ステップ1・ビターな男

第10話



AM7:45


おろしたばかりのネイビーのパンプスを威勢よく鳴らして会社近くの駐車場にたどり着く。

男と別れたら新しい靴をおろすのがあたしのマイルール。Diorを捨てたのは正直痛いけれど、JIMMY CHOOが履けと言っていたに違いない。そういうことにしておこう。


手首の華奢な腕時計を確認する、そろそろだ。


あたしの心の声を聞いていたのか、空気を振動させるエンジンの音が聞こえた。白い大きな四駆があたしを横切れば、重厚音が気怠い下半身に響く。


あたしの気も知らないで、いや、予想しているのか、颯爽と車からおりるのは朝から爽やかな男性。年齢よりもずっと若々しくて、とてもじゃないけれど、孫がいるようには見えないその人は「おはよ。早いな」と、白い歯を見せる。


相反してにこりとも出来ないあたしは、いつもなら、今日も素敵です〜。とすぐに猫を飼うのだけど、そんな気分にもなれずに口を結ぶ。


「色々とお話聞きたくて」


わざとらしくハートを語尾にくっつけると「朝帰りでは、なさそうじゃん?」とあたしの服を指さす。

朝帰りって、なんでそこまで見抜く!?と一瞬怯んでみるけれど、あの男は表面に痕をひとつも残さなかったし、服も着替えているからバレないはず。粗方専務がカマをかけただけだろう。


……まさか、本性知ってます?この疑問も聞きたいけれど、諸刃の剣だ。自ら粗相を白状することに繋がる。とぼければいいのだけど、生憎そこまで元気がない。



「言いたいことは分かるよ、小鳥遊のこと、な?」


「もちろん、それ以外に無いです」


同じ歩幅で、会社までの短い道のりを歩きはじめる。すると、専務は案外、すんなりと種明かしを始めた。


「昔っから小鳥遊とは知り合いなんだよ。まあ、あの部屋みて分かったと思うけど、あいつ、生活力がゼロな、ゼロ。1人じゃ生きれねぇの。こりゃやばいと息子の堕落ぶりに危機感を覚えた母親が、荒治療でもいいからって、春からひとり暮らしさせたわけ」


「…てことは、ひとり暮らし歴は四ヶ月目ってことですか」


「そ。ただ、父親の方がウンザリするほど過保護でさぁ?息子からウザがられてるからって、俺に頼むんだよ、棗の様子見ろって。で、俺も忙しいわけじゃん?プライベートの時間をなんで他人の子守りに使わなきゃいけないわけ?ってなるじゃん?」


「で、白羽の矢が立ったのが、あたしって訳ですか」


自分の顔目掛けて指刺せば、パチンと指を鳴らした専務は「そゆこと」と頷く。


いや、どういうことだよ。


自社ビルへたどり着けば、専務は煌びやかなエントランスの脇にある、シックな仕切りへ向かうので自ずとそちらへ歩いていく。


「ま、たまにでいいから、あいつの面倒頼むわ」


そう言って、専務は煙草を口に咥え、細い煙を吐き出す。ワンテンポ遅れて、華奢な煙草に火を灯した。


「そうは言うけど、あたしだって忙しいんです。おかげで彼氏と別れたんですよ!?」


憎まれ口を叩けば「いや、フラれそうだったじゃん」さらりとその口は告げるので「は!?」と呆気にとられ、灰を落としかける。


「いや、超順調で、」


「まあ、棗が独り立ち出来るようになったら、良い男紹介してやるって」


「〜〜っ、聞きましたからね!?芸能関係者でお願いしますよ!?」


「息子の周りクズしかいねーって話だけど〜。じゃ、あとで」


そう言い残すと専務は灰皿へ吸殻を落とし、喫煙室を出ていくので「お疲れ様です」と見送る。


怪我の功名ってやつか。とにかくあの男をどうにかすれば良いってやつね。


脳内方針を決めて、再び煙草を口に咥え、スマホに"生活力向上計画"などというよく分からない単語を打ち込んでいれば、再び喫煙室の自動扉が開いた。

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