第8話 わたし

 二人は泳いで球体に接近した。


 目の前に佇むのは完璧な球体。


「やっぱりでかいな……」


 不安そうな結と、それに頷く凛。彼らはひたりと球体に触れながら、探るように周りを泳ぐ。


(傷はおろか継ぎ目一つすらない。異様だな)


 ツルツルの表面を触りながら、結は目を細めた。


「出入り口がないな。叩いて壊すか?」


 ゴンゴンと軽く壁を叩きながら言う結を慌てて止めに入る凛。冗談だとそっけなく伝えると、彼女は怪訝な目を向けていた。


(しかし参ったな。どうすることもできない。せめて出入り口があれば中まで探索できたものを)


 一度出直すしかないのだろうか。帰ってから作戦を練って、またここに来て……。


 ……どうやって?


 結の思考が止まる。


(そうだった、今僕らは浮いてる状態で……。ここから地上に戻る方法さえわからないんだ)


 ここにきて全ての道が塞がれてしまった。


 途端に、手に汗が滲み出てくる感覚が襲ってくる。


 このままこの空中に縛り付けられたら、エネルギー補給ができない。もしエネルギーが尽きてしまったら動けなくなってしまう。


 特に、二人は先ほど長距離を走ったため、残りのエネルギー量はほんのわずかとなっていた。


「ああ、もう! 君が勝手に変な光に触れるか、ら……」


「……」


「……触れる?」


 ごめんと謝罪する凛の言葉は結には届かず、代わりに何かに気づいたように言葉を止めた。


(僕らはどうやってここへ来た? そうだ、凛があの光に触れたからだ。それなら、もう一度触れたら元に戻れるんじゃあ……)


 彼の目に輝きが戻ってくる。確証はないけれど、確信はあった。


 結は謝る凛の肩に手を置き、興奮したように捲し立てる。


「もしかしたら帰れるかもしれない! さっき触れたところ、今も光ってるか⁉︎」


「……」


「よし、じゃあまた触れてくれ! きっとこれで地上に帰れる」


 豹変ぶりに驚きながらも、凛はこくりと頷く。


 そして、おずおずと光っているというそれにひたりと手を触れた。


 刹那、二人は眩い光に包まれる。先ほどとは明らかに違うそれに、結は少しばかり不安を抱く。


 それに、あまりにも強い光量のせいで、とてもじゃないがずっと目を開けていられない。


 耐えかねて、結はぎゅっと目を瞑った。金属製の瞼に差し込んでくる光はまだ止まない。


 どうか地上に戻れますように。


 そんな願いを込めて、結自身も熱い光を発する自分の胸に手を触れた。


 ——パァンと軽い音が鳴った。それは銃声のようで、弾かれた手のようで。


 結は痛みのあまり思わず目を開けてしまった。


「え……?」


 足元にはツルツルの床。地面だ。


 周りには真っ白な壁があって、上を見ればドーム状の天井がある。



 地上なのだろうか。少なくとも、あの謎の無重力からは脱したことが見て取れる。


 けれど——何かがおかしい。


 こんなドーム状の建設物はまだないはずだ。宙へ行く前にいた場所と同じ場所に戻って来ていればだが。


 しかし、ここへ飛ばされる前に見た建設物と特徴があまりにも一致している。


 あの切れ目のない、真っ白な壁面の球体。


 明らかに人智を超えた異様な存在であるあの球体。


 その中にいるのではないかと、結はヒュッと息を呑む。


 コツ、と隣で足音がした。


「あ、おい。どこ行くんだ。まだ何も情報がない中で歩き回るのは……」


 凛は何かを見つけたように、ふらふらとした足取りでどこかへ向かおうとする。


 そんな彼女の手をとり、その場に止めようとする結だったが、ぱさりと見せられた紙の文字を見て言葉を失った。


 どくん、どくん。


 先ほどまで触れていた胸のあたりが、急激に熱を上げている。心なしか、息も荒い。


 凛が見せてきた紙にはこう書いてあった。


 『誰かいる』と。


「ま、待て。それなら尚更ちゃんと作戦を立ててからの方がいい。もし相手が僕らバグを許さないやつだったらどうする」


「……」


「それは……そうだけど」


 彼のもっともらしい意見に、「でも行ってみなきゃ進まない」と書き返した凛は、いつもの呑気な雰囲気はどこへやら。毅然とした態度で一歩、また一歩と近づいてくる。


 カシャ、カシャ。


 カシャカシャ、カシャ。


 いつしかとは反対の位置で二人は歩く。


 ゆっくりと地面を踏みしめながら。辿ってきた道のりを思い返しながら。


 凛は足を止めた。その横に結が並び立つ。


 ゴウン、ゴウン。


 どこからか機械の音が聞こえてくる。


 それはもしかすると——反逆の合図だったのかもしれない。


 彼女らによって掲げられた文字にはこう書いてある。


 『あなたがみんなをロボットにした犯人ですか』。


 そこには確かな敵対心があった。


 二人の曇りのない、純粋で透明なびいどろに誰かが映っている。



 その誰かは紛れもない——わたしだった。



 わたしだったのだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る