令嬢セリスの相談室

「本当にこんなところで? 王城の敷地内の方が……」

 

 ラデンベルグの首都、トリステルテの中心街から少し離れた建設中の屋敷の前で宰相がセリスとヘリヤに確認する。

 あれから一週間、セリスは精力的に動き始めた。

 距離や視界をラーズグリーズの千里眼を調整して本来の視界に近づけ、触れる物の感触や匂いをヘリヤとの共有に慣れる為に、そこら中のものをペタペタと触ったりいじる毎日に加えて……。


『城の敷地内に作ったら門番さんが大変ですから』


 紅いドレスに身を包む首無しの令嬢、セリスがひらりと手を開いて上に向けるとその先に虚空に光る文字が浮かぶ。その文字は読みやすく、柔らかい字体で魔王城からセリスの言葉をリアルタイムで紡いでいた。


「しかし……」


 難色を示しながら宰相はその文字を読む。


「ご安心ください宰相様、セリ様の護衛には私……ヘリヤが居りますゆえ」

「いえ、ヘリヤ殿の力を疑ってはおりません。しかし、御存知の通りまだこの国はできて5年……恥ずかしながら流れ者や魔物などの不法侵入を完全に防げるほどに整っておりません……」

『大丈夫ですよ。それに……私とヘリヤの二人で住むには広いくらいですし、1階の応接間も狭すぎず広すぎず……ここが良いんです』

「……そうですか。畏まりました……この屋敷はセリス様にご提供させていただきます」

『ありがとうございます!』


 セリスの要望、それは至ってシンプルだった。

 誰でも来れるような場所に小さな一軒家がほしい。


 そしてアイゼンはそれを承認する。


「いえ……我が国はこれくらいの事でしか報えず……申し訳ございません」


 あれから、幾度となくアイゼンは会議を繰り返した。

 当初は一旦白紙としてセリスを魔王城へ送る話が持ち上がる。しかしその本人がこのトリステルテに残ると言い出したのだ。


 もちろんアイゼンは頭を抱えた、あり得ないとは思いつつも死の令嬢が流石に勇者に仕返しをするのではと……。


 それを払拭する為にセリスは筆談よりもリアルタイムでやり取りができる記述の魔法をで創り上げる。


『そんな事はありませんよ。この国での相談所の開設を特例で認めてくださりましたし……わざわざこんなに良い屋敷まで』

「そうおっしゃっていただき、ありがとうございます」


 宰相は今回のために必死に駆けずり回り、むしろ貴族令嬢が住むには小さすぎて、緊急の宿代わりにしようかと思っていた物件をウキウキしながら決めるセリスに感覚が狂わされる毎日である。


「ではセリ様、次は家財道具を決めにいきましょう」


 手元のメモ帳に何かを書き記しながら、ヘリヤがセリスに告げた。


『ええ、宰相さん。ここまでありがとうございました……ヘリヤ、行きましょう』

「はい、セリ様。宰相閣下、ここまでの案内感謝いたします。セリス様の買い物がございますのでこれで失礼させていただきます……夕方6時までには城へ戻りますのでよろしくお願いいたします」

「わかりました、なるべく中心街の近くでお買い求めください。お気をつけて」


 待たせていた馬車に向かい宰相が二人から離れていく。

 セリスが手を振って送り出した後、ヘリヤが背負っていたバックから例のアレを取り出す。


「ではセリ様、頭を」

『ええ……もうちょっと軽いもので作れたら作り直したいわね。ふらふらするから』

「魔族領では石材や鉱物がメインですからね……その内軽い木材で作ってもらいましょうか」

『うん』


 綺麗に削り出された石像の頭……魔王城にあったセリスの石像からもぎ取ったものをちょこんと乗せて、大きめのストールを巻いて固定する。


「後はヴェールをかけて……と」


 魔物化したかいこから取った絹で織られたヴェールを乗せ、見た目にはただのお忍びでお出かけする令嬢。になったセリスを連れてヘリヤは事前に教えてもらった市場へ向かう。


「セリ様、視界はどうですか?」


 馬車で移動するつもりだったヘリヤだが、視界と感覚に慣れておきたいとセリスが徒歩での買い物を希望したのだ。


『大丈夫よ。まだちょっと遠近感が掴みづらいのですが』

「……この距離で感覚を繋いでその程度ですか」

『後は力が……』

「そりゃそうですよ、一体どれくらい距離が離れてると思ってるんですか……普通なら死んでしまわれるような状況ですよ?」

『お陰でこうして……風を感じられるわ。空も見える、草の匂いも……向こうで食べたものだってこっちに転送できるしね』


 少し頭がふらつきつつもくるりと回るセリスのドレスの裾が広がる。その様子は明らかに……ヘリヤの目にも楽しそうに映った。 

 一週間前にはこの世の終わりだとジダバタしては力尽きて突っ伏していた彼女が。


「いつか、ちゃんと頭を付けて……直に味わってくださいませ。私の共感覚の魔法では完璧ではありません」


 微笑みながらヘリヤはセリスの手を取る。

 そのいつか、は本当に長い年月がかかるだろう……確かにセリスの魔法のセンスは限りなく究極に近い。

 それでもまだ、魔眼の出力は一切制御できていなかった。


 まるで、呪いのように。


『ええ、そうね』


 なのにセリスはいつも笑っている。

 幸せだという。


 ――だから


「そうですよ」


 諦めない。

 ヘリヤはいつかきっとセリスが制御できると信じて、それまでの間の守り手で在るように、と。


『ふふ、ありがとう。さあ行きましょう、あまり遅くなるとアイゼン陛下も宰相さんも……ヘイズ様も困ってしまうわ』

「もう1回くらい困らせてしまえば良いのですよ。あの絶対魔族殺すマン……許すまじ」

『もう……ヘリヤったら、ヘイズ様もちゃんと誤解を解いてこれからまた関係を作れば良いのですわ。確かに私はお父様よりも強いかもしれませんけど……ほら、今なら』

「確かに人間の女性並みに力も出せないようですけど……その分気をつけてくださいね? 階段踏み外したり躓いて転んだら普通に怪我しますから」

『だいじょ……あわっ!?』


 ひらりと足元の石を飛び越えたセリスの足がずれる。

 ハイヒールを履いているのでちょっとした溝にも足を取られてしまうのだ……普段なら魔力で強化されたセリスの身体能力で揺らぐことがないはずだが、頭の重さもあってそのまま転んでしまう。


「言った傍から……大丈夫ですかセリ様」


 慌てて駆け寄るヘリヤよりも先に、セリスの腹部に差し込まれた手があった。

 

 ――ふわり


 しっかりとセリスの体重を支え、倒れるのを防いだのは一人の男性。


「大丈夫か?」 


 慌てた様子で首を支えるセリスはその姿が見えないものの、来ると思っていた痛みが来ないのと不思議な浮遊感で助かったことだけはわかった。


「こんなところで走ると転ぶぞ。まだ道の整備が終わってないんだ」

「すみません、ありがとうございます。お嬢様は喋れなくて」


 とっさにフォローにはいるヘリヤの声に、男はヘリヤの方を見る。

 その間にセリスはふらつきながら立ち上がった。


「お、おお。お嬢様?」


 今度慌てるのは男の方で、セリスとヘリヤを見て貴族だと気づいたらしい。この国では珍しい赤毛の男だった。


「ええ、この方は魔族領の令嬢セリス様でございます。転んでしまうところ、助けていただきありがとうございます。セリス様に代わりお礼を」


 従者らしくさりげない足取りでセリスを守るように割り込むヘリヤの言葉に、男はせわしなく視線を動かしつつも自己紹介する。


「お、俺は第1騎士団所属のカイル下級騎士です! ご、ご無礼を!」


 ヘリヤがよく見ればカイルは革の胸当てと具足を付けている若い男性だった。首に下げられている盾と剣のペンダントが騎士の証。


「いえ、そもそもお嬢様が浮かれてハイヒールでくるくると回ったのが原因ですので。頭を上げてください」


 あまりにもな説明であるが、その通りなのでセリスも手を握って力なく上げ下げするしか無い。

 その様子が何となく笑いを誘うので、カイルは思わず吹き出しそうになって……それでも無礼に当たると思って必死でこらえた。


「で、では自分はこれで」


 バレないうちに逃げようとそそくさとその場を離れようとしたが……その手をセリスがガッチリと掴む。


「え? なんで?」


 思わず立ち止まってセリスを見るカイル、その右手がふわりと動くと光が指先に沿って溢れ出て形をなす。


『ありがとう、助かりました』


 柔らかく、丸い字体の文字はそのままセリスを表すかのような優しいお礼だった。


「あ、いえ……」


 呆けるほどの心地よさが感じられるその短い言葉にカイルの頬が赤らむ。


『これから、近くの屋敷で相談所を開くの。もし良かったら来てくださいね』

「相談所?」

『困ったこと、何でも。必ず力になるわ』

「あり、がとうございます」


 相談所、というのはわかるがなんでこんな優しそうなお嬢様が……という疑問はある。

 それでも、なんとなく……カイルは来てみよう。そう思った。


 だってそれは、この人と話ができるということなのだろうから。


 ――ぼとっ、ごろごろごろ……


「へ?」

「セリ様!? やはり固定に難アリですかね」


 若い騎士の絶叫は青い空に高らかに響き渡る。幸いなのは周りに通行人がほとんど居なかった事であった。


『……むしろ、首なんか載せないほうが良いのかしら』


 遠く離れた魔王城の私室で眉根を寄せて真剣に悩むセリスだった。

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