JKのプロ野球GM奮闘記

秋山如雪

第1章 女子高生GM誕生

第1話 最高のパパ

※この物語はフィクションです。実在のプロ野球とは関係がありません。名前が似ている場合がありますが、実際のプロ野球とは違います。

※年齢は、基本的に「満年齢」に合わせてます。誕生日が来る前でも満年齢で計算しています。

※あくまでもフィクションのため、実際にこんな方法は通用しないと思われることに留意下さい。


 10年前。千葉幕張スタジアム。


「さあ、中央リーグが5-4の1点差でリードを取って、迎えた9回裏。2アウト1塁。太平洋リーグの打席に入るのは、千葉ユニコーンズの5番、神宮寺じんぐうじ奎吾けいご。対するは、東京ビッグボーイズの絶対的守護神、牧之原」


 その時、まだ6歳だった私はスタンドからパパのことを見ていた。ママと一緒に。


「カウント、3-2。第7球目、投げた」

「打った!」

 小気味いい快音がパパの持つバットから響く。


 打球の行方はセンターからライト方向に真っ直ぐに伸びていた。

 白球が、幕張の空に弧を描く。


 誰もが夜空を見上げる中、綺麗な放物線を描いた打球が、ファンが球団旗を持ってひしめいていたライトスタンドに吸い込まれて行った。


「サヨナラ! 何と神宮寺、逆転サヨナラホームラン!」

 球場全体が大歓声に包まれ、歓喜の渦が沸き起こる。パパは右拳を上げて、グラウンドをゆっくりと一周する。


 ホームベース上で、大勢の仲間たちにもみくちゃにされていた。


 10年前。父がオールスターゲームに出場し、タイムリー2ベースと、この劇的な逆転サヨナラ2ランホームランを打ち、見事にオールスターゲームのMVPに輝き、私はその眩しい笑顔を野球場のスタンドから、目を輝かせて見つめていた。


(パパ、カッコいい!)


 私は、パパのことが大好きだ。


 世の中の多くの女の子が、「父」に抱くイメージは、割と否定的な物が多く、特に現代日本社会では「中年男性」は虐げられている。


―おっさん―

―キモい―

―死ね―


 などと言われ、娘に嫌われる中年の父親が数多くいるが、私は違った。


 父は、元・プロ野球選手で、神宮寺奎吾。


 かつて、高校野球界を賑わわせ、エースで4番。打っては得点圏で活躍し、投げてはエースとしてチームを導き、県予選を突破し、甲子園に出場。

 その甲子園でも活躍し、ドラフト1位で、入団したのが、千葉ユニコーンズ。メインポジションは、投手ではなく、高校時代にたまに守っていた外野手。


 当然、期待値は高く、そこでも活躍し、当然、首位打者やホームラン王のタイトルを取る、かと思われていたが。


 しかし、野球というのは、「高校野球で活躍したからプロ野球で活躍できるとは限らない」物だ。


 ましてや、父は「短気」な一面があったらしく、それが悪影響を及ぼした。

 怪我だった。


 19歳でデビューしてから、最初の数年はそこそこ活躍していたが、24歳くらいから怪我に見舞われ、戦線を離脱。


 かつてドラフト1位ルーキーとして期待され、多額の契約金と年俸を提示された、大物ルーキーとしては、あまりにも「予想外」の転落だった。


 25歳から29歳くらいまでは大した活躍ができず、1軍と2軍を行ったり来たり。当然、年俸が下がり、トレード要員か、クビを切られてもおかしくない状況だった。


 だが、30歳の年。見事に復活し、1軍の5番に定着。チームに貢献し、ついには初のオールスターゲームに出場して、MVPを取得した。


 もっとも、「彼」の野球人生の絶頂期はそこだった。


 後は、再び怪我が再発し、短気な性格もあり、見る見るうちに成績が落ちて行き、33歳の若さで引退。球界を去った。


 そこから、数年。

 千葉ユニコーンズのスカウトに転向し、2年前からは30代後半の若さで、GM、つまりゼネラルマネージャーに就任していた。


 千葉ユニコーンズは、正直言って、「弱い」。

 球界では毎年のように、Bクラス入りして、ファイナルシリーズ、いわゆるプレーオフにも出場できていなかったが。


 ここに、北浦源五郎という、中堅のスラッガーが成長し、昨年は見事に3位になって、ファイナルシリーズに出場。


 しかし、強豪の福岡パイレーツにあっさり負けていた。


 そして、GMである父は、シーズンオフに北浦源五郎をFA、フリーエージェントに放出。理由は簡単で、「金がないから」だった。


 プロ野球球団というのは、本質的にお金がないと何も出来ない。というより選手が活躍しても高額な年俸がネックになり、放出せざるを得ない事情が出てくる。


 そんな状況が今年。


 そして、私は来年も、父がGMとしてがんばってくれることを期待していた。


 しかし。


「えっ!」

 年の瀬が迫った、12月上旬。あまりにも唐突で、ありえない連絡が警察署から、母のところに届いた。


 母は、元・テレビアナウンサーで、父の密着取材をして仲良くなり、結婚した。プロ野球選手とアナウンサーの結婚はよくあることだった。

 母は、神宮寺優佳ゆうか。この時、42歳。


「お父さんが、交通事故で……」

 母は、この世が終わったかのように、顔面蒼白になっていた。


 場所は、一般道。相手は、大型トラックだったという。しかも相手は飲酒運転をしていた。父は、GMとしての仕事が終わり、千葉の球場から、千葉県佐倉市にある自宅に戻る途中、このトラックに対向車線から正面に「ぶつけられた」。


 しかも軽自動車だったため、父の車は大破。


 一般道とはいえ、深夜だったこともあり、トラックのスピードが出ていたため、ほとんど即死状態に近く、病院に搬送されるも、そのまま息を引き取ったという。


 享年40歳。

 あまりにも速すぎる死に、球界はもちろん、世間のニュースにもなった。


 当然ながら、「泣いた」。大泣きした。私は父のたった一人の子で、一人娘として、可愛がられていた。


 父は、よく私に「考えて生きろ」と言っていた。

 私が何をするにも父は、反対はしなかったが、「熟慮」することを常に求めてきたのだ。その意味では、父の教育方針は少し変わっていた。


 よく、父に勧められて、本を読まされたのだ。


 それが子供には明らかに難しい本だったが、私も中学生、高校生になると多少は理解が出来るようになってくる。


 その本とは経済学から、物理学、小説、歴史、新聞、さらにはアメリカのニュースまで幅広かった。しかも不思議なことに野球に関する本があまりなかった。


 その父の葬式が一通り終わり、泣き腫らした目のまま、私は母と共に、自宅に帰り、父の書斎兼寝室の整理をすることにした。


 そこには大量の本と、ユニフォームとバット、グローブ、そして複数の大学ノートが残されていた。


 その中に、非常に目を引くタイトルのノートがあった。


「勝つための、セイバーメトリクス理論」


 そう記載されたノートを開いて、私は驚愕した。

 そこには、父が生前、記していたデータが埋まっていたのだ。


 私、神宮寺美優みゆが父の真意を知ることになるのは、この年、16歳の暮れだった。

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