AとK

ぐじん

甘いパイ

 甘い甘いパイ。


 Kの焼いた美味しい蜂蜜のかかったパイ。


 とろける美味しさの甘いパイ。


 Kの料理は絶品です。


 その中でも特に美味しいのが、K特製の蜂蜜パイです。


 彼女は月に一度、Aの為にパイを焼いてくれます。


 大皿いっぱいに広がる香ばしい円形のパイ。


 その上には、たっぷりの黄金色の蜂蜜と、円陣を組んで並ぶイチゴの群れが置かれているのです。


 そんなパイが、決められた日、決められた時間に、Aの家の食卓に置かれるのです。


 Aはそれを楽しみに、楽しみにして家のドアを勢い良く開けます!


 なんということでしょう。


 机の上には何も置かれていません。


 Aの勘違いだったのでしょうか。


 今日は違う日ですか?いや、そんなことはありえません。


 Aが、蜂蜜パイの日を間違えるはずがありません。


 では、どうして?


 Aは窓辺で気持ち良さそうに寝ている、宇宙服を着た猫に問い掛けました。


「私の、蜂蜜のかかった美味しそうなパンは知りませんか?Kが焼いておいてくれているはずです」


 みゃおーん、みゃおーん。


 宇宙服を着た猫は鳴きます。


「蜂蜜パイかい?そんなもの、知らないね。きっと、Kは君に愛想を尽かしてしまったんだろう。だから作られていないのさ」


 Kが私を見限った?


 その言葉はAにショックを与えてくれました。


 だって、理由が思い浮かばないのですもの。


 AとKは、ずっと昔からの仲です。


 確かに何度か喧嘩はしましたが、それは些細なものです。


 それに、そういった争い事は全てその日のうちに解決しています。


 猫の言う通り、Aが気付かなかっただけで、Kに気を使わせていたのかもしれません。


 どうしましょう。どうしましょう。


 Kが私の為にパイを焼いてくれなくなったら。


 どうしましょう。どうしましょう。どうしましょう。


 Kが、私を見捨てて料理を振舞ってくれなくなってしまったら。


 考えただけで恐ろしいです。


 彼女との親交はかなり気に入っていました。


 それが途切れてしまうのが、酷く恐ろしいのです。


 みゃおーん、みゃおーん。


 猫は再び鳴きます。


「ま、そう気を落とすことは無いよ。彼女のいない生活ってのも、慣れれば大したことないさ」


 Aは今にも泣き出してしまいそうです。


 せっかくの友人。


 お願いします。やめないでください。


 Kの料理を口にするのが、Aの人生の楽しみなのです。


 トン、トン、トン。ガチャ。


 そんなことを思っていると、Kは帰ってきました。


「ただいまー」


 Aはすぐに彼女に泣きつきます。


「K、ごめんなさい。私の嫌なところがあったら遠慮なく言ってください!必ず直しますから!だからやめないで!」


 Aに抱き着かれたKは、自分の胸の辺りに何か温かい液体のようなものが当たるのを感じました。


 Kは自分の服に彼女の涙や鼻水が付くことを嫌がりました。


 彼女はAを無理やり引き剥がすと、


「なんのこと?」


 と首を傾げました。


「だって、だって……」


 Aは机を指さして、ひっくひっくとしゃくりあげながら必死に伝えようとします。


「帰りが早かったの?今日は食べるの早いんだね」


 Kは続けて、気分が良さそうに、今日も美味しかった?と問い掛けます。


「また、作ってあげるからね?」


 Aは不思議でした。


 Kはもう、私にパイを焼いてくれないのではないでしょうか?


 何か心変わりでもしたのでしょうか。


「それより、どうして泣いているのか教えてくれる?」


 Kは諭すように、優しく微笑んでそう言いました。


「……Kは、Kは私に、蜂蜜パイを焼くのが嫌になったのではないのですか?」


「どうして?」


「今日は、パイが置いてありませんでした。置かれてないことなんて今までに無かったのに」


 Kは不思議そうに言います。


「うーん、確かに作って置いてから家を出たはずなのだけど……ほら、お皿、置いてあるでしょ?」


 よく見ると机の上には、大きなお皿が一枚置かれているではありませんか。


 しかも、そのお皿の上には微かにですが蜂蜜の跡と、パイの砕けた物が落ちていました。


 Aは、えっ……と小さな声を漏らすことしかできませんでした。


 Kはまさか……と言いつつ、窓辺でむにゃむにゃと言っている猫から、宇宙服の帽子を無理やり外します。


「やっぱり」


 Kがそう言いました。


 その猫の口元を見ると、橙色の欠片がところどころ、ぽつぽつと付いているではありませんか。


 猫は不機嫌そうに、青い瞳を涙ぐませて言います。


「なんなのさ」


「ここにあったパイを食べたの、あなたでしよ?誤魔化しても無駄だから。自分の口元拭ってみれば?」


 Kの言葉に猫はみゃお?と惚けます。


「さぁなんのことだか。それに、この口についたのはただのクッキーさ。残ってたから、ついつまみ食いをしてしまってね」


「家にクッキーは置いてないけど……」


 Kがそう言うと、


 みゃおー!みゃおー!


 猫はそう鳴き出しました。


 そして勢い良く、器用にピシャリと窓を開け、そこから逃げていきました。


「逃げ足の速い猫め……」


 Kは猫が逃げるのを見届けると、振り返ってAに言いました。


「私が約束を破ってさ、パイを焼かなかったことなんて、ある?」


 しばしの沈黙の後、Aは首を横に振ってKに抱き着きます。


「私、Kと一緒にいられて幸せです」


「ん、私もだよ」


KはAを抱き込むと、そっと頭を撫でながらそう言いました。



 その日の夜。


 AとKは2人で仲良く、甘い甘い蜂蜜のかかったパイを分け合って食べました。

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