えて怯えながら僕を攻めるような目で見ている。マウス君、君までそんな目で僕をみるのかい!? つぶらで可愛いな!!
「と、とりあえず、大司教様。本日はどの様なご用事で私たちをお呼びになられたのかお尋ねしても宜しいでしょうか? 先程は謝罪のためと言っておられましたが、本当にご用件はそれだけなのですか?」
この視線が続くのは僕の立場が悪くなる予感がする。少し強引ではあるけど、別の流れに逸らす事にしよう。グレコ隊長の視線がちょっと痛いけど、間違った事ではないはずだ。
「ホホッ、そうしゃったそうしゃった、本日皆様に来ていただいたのは先日の謝罪もあったんしゃが、この聖都に迫る脅威をお伝えしたかったのしゃよ」
「脅威?」
「うむ、これは説明するよりも直に見ていただいたほうが宜しかろう。おぉい……あれを持ってきておくれ」
「ハッ!」
大司教様の指示で聖騎士が部屋の奥に下がっていく。どうやら僕の予想通り、大司教様は僕らに謝罪以外にも用があったらしい。よしよし、いい流れだぞ。
「これから見ていただく物は少し、刺激が強いかも知れぬので覚悟してくだしゃれ。特に聖女様」
「え……?」
「実は近頃、この聖都付近の森で失踪事件が多発しておっての。それの調査を自警団が行っておったようなのしゃが、数日後にその自警団も消息不明となってしまったために、
先程奥に下がった騎士が、ワゴンのようなものを押して戻ってきた。その上には秀彦からの手紙にも使われている映像記録用の宝珠の大きいものが乗っていた。
……今日あたり返事来てるかな? なんとなく映像の宝珠を見ていると、豪快に笑う
――いやいや、何を考えているんだ僕は、これじゃゴリラに会えないのが寂しいみたいじゃないか!
僕が頭を振って妄想を霧散させていると、どうやら記録の宝珠の準備が終わったらしい。大司教様は宝珠に手を翳すとと笑みを消した。
「少々心臓にわるいぞい……」
と、もう一度念をおす大司教。そんなに恐ろしい映像なんだろうか、ちょっとドキドキする。
翳された手から宝珠に魔力が注がれていくと、空中に
「これが件の事件調査に向かった我が
大司教の横に控えていた教会聖騎士の人が説明をしてくれた。なるほど確かに映像に写っている騎士達は一糸乱れぬ隊列を組んでおり、その所作から、良く訓練された騎士であることが伝わってくる。
「彼らはこの日、件の失踪事件の解明のために森へと赴きました。が……こちらをご覧ください」
彼らが森へ入った映像を最後に画面が切り替わった。そして画面は別の場所を映し出す。
「う……ぐ……」
次に映し出された酷い映像に、僕は危うく胃からこみ上げた物を吐き出しそうになった。だけど、こちらの世界に来てから僕だって安穏と過ごしてきたわけじゃない。先の魔王軍の襲撃に於いては何名もの死を追体験したりもした。今の僕はこんな映像で弱ったりなんかはしない。
――僕は、なんとか吐いたり倒れたりはせず映しだされた”それ”を直視することが出来た。もしこっちに来たばかりでこれを見てたら危ないところだったな。
「ふむっ、聖女様は見た目によらず肝が座っておられるようしゃな。結構結構。勇者殿も流石の胆力でしゅな」
「……悪趣味ですね大司教様。もし聖女棗に何かございましたら、私はマディス教だろうが、国であろうが決して許しませんよ?」
「……いやいや剣呑剣呑、すみませぬのう。先日の事もそうなしゃが、儂の冗談はいささか悪趣味らしくての。儂としては場を和ませようと思っておるのしゃが、中々どうして場が凍りつくことが多くて困る。良く聖女アグノスに叱られておるのしゃ。ふぁふぁふぁ」
映像には草むらのあちらこちらに、先程の騎士団が装備していた鎧兜が映されていた。地面にバラバラに放置されているそれらは
「一体、何があったのですか?」
「私が説明致します」
僕の問いに教会聖騎士さんが答えてくれた……この人名前何ていうんだろう?
「おそらくはコボルトによる襲撃かと思われます」
「コボルト?」
「はい、犬と人間の中間のような魔物でございます」
ふむ、人と犬の中間の魔物。人面犬のような感じか。
「なんでそのコボルトの仕業だと思われたのですか?」
「はい、理由は彼らの傷ですね。断面は食いちぎられたような歯型ですが、鎧などには鈍器による傷のようなものが残っています。これは牙で攻撃されたのではなく、鈍器などで殺された後に食われたのだと思われます」
「鈍器?犬なのに鈍器が使えるのですか?」
「はい、彼らは原始的な石器を作り、それを使用する程度の知能を持っています」
へぇ!? 人面犬が石器を? あ、ひょっとして二足歩行で手も人間なのかな。そうなると下半身が犬?
「そのため戦闘になればこの様な傷がつく事が多いのです。また、彼らには騎士の装備を外すほどの知能はありませんので、鎧やフルフェイスメットで守られている部分は食べ残されているわけです」
「なるほど、だからコボルトの仕業と断定されたのですね」
「……はい」
「私からも聞きたいのだけれど。コボルトというのはそんなに恐ろしい魔物なのかい? 彼らは騎士団の精鋭なのだろう?」
「いえ、アオイ様。コボルトは下級の魔物です、それ自体は大した脅威ではないはずです」
訝しむ葵先輩にグレコ隊長も続く。どうやら教会聖騎士がコボルトに遅れを取るのはおかしな話であるらしい。
「そう、ですね。本来であればコボルト如き、群れで襲ってきたとしても問題なく駆除出来たと思います。しかし、この遺体の周りを見てください」
彼らの遺体の周り、そこには広範囲に踏みしだかれたと思しき雑草が生えていた。そう言えばこの映像に映っている雑草は全て、何者かに踏みしだかれたように倒れている。そしてその範囲が異様に広い。
「……まさか
「いえ、状況からして恐らくコボルト単種の異常繁殖です。騎士サミィ・グレコ」
「馬鹿な!? 異常繁殖は森の食物連鎖や気候条件が揃ったときに起こる現象だ。この様な単一の種族で起こるような事ではない」
「しかし、それ以外この状況の説明がつかないのですよ」
良く分からないけど、コボルトが異常繁殖をして、それがここ最近の失踪事件の犯人らしいって事なのかな? でも、グレコ隊長は、それが不自然すぎると感じていると。そして大司教様が僕らを呼び出してそれを言うって事は、もしかして……
「それで、まさか大司教様は王都からの
どうやら大司教様が僕らを働かせようとしている事に気がついた先輩は、再び先程のような空気を纏い、大司教様をにらみつけた。そのせいで先程まで色々解説してくれていた教会聖騎士のお兄さんが、またカチャカチャ震えてる。どうやら先輩は、先程と同じかそれ以上に怒っているらしい。
「……魔王」
しかし突然低く凍るような声が部屋に響き渡った。僕は一瞬誰の声かもわからず、体を震わせたが、どうやら今の声は大司教様の声だったらしい。別に大きな声というわけではないけど、背筋が凍る様な通り方をする声だった。
「今回のこの件。魔王が絡んで居ると儂は確信しておる。コボルトは元々、魔物の尖兵として作られた魔王軍の家畜しゃ。魔王軍が関わっているのなら今回の異常繁殖も説明がつくというものしゃ」
静かに、しかしよく通る声でゆっくりと大司教が語る。小さなその体が少し大きく見えるようだ。そしてやはり僕の考えは間違っていなかったらしい。
「しかし、それは貴方の主観。所詮は勘の様なものに過ぎないでしょう?」
「確かにそれは否めぬよ。しゃが、勇者殿。貴女方らは魔王の陰謀を止めるのが使命なのではないのか? その魔王を関係があるかも知れない事件を見過ごされるのですかな?」
「私達はたしかに、女神マディスやセシリア王女の要請で魔王退治をすると約束をしているけど。別に貴方の指示に従う義理はないんだよ。確信もなく便利屋のように使われるのは実に不愉快だね」
「確かに儂が頼むのは筋違いかもしれぬがな。儂らの中でも精鋭を集めた分隊が全滅したんしゃ。もう儂らではこの事件を解決しようがないのしゃよ」
「大変だとは思うけど、それでもその調査は僕らの仕事ではないと思うね」
「……罪のない聖都の民が犠牲になるとしてもか?」
「私としても無辜の民が傷つくのは本意ではないけどね。しかし私は貴方を信用できない」
今まで見たこと無いほどの怒気を孕む先輩の声。角度的に顔は見えないけどどんな顔をしてるんだろう。
でも、先輩。困ってる人が居るのに助けてあげないなんて先輩らしくないよ。どうしちゃったの?
僕は今まで見た事のない先輩を目の当たりにして酷く不安を感じて手を伸ばした。
――しかし、僕の手が先輩の体に触れる前に、部屋の扉が大きく開かれる。
大きな音に驚いてそちらを見ると、そこには汗をかき、息を切らせた赤髪碧眼の青年が立っていた。
「ふむ、一体、何事ですかな? 団長どの」
「……リーデル団長?」
鎧を身に着けてはいないが、そこに現れたのは先日僕を捕らえたリーデル団長だった。団長はまず僕をみて周りを見渡した後、少し大きく息を吐いてから姿勢を正した。
「失礼いたします!教会聖騎士団団長リーデル、教皇猊下の命に従い馳せ参じました」
「なんしゃ、教皇猊下は儂になにか御用がお有りか?」
「いえ」
リーデル団長は大司教様から視線を外すと部屋の中に入ってずんずんと……ん、ずんずんと僕の方に向かって来た?
「ほぇっ!?」
僕の目の前まで来たリーデル団長は突然跪き、敬礼の形を取った。
え、え!? どういう状況かな?
「聖女ナツメ様、教皇猊下がお呼びでございます。よろしければ私と共にこれより大聖堂にご同行を願います」
「は、はぁ……」
んーと? この場合リーデル団長について行ってしまって良いのかな? 一応大司教様が先約だし、流石に失礼にあたってしまうのでは?
「シュットアプラー=デブラッツ大司教、よろしいでしょうか?」
「教皇猊下の思し召ししゃ、儂に否ないわぇ。それに大体の話はおわっておる。団長殿の為さりたいようになさるが良いそ」
大司教様は笑みを崩さずにリーデル団長にそう告げる。
「聖女様、儂の話、一応頭の片隅に留めてくだしゃれ。儂は聖都の民を助けたいだけなんしゃ」
「――私はその話は断ったつもりなんだけどね、ご理解いただけなかったかな、大司教様?」
「別に強制する訳ではないんしゃよ」
なんだろう、どうも皆いつもと違う。リーデルさんも先輩も。
「それでは大司教、私はこれで。さあお手をどうぞ、聖女ナツメ様」
「え、あ、はい!」
ん~~~!?
リーデル団長ってこんなキャラだったっけ!?
「あ、痛っ!」
リーデル団長は少し強めに僕の手を取ると、急ぎ大司教の部屋を後にする。当然手を握られて……いや、掴まれてる僕も、すごい速さで部屋から遠ざかって行く。
早いし痛いし、なんだか敬ってくれてる感じじゃないねこれ……て、言うか。何だか部屋を出た途端、急にリーデルさんらしくなってきたな。何だか安心したけどこの扱いはちょっと酷い。
「痛いです! リーデル団長、離してください!」
「……」
僕の抗議に強く握りすぎていたことを理解してくれたのか、リーデル団長の手が緩む。しかし、その直後僕の方を振り向いた彼の顔を見た瞬間僕の口からは思わず悲鳴が漏れた。鬼だ鬼がいる。
「あ、あの……なんか怒ってます?」
「……別に怒ってなどいない!!」
……嘘だぁ。
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