第6話 自業自得
どれくらいの距離を走っただろう。肩で息をしながら、結は立ち止まる。
いくらロボットとはいえ、エネルギー量が減れば活動量も減っていく。
それに、結がこんな長距離を走ったことは、人間の時ですらなかった。
だから総走行距離は、作業場の最寄駅を少し過ぎたくらい。
そう、結は体力が絶望的にないのだった。
「はあ、はあ……。……何だよ」
無言でじっと見つめてくる凛を睨みつける。
勝手に連れ出したことに文句でもあるのだろうか。結は息を整えながら、そんなふうに考える。
しかし、凛が考えていることはそんな恨み言ではなかった。ただ、自分が急に知らない場所に連れてこられた理由を、無い思考力を使うようにして必死に考えていたのである。
微妙に噛み合わない二人だ。やはり、思考と感情は表裏一体、真反対の場所にあるようで実は近い存在であるからだろうか。
しばらく無言で睨み合う二人だったが、ポツ、と頭に落ちてきた水滴によって意識はそちらへ向く。
「……じゃ、僕は帰るから。ああ、明日からは作業場を変えた方がいい。まあ、そこでもあんな変なことはしないようにしなよ。……もう会うことはないだろうから、さよなら」
本降りになる前に早く家に帰りたい。帰って、ベッドに寝転んで充電しなくては。
結は矢継ぎ早にそれだけ言うと、身を翻して駅の方へ戻ろうとする。
しかし、その足は進まない。
凛が結の右腕をがっしりと掴んでいたのである。
「なんだよ。もう用はないだろう」
彼女は腕を掴んでいる方とは反対の手で、いつものように何も言わず紙を掲げていた。
けれど、普段とは違う点もあった。紙に書かれた言葉だ。
いつもは「世界を変えよう」だの「一緒にやろう」だの誘発の言葉を書いているのだが、今日は違う。
『どうして君は怖がっているの? 何が怖いの?』。
くしゃくしゃになった紙にはそう書いてあった。
結は無言でじっと見つめる。そんなことを聞いてきた凛の意図を探るように。
そして、何を思ったか突然凛の方へ踏み出した。
一歩、もう一歩とだんだん彼女の方へ近づいていく。
手を伸ばせば触れられる距離。そこまで近づいて、掴んだ。
戸惑っているのか、はたまた強気に立ち向かっているのか。無言の凛の頭を力任せに掴んだのだった。
「うるさい。僕に関与するな。君にそんなことを聞かれる道理はない」
震える手に力を込めながら放たれた言葉は、凛に向けられているようで、実のところ遠くの誰かに向けられているようであった。
びいどろの輝きが一瞬濁る。依然輝きを保っているのは凛の方だけだった。
「は……」
ガシャ、と重たい音が鳴る。
跳ね除けられたのだ、結の手が。凛の手によって。
結は戸惑いからか、腑抜けた声をもらす。
凛は結の目を一瞬だけ見つめると、握りしめていた紙に乱雑に言葉を書き連ねる。その字は静かな怒りを秘めている。
『私は人の目が怖かった。人からの評価が怖かった。面白くもないのに無理して笑ってたら、頭に霞がかかったみたいに何も考えられなくなった』。
突然の独白に、虚をつかれる。
しかしやはり、と思うと同時に眉をひそめる。
彼女もまた、無くした思考に対して問題を抱えていたのだ。
以前、学校で人気者だった彼女は、常に誰かの視線に触れていた。
そのせいか、凛は人気者キャラという肩書きを崩したくなくて、周りが望む反応を探ってそれを演じていた。
もちろん全部が全部その演技というわけではない。素を出して笑ったこともあるだろう。
けれど、圧倒的に前者の方が多かった。
自分を偽ることは莫大なエネルギーを消耗する。ゆえに彼女はストレスを抱えていた。
「このまま偽っていていいのだろうか」、「本当の自分ではダメなのだろうか」。そんな自分への問いを誤魔化し続けていると、ある時思考がまとまらなくなった。
考えることはできる。けれど、上手く結論を見出せない。
そんな問題を抱えているうちに、彼女は感情だけが残ったロボットと成り果ててしまったのである。
凛は続けた。
『多分私が感情だけ残ったのはそのせい。元から問題があったから、消される時に変になったんだ。それなら、あなたは? 思考だけ残ったあなたは何が怖かったの?』
どくん、と心臓が脈打った気がした。
いつも風来坊のような振る舞いをしているのに、突然核心をつくようなことを言われて戸惑っているのかもしれない。ああ、そうだ、きっとそうだ。
だからきっと、切なく鳴る鼓動の音も気のせいだ。
「……人。弱いものいじめをする人間も、勝手に期待して勝手に失望する人間も、そんなふうに捻くれた考えしか持てない人間も。全員嫌いで……怖かった」
ぽつりとこぼれた本音は、堰を切ったように溢れ出してくる。
学校という狭いコミュニティの中でも、カーストというものは存在する。陽キャだ陰キャだと決められたラインもないのに、何となくで分類分けされる。逃げ場が少ないという点では、大人の社会よりも世知辛い世界なのかもしれない。
そんな場所で結は人間の醜さを嫌というほど味わった。
いじめることでしか自分を肯定できない人間、そんないじめを傍観して、いつか終わるだろうと見て見ぬ振りをする人間、そして、たった一人の親友すら助けられない自分。
そんな自分に果たして価値はあるのだろうか。
考えて、考えて。感情が薄れていくのを感じて。ついに人と向き合うこと自体に嫌悪感を抱くようになって。
彼は思考だけが残ったロボットと成ったのだった。
ポツポツと雨粒が二人の体の表面で跳ねる。
凛がペンを走らせる音が、やけに響いていた。
書き終えると、彼女は勢いよく結に紙を向けた。
その紙にはこう記してあった。
『やっぱり君は優しい人間だ』。
「……優しい?」
こくこくと頷く凛は、続けて文字を書いていく。
『さっきも多分助けてくれたんでしょう?』、『私の話も聞いてくれるし』、『あなたは人のことを想える優しい人だ』。
どんよりとした空気が辺りに漂う。
ぽつ、と水滴が二人の頭に落ちた。
「優しい人間なら、きっと親友を見捨てはしないだろう」
俯いた結の声がくぐもる。
その声は、ざーっといきなり降り出した雨の音に、かき消されそうなほど小さな声だった。
「元の世界は嫌だ」
もれでた本音の一部。
それは止まることなく溢れて出てくる。
汚い人間ばかりだ。
みんな自分のことしか考えていない。
目先の利益に囚われたり、平気で人を傷つけたり。
だからロボットなんかにされたんだ。
だから感情も思考も奪われたんだ。
そうだ——自業自得なんだ。
「だから僕は、ロボットになったんだ!」
雨に打たれる結の目から一滴の雫がこぼれ落ちる。
それは雨のようで、雨ではなかったのかもしれない。
息を整えるように肩を上下させる結に、それまで呆然と眺めていた凛が近づく。
そして、震えているように見える彼の手をそっととった。
「なんだよ。言いたいことあるなら自分の口で言えよ!」
グッと力強く引いて手を抜こうとするが、想定よりも凛の力が強く、何度引っ張っても抜けない。先ほど払われたはずの手が今度はかたく握りしめている。
訳が分からない、なんなんだ、こいつは。
ザアザアと雨音が大きくなっていく。
凛がぐあっと口を開く。
「ビー、ビー、ビー」
一定の間隔で鳴る警告音。
何一つ言葉にならないそれに、今度は結が呆然とする。
しかし、ハッと目に光を宿すと、引っ張っていた手の力をだらりと抜いた。
「なんで……お前が泣くんだよ」
「ビー、ビー」
何度も何度も鳴る警告音。
絶え間なく凛の頬を伝い続ける雨の雫。
泣いているのだろうか。
ロボットなのに? 機械なのに?
まさか、感情の残ったロボットなら、泣くことさえ可能なのか。
ゴウン、と何かが結の体内を蠢いた。稼働するような音を立てた。
彼は確かにそれを感じ取った。
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