Shambles LIT

いろは

ケチャップ・イン・ダ・シャンブルス

 ノイズ混じりの静寂。遥々はるばるこの町にやってきて、ようやくここに立つことができた。

 ひびの入ったタイルを踏み締めると、僕のブーツに小石が噛んでじゃりと音が鳴った。確かこの石造りの空間は、はるか過去の趣を再現しているんだったっけ。勿論石材はフェイクのあしらいだが、重々しく、それでいていさぎの良さを感じて、好きだ。

 からりとした空気を吸い込んだ。これから起きる熱狂をいたずらに期待させるから、このひと時はどうにも平静が保てない。

 お父さん譲りの金髪も、今日のためにオシャレに整えてきた。この動きやすい軽装も、この日のために買った一張羅だ。

 鼓動が高鳴り、感情のままに軽くステップを踏んでみた。同時に、僕の手に持つ金属質のソレをくるくるともて遊ぶ。……うん、コンディションも完璧だ。

 持ち手をぐっぱとして握り直す。この扉が開けば、どんな出逢いが待っているのだろうか。前のめりになって期待に胸を躍らせる。


 ごう音と共に隙間が拡がり、光が網膜に飛び込んでくる。分厚い扉の向こうから、歓喜の声が漏れ出ている。あっちは既に最高潮の盛り上がりだ。

 口角が引き攣り、瞳孔が開いてしまう。

 もう抑えられない。

 まもなくやってくる。

 これが僕の―――――




『 『死闘開始シャンブルス!!!!!!』 』



 観客が声を揃えて叫ぶ。ビリビリと喧騒が押し寄せ、全身の筋肉が急激に張り詰めた。

 扉の隙間が丁度人一人分になった瞬間、脚のスプリングを解き放ち、一気に駆け出す。ビュンと風を切り、むさ苦しい熱気と血の匂いを全身に浴びた。


 砂埃の舞うだだっ広いステージに飛び出して、周囲を素早く目で読み込む。

 今回の舞台はコロッセウム・アリーナ。最もオーソドックスにして、苛烈な勝負になりやすいステージだ。円形の床と壁のみの構造のため、短期決戦になりやすいのが特徴。そして何より、実力差が如実に出やすい。


目の前の相手は、はるか前方に立つ柄の悪い大男。レザーの輝く、やけに襟の高い服を着ているが……まあよく町で見かけるチンピラだ。正直僕は服のセンスを持ち合わせていないし、得られる情報はないと思う。


 ……いや、そんなことよりあの武器だ!

 男の人が肩に掲げる巨大武器は、目を離せなくなるほどの圧を放っている。恐らく、この舞台を観ている全員があの武器に見惚れているのだろうと直感する。


一見すると、両面が円錐状に尖った巨大なハンマーに見える武器だが、持ち手の男は然程さほど苦労して持っているように見えないし、重心もブレていない。つまり、あのメタリックな巨体の中に、軽い“何か”が仕込まれているのだ。

 そしてその見た目も、官能的と言う他ない。ハンマーは持ち手の男の人より更に大きい。円の直径もトラックのタイヤほどあり、大人でもスッポリ隠れてしまいそうだ。かつ使い手と武器との比率が美しく、斜めに構えたなら使い手をアシンメトリーに引き立たせる。正に芸術だ。

 そして高温で焼け付いた虹色の、繊細かつ神秘的な風貌。そしての表面と対照的に、真っ赤なペンキでマスキングしたワンポイントも、不器用な力強さを感じられる。


「あの、すっごい立派な武器ですね!!」

「テメェ真剣にやれよ!」


 男の人の方も活きが良い。

 男の人はハンマーをこちらに突き出して唾を飛ばす。

「アんなぁ!俺ァこの“焰樽ほたる”を買うのにローン組んじまったんだよ!悪ィがテメェもミンチにさして貰うぜ!」


 わぁーと歓声が降り注ぐ。

 開いた天井から差す日が、焰樽についた赤錆びのような模様を照らした。男の人は、既に焰樽で何人かを殺しているらしい。


 一般的に賞金は、倒した相手の等級と戦いの過激さによって量られる。つまり、相手の体を壊すほど勝ち得になっていくため、理論上は破壊的な兵器であればあるほど利益の還元率が高い。この男の人も、より凄惨な殺し方を狙っているように見える。

 あのギラつく眼に宿った殺意が、明確にこちらを向いているのだ。それはつまり、どういうことか。想像するだけで、背筋がゾクゾクと疼いた。


 思わずまた、口角が上がってしまう。

「……あ?」

 反対に、男の人の顔が凍った。


「お……いおいおい見逃せねえぜ、俺の焰樽を一目見たら誰も笑えなくなるし赤子は泣き止むんだ……が、お前はコイツを見てニヤついたな上等じゃねぇか……」

 息継ぎもなしにペラペラと喋る男の人。体を揺らし、静かにハンマーを地面に着ける。ハンマーが砂利を摺り、コロコロと独特な金属音が筒状と思しきハンマーの内部に反響した。


 さあ何が来る。あの遠距離で構えるハンマー、流石に異常と言う他ない。

 近距離武器を持つ上で最初に課題となるのは、遠距離武器にどう対抗するかだ。仮にあの人が銃を持っているなら、あの行動は完全にセオリー外。であるなら、あのハンマーが持つ“ギミック”がここで顕になるはず。

 腰に付けていた愛武器(まなぶき)を静かに抜き取る。しかし身体の影からは出さない。僕もあの人と同じく、その瞬間まで隠し通すのが滾るんだ。


「このボタン様の血肉となって死ね!骨まで殺ぉスッッ!!!」

 あの人の名はボタンというのか。武器の趣味もいいし、ちゃんと覚えておこう。


「オオオオオオオオオオオオッッ!!!!」

 ボタンは咆哮しながら姿勢を低くする。アリーナを支配するような雄叫びとともに、ハンマーも大音量で唸り始めた。


「そうか……あれはっ……!」

 この音でピンと来たぞ……!きっと、あのハンマーの中には巨大なジェットエンジンが仕込まれているんだ。エンジンの推進力を利用して破壊力を割り増しする寸法なんだ!


 地響きが起こり、砂の粒が踊りだす。ステージの中央には、確かに大獅子が二頭居た。徐々に唸りはピッチを上げ、10秒足らずでピークに達する。それは人間の可聴域を振り切り、奇妙な静寂が会場を襲った。


 そして、次の瞬間


 バン!と巨大な破裂音が響く。巨大な黒煙が立ち上がると、ボタンの巨体は完全に見えなくなった。

 いや、違う。音が聞こえるよりも“速く”―――凄まじい速度で僕の方へ飛び込んでいた。


 観察していては間に合わない。身体が反射的に動き、ギリギリで側方に回避した。

 ボタンは猛スピードで突進し、壁に激突する。かと思った瞬間、ほぼ直角に方向を変え、迫撃の槌を振りかざしている。

 とてつもなく速い……!スピードもさながら、機動力も抜群の性能だ。

 ……だが、今度は僅かにスピードが落ちている。この機動力の源は最初の爆発によって生まれたものだろう。

 焦らず上体を大きく反らし、背面跳びの要領で回避した。

 空中で逆さまになり、焰樽を振り下ろすボタンの頭を見下ろす。幾らなんでも、この鋭い角度を急転換する能力はないはず。つまり、ボタンの身体はガラ空きだ!


「出番だよっ……ピューリット!!」

 小銃を構えると、ジャキンと澄んだ金属音が鳴る。すぐさま引き金を引き、銃弾をバラ撒く。

輝射レイ!!」

「ちっ……!」

 反撃に気付いたボタンは、焰樽の重心を軸に回転し、身体を影に隠す。

 鋼鉄の装甲を小銃のアサルトで貫けるはずもなく、小気味よい音を鳴らし銃弾はあえなく四方に散っていく。

「そうかぁ!テメェも小銃使いかぁ!」

 煩わしいハエを払うように焰樽を振り回した。ボタンは声を揺らし、額に血管を浮き立たせる。これはもしかしなくても、何かが癪に障ったのかな……。


「そんなオモチャで本当に人が殺せるのかァ!?」

 ボタンは着地し、間髪入れずにまた距離を詰める。激しい横回転。焰樽の軌跡に炎が残り、火の車が如く猛進する。

「ハア"ァッ!!」

「おっと!」

 脇腹を狙う踏み込んだ横薙ぎを、大きく後ろに跳躍し避ける。遠心力に任せた一撃に腕が引っ張られたボタンは、その前身が顕になった。

 ―――決まった。バックステップと同時に手離した球状の物体が、炎の残る床に接地する。その瞬間、球体は激しい閃光を溢れさせた。

 そう、これは可燃性のトラップ。光の変換効率を少々調節した、殺傷能力の少ない閃光弾だ。但し、過分な熱で激しく燃焼させられたならその限りじゃない。強烈な光と持久性の高い燃焼は、黄金の炎となって相手に纏わりつく!


神輪ハロっ!!」

「だっから弱ぇんだよ!!」


 ハンマーで炎の間を掻き分け、悪魔のような形相を覗かせた。炎の熱を気にする素振りもなく、一歩、二歩と近付いてくる。

「さっきから馬鹿みてぇなオモチャで喧嘩売ってんのかァ!?ここは血みどろの死闘技場シャンブルスッッ!!……血も流せねぇガキは代わりにケチャップでも舐めてるんだなァ!!」

 ボタンはそう言って、歪に顔を引き攣らせる。観客席からも、同調するような嘲笑が巻き起こった。


「小銃使いは良いよなぁ!ちょこまか逃げてれば怖い思いをしなくても敵が死んでいく!」

 ボタンは怒りの勢いのまま、こちらに突っ込んでくる。焰樽を振りかぶり、地面に叩きつける。反動で浮き上がった焰樽を背後に回し、次の横振りに繋げる。

 勢いを殺さない“流れ”が生まれ、荒れる龍のようにアリーナを激しくのたうち回る。


「どうしてそんなに怒っているの!」

「テメェが小心者だと分かったからだッ!!」

 縦横無尽の連撃に、食らいつくように体をくねらせる。槌の隙間を潜り抜けるたび、焰樽の纏う熱波で皮膚が火照る。豪快な風圧と共に、粘つくオイルの臭いが鼻に刺さる。


「オラァッ!」

 急に焰樽が爆発し、攻撃が急加速した。しゃがんで躱そうとするが―――

「ぐああっ!!」

 重力で地面に辿り着くより速く、ハンマーが頭に直撃する。ハンマーと称するには、あまりに鋭い痛み。

 攻撃をモロに受け、あっという間にアリーナの端に激突した。安々と粒凝石材いしづくりの壁が砕け、小さな石片と砂煙が舞い上がる。観客席からは大きな歓声が上がり、「殺せ!」「やっちゃって!」などとボタンを囃し立てる声が投げられる。


俺達おれらも最初は小銃を腰に備えてたがよ……俺は心ッッ底屈辱だったんだ。俺の近距離戦の実力から逃げ、正々堂々と殺り合うこともできない雑魚にッ!どうして土俵を譲らなきゃならねぇんだァ!?」

 ボタンは焰樽を床に降ろし、ガンと乱暴な音を鳴らした。

 ボタンの口から語られた出来事、これは“環境”という現実が抱えた、慢性的な問題だ。近距離武器は、当然近距離で闘うことが大前提。広いフィールドに放り出された場合、遠距離の武器に手も出せずに殺されてしまう。だから近距離武器を扱う者は、射撃から身を守れる装甲か、同じく遠距離の戦闘ができるような装備をしていくことが多い。


「なのに俺の仲間は……最初は補助役だった小銃ばかり闘いで使うようになり、いつの間にか遠距離に鞍替えしやがった!!愛用の武器を棄てて、安全に勝つことを選ぶ軟弱者に成り下がったんだ!!」


「僕の武器は“ピューリット”―――」

「……あ?」


 軋む体を起こし、砂煙から顔を出した。まだ意識が朦朧とする……。頭に乗っていた瓦礫と一緒に、大量の鮮血がボタボタと零れ落ちた。足取りが覚束無おぼつかないまま、武器を前に掲げた。

 僕が離さず握っている持ち手からは、33cmの3つの金属棒が垂れ下がっている。チリン、チリンと金属がぶつかり、涼しい音が遠くまで響く。


「この金属棒フラクトにはそれぞれ能力が備わっている。君との闘いを楽しむために、僕が選んできた」

 持ち手をグリップすると、3つの金属棒はプロペラのように高速回転する。ブンと風を切る音を立て、遅れてベアリングが唸る。

 突起した円柱状の小さなボタンを押すと、一つの金属棒フラクトが爪に押し出され、勢いよく持ち手と連結する。


「これが最初に見せた“輝雨レイ”。」

 ガチャンと音を立て、銀色に光る小銃へと変化する。


「そしてこれが、トラップの“神輪ハロ”。」

 ガチャン。銀のトラップホルダーからは野球ボールほどの、黄土色の玉が顔を覗かせている。


「最後のが近距離用ナイフの“鏡律セクト”。」

 ガチャン。金属棒フラクトの表皮が畳まれ、バターナイフのようなつややかな刃が露出した。


 ボタンは何も理解できないと言わんばかりに眉をひそめた。

「テメェは急に何くっ喋ってんだァ?脳みそイカれちまったのかァ?」

 困惑するボタンに構わず、言葉を被せるように伝える。

「もう一度伝えるけど!この装備は君とのバトルを楽しむために選んできたんだ」

 その言葉と、真剣な目を向ける。ボタンは目を見開いて、少し押し黙った。


 だらだらと額から流れ出る血液が、短く切り揃えた金髪に滲む。血が止まらず目に入りそうだったので、手首で強く拭った。

「僕は君と全力で闘いたいんだ。君の愛を、決して蔑ろになんかしないよ!!」

 感情をありのまま叫ぶ。届いてくれ。僕は君の……君と武器との愛情を最大限に味わいたいんだよ……!


 会場の騒めきが大きくなる。アリーナの中央にいるボタンも例外ではなく、冷や汗を滲ませて動揺した。

「ふ、普通に気持ち悪ィ……マジでケチャップの血が流れてんのか……?」

 ドン引きだった。なんか間違ったこと言ったかな……。


「だから僕は本気でっ……!」

「だがよォ!!!」

 あわてて更に言葉を繋げようとしたとき、ボタンの喝が台詞を断ち切った。


「テメェがただのビビリじゃねえこと“だけ”は分かった!俺様の愛器、焰樽ほたるのフルパワーで、手厚くブッ殺してやるッ!!」

 ボタンは力強く焰樽の柄を握り締める。

 そうだ、これだ。僕はこの立ち姿を見たかったんだ!



 熱く滾るように、ジェットエンジンの火花が散る。ボタンは静かに散る火花の中、体を捻り、焔樽を大きく振りかぶっていた。


「俺からも教えてやるよ……焰樽ほたるは小銃使いをぶっ殺すための俺の答え!圧倒的なパワーと、最高の機動力を実現した短距離破壊兵器ッ!!」

 ボタンの大きな背中でも全く隠れない巨体を、日射が照らし出した。メタリックなボディと、銃弾を防いできた傷の数々が神々しい乱反射を生む。そしてハンマーの両面に飛び出した大きな棘が、中心からゆっくりと開きだす。


「これはただの装飾じゃねぇ……前方のは吸気口兼・空気圧縮機コンプレッサー、後方のは噴射口ジェットノズル方向転換機ウィングとしての役割を果たしているッ!」

 スカート状のノズルが完全に開ききると、真っ赤にベタついたプロペラが姿を見せた。あれはエンジンのフィンか。しかし旅客機なんかの部品に比べて、やや攻撃的な形状をしているように見える。


「エンジンの生み出す推進力はハンマーの破壊力を上乗せする……そしてッ!筒状の形態に変化し、自らの中に気流を取り込むことで高速かつ安定した攻撃を実現する!!」

 花弁の開ききった焰樽は、獰猛な唸りを上げて大量の空気を吸い込む。そしてその分だけ、莫大な炎を背後からまき散らす。

「見やがれ……この爆音!!荒れ狂う気流!!熱力学を完全に無視した灼熱ッッ!!!!」


 またしてもジェットエンジンの唸りが最高潮に達する。だが前までの気迫とは見まごうほど違う。空気をフルに取り込み洗練された焰が、巨大な一文字を空中に描く。可聴域を振り切ってもなお心臓を震わせる低周波が、ますます鼓動を高鳴らせていく。


 我慢できずにフィールドの中心へ飛び込んだ。

 ここからでも肌に感じられる熱波……間近ならどれだけの灼熱を放っているんだろう。そしてあのハンマーの起こす破壊力は、僕が受け止めきれる大きさなのだろうか。ボタンの愛情を、一刻も早く全身で味わいたいっ……!!


石畳の景色を高速で置き去りにし、ボタンの元まで駆け寄る。持ち手をグリップし、ピューリットを高速回転させる。

 熱狂的に笑うボタンの皺が見えるほど近くに寄ると、全身は耳が潰れるような轟音と業火の灼熱に包まれた。


「          」


 ボタンの声は、エンジンにかき消されて聞こえなかった。だがボタンの放つ殺意は、確かにこう言っていた。

「精々楽しませてくれよ」


「もちろんだよっ!」


 勢いをつけたまま膝を折り、低く仰け反った状態で滑り込む。その直上を巨大なハンマーが乱気流を作りながら通過する。鼻先が触れるか触れないかというギリギリの距離。鋼の匂いを堪能したいが、ここで少しでも息を吸えば粘膜が爛れるかもしれないから我慢する。


ハンマーが通り過ぎ、青空と太陽が見えたら、すかさず高く跳躍する。一瞬前まで居た位置を容赦なく抉り取るように、迫撃の槌が通り過ぎる。地面がスポンジのように削れ、少し遅れてハンマーの内部から石を噛み殺す音が反響した。

 凄い、粒凝石材でできた床がいとも簡単に……!抉った断面も綺麗で、思わず惚れ惚れしてしまいそうだ。

「余所見たぁ良い度胸だなァ!!」


 しまった!背後ではボタンがハンマーを振りかぶっている。この速さを避けるのは、ちょっとムリかもしれない。

 急いでピューリットを回転させる。何か、何かいい方法は無いのかっ……!?


 視界がスローモーションになり、巨大なハンマーが迫る。

 ……ここに立ってようやく気付いた。唸るエンジン、こびりつく血の臭い、鋭利に形状を変えたフィン……目の前に迫っているのはもはやハンマーではない。巨大な人間裁断機チョッパーじゃないかっ……!


「っ……!鏡律セクトっ!!」

 焰樽に楯突くように銀の剣で受け止める。しかし、この高威力を防ぎきれるわけもなく、勢いに敗けてふっ飛ばされた。

「うわああっ!!!」


 石畳の上をはね、全身を何度も叩き付けられながら転がった。鏡律セクトを石畳の隙間に捩じ込み、ボタンから引き離されそうになるのを何とか耐える。急ブレーキをかけた足裏から砂煙が上り、剣を握る肩は危うく外れそうになった。


「っ……!」

 床に打ち付けた打撲で全身が軋むが、唾を飲んでまた走り出す。

 必死に空気を取り込むが、その度に背中と胸がズキズキと苦しい。

 ……だけど、今この瞬間を逃したくなかった。


 突如、ボタンの持つ焰樽が大きな炸裂音を響かせた。これは焰樽の起こしたものではない。この黄金の光は、攻撃を食らいながら片手で投げ込んだ神輪ハロのものだ。


「…………やってくれたな、ケチャップ野郎」

 焰樽の唸りはみるみる小さくなり、ボタンは目を見開いた。焰樽が機能を失い、ボタンが意表を突かれたこの瞬間、今がチャンス!

 ピューリットを握り締めると、また連結部のベアリングが唸りだす。それも過去最高の速度で、甲高い羽音を鳴らした。


ボタンは煙が噴き出す焰樽を掲げ、パンパンと胴体を叩く。

「だがな……コイツはチンケな爆発ごときで傷は付けられねぇんだよ……」

 こちらを目で捉え、口角を上げる。同時に焰樽は大きく震え、また低い唸り声を上げた、


 客席が沸き立ち、歓声が上がる。

「そんな……!」

 フルパワーの神輪ハロでも歯が立たないなんて……!異常をきたすこともなく回り続けるエンジンも、爆発を一切持ち主に通さなかった装甲も、笑ってしまうほどの頑丈さだ。完全に常軌を逸している。


 全速力の走りは止めることができない。ボタンに近付き、剣が届く間合いに入る。もうお互いに、全力の武器を交える他ないと分かり合っていた。

「はあああっ!!ピューリット!!!」

「ら"アアアアアッッ!!」


 バキン!と激しい音と火花が飛ぶ。その向かいに、焰樽を弾かれて目玉を剥くボタンの顔が見えた。そう。ピューリットの鏡律セクトだって、回転エネルギーを乗せて本気でぶつかれば、巨大な武器とだって渡り合えるんだっ……!


 続けて一発、二発と十字に剣を振った。

「ぐァ…………ッッ!!」

 腹部にダメージを受けたボタンはよろめき、僅かに後退する。その隙にまたピューリットを回転させ、掬い上げるような重い一撃を放つ。

「がァッ!!」

 攻撃は顎に直撃し、ボタンは一閃の血を噴出しながらガクンと上に仰け反る。しかし次の瞬間には、血走った目でこちらを覗いていた。瞬間、向けられた殺意に全身が強張る。


「焰樽はテメェの攻撃を全部耐えた!!なのに……俺が先に倒れる訳にいかねえだろうがアアッ!!!!」


 咆哮と共に、暑苦しい熱気が顔を襲う。強い熱風の勢いに、体が押し戻される。

 金色の火炎を残した焰樽を華々しく纏うボタンが、そこには居た。


「いい殺し合いだったぜ、ケチャップ!!」


 こんなにも熱いのに、思わず目を見開いてしまう。血を流し、苦しみを噛み締め、僕を全力で殺しにかかるその表情には、確かに愛が宿っていた。


「うん―――僕もだよ、ボタン!焰樽!!」

 ピューリットをぶんと回すと、風を切る涼しい音がした。

 衝動的に地面を蹴り飛ばし、ボタンに近付く。その行動を見て、ボタンはにかりと笑う。


「アバよ!!」

 焰樽の吸気口が大きく開くと、背後から巨大な焰を吹き出した。観客席に届いていないか心配になるくらいに、アリーナを鮮やかな橙の光で照らし上げる。


「おお、これはっ……!!」

 僕の背中に、強い追い風が吹く。いや、体が引き摺りこまれるこの感覚は……!

「そうッ!テメェはもう逃げられねぇ、このエンジンの最大出力で"全て"を吸引するッ!そして吸い込んだモノをフィンで切り刻み、排気口から挽き肉をぶちまける!!これがボタン様の名物、“大柳おおやなぎ”ッッ!!!!!!こんなに盛り上がるショーはねぇよなァ?!!!」


 なんだ、その心が踊る機能は!!

 これに巻き込まれたら、きっと指の一本すら残らないだろう。そんなものが僕だけのために動いているのだから、ゾッとする。喉が詰まるようなヒリつきを感じ、大きく息を吐いた。

 どうせ今脚を止めても、この吸引力の前では無駄だと思う。ボタンも僕を追いかけ、虫取り網のように振って確実に技の餌食とするはずだ。

 逃げる小銃使いを葬る答えだとボタンは言ったが、なるほど、これがその正体か。それなら、最後に一つだけやりたいことがある。


 走る速度を上げ、更にスピードを上げる。そしてピューリットを回しながら、地面を蹴る。焰樽の吸気口に脚を向け、飛び蹴りの姿勢でその大穴へ飛び込む。

 猛烈に死が駆け寄ってくるのを感じ、自然と瞳孔が大きく開いた。身体が火照り、口角が下がってくれない。

 ああ、僕はきっと悪い子だ。こんなに大好きなボタンと焰樽に一矢報いる瞬間に―――


 堪らなく胸が滾ってしまうのだから―――!


 吸気口のフィンは目前を覆うように高速で近付いてくる。その吸引に誘われるように、大筒の中へ身を捧げた。


 バクンと手に振動が走り、ボタンは焰樽を握り直す。

 勝ったッ……!!

 たった今、ケチャップは焰樽の中に入ると同時に吸気口のトゲが閉じた。あとはエンジンで粉砕し、 派手に血肉を撒き散らすのみッ……!!


 そう勝利を確信したのも束の間、ボタンは不気味な違和感を覚える。

 焰樽がミンチを吐き出そうとしない。いくらエンジンを回そうと刃が空回り、肉を噛み砕こうとしないのだ。

 まさか、この焰樽の大柳から逃げたのか……?いや、現に今、この手がヤツの重みを感じている。確実にこの中に居るハズ―――


 その時、ボタンは視界の端に何か落下するものを捉えた。

 あれは、アイツが使っていた炸裂弾と……銃の弾倉…………?



 その瞬間、閃光が視界を覆う。

 ボタンが混乱するよりも疾く、爆風の衝撃が身体を襲った。

 高火力の灼熱で威力が高められた神輪ハロが、輝射レイの銃弾を激しく撒き散らす。

 それは、全方位360°に放たれる炸裂散弾。逃げる場所もないボタンの身体に、容赦なく銃弾が突き刺さる。


「ぐああああああああああッッッ!!!!」


 襲い掛かる数々の銃弾の威力と爆風の圧で、身体が大きくふっとばされる。

 ボタンは5mほど離れた床に受け身も取らずに落下すると、仰向けのまま動かなくなった。


 ボタンがパタリと焰樽を手放す。

 すると焰樽は状況を理解したようにエンジンを停止し、音が小さくなり、やがて大人しくなった。

 焰樽の煙が細くなっていく以外に、アリーナで動くものはない。アリーナがひどく静まり返ったその時、バンと焰樽の吸気口が開かれた。


「あっ!僕、生きてます!勝ちました!」


 拍子の抜けた声で焰樽から這い出て、少年が手を挙げる。

 観客たちはその状況をしばらく飲み込めなかったが、少年の勝利を認識すると、ナレーターが慌てて名前を呼び上げる。


『しょ、勝者、飛び入りのリト選手ーーーッ!!!』


 その言葉を合図に、観客達は大きな歓声を上げた。

 無名の少年が大男を、それもモンスターマシンを持った難敵を下すなど、誰も予想だにしていなかった。まさに大番狂わせの騒動だ。

 少年は未だ流れる血液と油っぽい煤を拭い、大きく手を振った。それに応えるように、歓声と拍手も大きくなる。


 この少年の名はリト。突如として決闘場シャンブルスに降り立った異端児の戦士。

 この少年の登場は、シャンブルスの舞台を明らかに狂わせ始めていた。しかしその事実に勘付いたのは、ほんの一握りの人間だけだった。





「すごい声援を貰っちゃったなぁ」

 リトは円型の電灯を見ながら、上の空で呟いた。


「アホか、あんな湿気シケた拍手聞いたことねェぞ」

 ぬっ、と大きな影が視界を遮る。それはテカテカのレザースーツを纏った大男だった。リトはその顔を見て、ぱあっと表情を明るくする。

「ボタンっ!体の具合はどう?」

「っチ……ひと針も縫わなかった」

 ボタンは怪訝な顔で言った。死闘シャンブルスの場で負けるのみならず、大怪我の一つも負わずに医療施設送り。殺し合いに赴く戦士としては、顔を覆ってしまうような大恥だ。

「そっか、そりゃ良かった!」

「バカが……何だよあの銃弾、殺傷能力もクソもねぇじゃねえか」

 そう言ってボタンは、片手を開いてみせる。手の平の上で、2cmほどの画鋲のような物体がコロリと回った。

「全く最悪の貫通性能だ。速度も対して出ねえし、貫くどころか皮膚の上で止まってたぞ」

 それをリトが指でつまむと、電灯にかざすように見上げる。金色の表面が白い灯りをキラリと反射した。

「でも着弾時の反動は凄かったでしょ?」

「貫通すれば殺せたんだってんだよ!!」

 ボタンは怒鳴ってリトの髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。しかしリトは真っ直ぐな目を向け、ボタンに笑みを向けた。


「でも、ボタンとまた殺し合えないのは勿体なさすぎるよ」


 予想外の言葉に、ボタンの手がピタリと止まった。険しい顔のまま固まって、困惑気味に率直な意見を口にする。

「やっぱテメェキモいぞ」

「そう?僕はまたあんな風に闘いたいけど」

 そう言うもリトは、肩に巻かれた包帯の辺りを反対の手で押さえた。

 平然としているがリトは、亜脱臼した肩の固定、頭部の縫合と、背部の火傷の処置が施されていた。表情以外は完全に重症患者の様相である。

「……ま、いいけどよ。俺はもう前の方法じゃやられねェからな」


 そう言ってボタンは床に突いていた焰樽を持ち上げた。持ち手のボタンを操作すると、焰樽の両面についたトゲがガシャリと開口した。

「おおっ…………!」

 それを見たリトは、食い入るように可動部を見つめた。

「カメラの絞り羽を参考にした回転式開口機構だ。この造りなら、テメェの棒切れを挟まずに口を閉じることができる」

 ボタンはあの勝負の後、武器の傷跡から決着の一瞬に起こった事象を調査していた。

 リトが焰樽に飛び込んだあの一瞬、ピューリットの金属棒フラクトを突き出し、閉じる吸気口の羽に引っ掛けた。それが命綱となって、吸気口とフィンの隙間で身体を留めることができたのだ。


「ちなみに、フィンの位置も今までより前方につけ直し済みだ。ま、この隙間でやり過ごす変態なんてまさか居ねェだろうがな」

 冗談を吐きながらボタンは、フィンを指でスルスルと回してみせた。確かに、焰樽の内部で影に隠れていたフィンは、横からでも見えるほど前に配置されていた。


「すごい……もう改良を終わらせてるなんて……」

「タリメーだぜ。弱みを晒したまま寝てられっかよ」

 ボタンは焰樽のボディをポンポンと叩く。研磨とコーティングを済ませた焰樽は、試合の前より一層と輝きを増していた。

 ボタンは口元をニッと歪ませると、焰樽のトゲをまた閉口する。


 「……ま、これでローンも払えなくなったけどな。ギョセン送り1年漬けは確定だぜ」

 それを聞いたリトは、ボタンの組む太い腕を掴んだ。


「ボタン、居なくなっちゃうの……?」

 上目遣いで覗くリトに一瞬ボタンは戸惑ったが、すぐにリトの腕を振り払った。

「……っそうだよ」

「ボクの賞金でも返せないの?」

 立ち去ろうとするボタンに、リトは呼びかける。ボタンは、リトにとってこの街で始めて心を通わせた人間。既に簡単にお別れを言える存在ではなかった。だが、ボタンは笑い飛ばすように手をひらひらと振る。


 「ハッ、死人の出なかった試合の賞金なんて、たかが知れてらァ」

 残虐なショーほど盛り上がることシャンブルスにおいて、リトの勝ち方は全くと言っていいほどウケない。ボタンの等級は下から4つ目のBランクと高レートだが、それでも両者五体満足では倍率はかなり低いはずだ。


「じゃあ!……今月分のローンを払える額だったら、受け取ってくれる?」

「ああもう、わーったよ。今月分の15万ブル、払えるようなら受け取ってやる」

 しつこくせがむリトに折れ、ボタンは仕方なく了承した。だがそれは、あくまで形だけのものだ。Bランクのボタンに勝利した金額はおよそ7万ブルなので、それなりに評判のいい勝負をしなければ15万ブルなど到達するはずがない。

「やった!本当に!?」


 次の瞬間、ロビーのスピーカーが「ブツッ」と音を立てる。マイクのノイズが入り、分かりやすい合成音声が流れる。

『M17 番で お待ちのお客様 2番 窓口へ お越しください』

 丁度番号を呼ばれ、リトは駆け足で窓口へ向かう。その背中を見て、ボタンはひとつため息をついた。


「……テメェの心意気はありがてぇが、ここはそんなに甘くねェんだよ」

 リトに聞こえないように、小さく言葉を零す。

 ボタンとて、勝ち越せなかったから金欠になった訳ではない。勝負に勝ったからと言って、観客の期待に応えられたとは限らないのだ。だからこそ、より残虐な武器を追求し現実と折り合いを付けなくてはならない。それがここで闘う者達の、影の姿だ。

 あの少年の背中は、そんなことを未だ知る由もない。だからボタンはこの出逢いの最後に、共にその現実を見つめてやることにした。


 ゆっくりリトの後を歩き、背後についた。

 そして、たった今リトの手渡された小切手を、上から覗き込んだ。

 小切手に走るボールペンの文字、その金額を見ると、リトの肩に手を添えた。


「ねえ、これで今月分足りてる?」

 小切手には確かに20万ブルの文字。ボタンは手のひらで目を覆い、困惑に疲弊した声を漏らした。

「何で足りてンだよ……」



おわり

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Shambles LIT いろは @irohas0168

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