十五 失踪

 その日、午後五時をすぎても、芳川は出勤しなかった。

 芳川の行動を予測していたらしく、亜紀は芳川の欠勤について何も話さなかった。

「客が来なかったら、十一時に閉めましょう」

 鷹野良平が亡くなってから客が少なくなっている。


 午後十一時に店がはねた。

 帰ろうとする佐枝を、亜紀が呼びとめた。

「佐枝ちゃん。話があるの」

 亜紀は店の奥のボックス席に佐枝を座らせた。

「佐枝ちゃん、芳川について、何か知らない?」

「すみません。黙っていて・・・」

 佐枝は、亜紀に口止めされた夜、芳川が語った事を亜紀に伝えた。


「いいのよ。事前に佐枝ちゃんが私に話しても、良平さんに頼まれてた芳川は、いろいろ探ったはずよ。明日一日、様子をみましょう。月曜にどうするか決めるわね。

 ごめんね。引き止めてしまって」

 亜紀は佐枝を店の外まで送って出た。

「ねえ、佐枝ちゃん。芳川のこと、調べようなんて考えないでね。

 なんだか、佐枝ちゃんが芳川の行方を調べるような気がして、気になるのよ」

「わかりました。調べません」

 佐枝はそう言い、亜紀に挨拶して店を出た。

 途中でふりかえると亜紀が店の外で佐枝に手をふった。

 佐枝は亜紀にお辞儀して歩きだした。



 午前〇時前。

 帰宅した佐枝は、ダイニングキッチンのテーブルにスマホを置き、位置情報の輝点を確認した。輝点は金田太市の自宅に停止したままだ。

佐枝は脱衣室に入った。バーテンダーの仕事着を脱いで脱衣カゴに入れてワイシャツや下着を洗濯機に入れ、バスルームに入ってシャワーコックを開いた。


 芳川の車は十二時間以上、金田太市の自宅に停車してる。車を置いたまま芳川がどこかへ行くはずがない。今も芳川は金田太市の自宅にいるはずだ。

 芳川は空手四段だ。金田太市が独りで芳川を凶器で脅して従わせて監視するのは不可能だ。薬物でも飲ませない限り、金田太市は芳川を行動不能にできない。あるいは、金田太市が芳川の不意をつき、鈍器で殴って芳川を監禁するなら共犯者が必要だ。

 吉川をどこかへ連れていったなら芳川の車を処分しているはずだが、車は金田太市の自宅にある。生死は不明だが、芳川は金田太市の自宅にいる!


 そこまで考え、佐枝はシャワーを浴びたまま何もしていない自分に気づいた。

 シャワーコックを閉じてシャンプーで髪を洗い、ボディーシャンプーで身体を洗った。

 手が胸と下腹部に触れると、佐枝は手を止めた。 

 佐枝は自分の手に他人の手を感じた。人を愛する手ではない。女を陵辱する手だ。その手は肉体だけでなく意識に食い込んで精神を蝕み、全てを破壊して二度と戻れない日常と意識と精神を、佐枝に残していった。

『贖わせてやる。身をもって・・・』

 佐枝は髪と身体を洗ってシャワーを浴びた。ボディーシャンプーの泡とともに、それまでの殺意が流れ落ちていった。


 シャワーコックを閉め、佐枝はバスルームを出た。髪と身体をバスタオルで包んで、ダイニングキッチンの椅子に座った。

 スマホの位置情報の輝点は止まったままだ。

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