第16話 壊れていくわたしの心

「オーギュドリュネ殿下、好きです」


「ルゼリアよ、好きだ」


 二人はそう言い合った後、唇と唇を重ね合わせる。


 その瞬間、わたしの心は壊れていった。


「オーギュドリュネ殿下、あまりにも酷い仕打ちです……」


 わたしの目からは、とめどなく涙が流れてくる。


「ルナディアーヌよ、この通り、わたしとルゼリアはラブラブなのだ。きみの妹のことだから心配だと思うが、わたしがルゼリアを幸せにする。安心して処断されるがよい:


 オーギュドリュネ殿下がそう言うと、国王陛下と王妃殿下は微笑む。


 そして、恥ずかしがりながら微笑むルゼリアと、満面の笑みを浮かべる継母。


 わたしにはもう気力は残されておらず、ただ涙を流すことしかできなかった。


「このものを連れて行け!」


 オーギュドリュネ殿下は護衛の兵士にそう命じた。


 わたしはそれに対して、抵抗することはできない。


「オーギュドリュネ殿下、どうしてこんな仕打ちを……。わたしこそがオーギュドリュネ殿下の妃にふさわしいのに……」


 わたしはそうつぶやいた。


 しかし、その言葉はオーギュドリュネ殿下の耳に届いてはいないようだった。


 オーギュドリュネ殿下の心はもうルゼリアで一杯なのだ。


 婚約者を寝取られてしまったわたし。


 無念で仕方がない。


 わたしは涙を流したまま、護衛の兵士によって、この部屋から追い出されていった。




 そして、その数日後、わたしは処断されることになった。


 運命のあまりにも急な転変だった。


 処断の時まで閉じ込められる部屋は、地下にある為、肌寒くて薄暗い。


 そこでわたしは、硬すぎるパンと少量の飲み水を一日に一度与えられるだけ。


 食欲がもともとなくなっていた為、無理をしてそのパンを食べる気にはなれず、その少量の水を飲むことしかできなかった。


 その為、体力が衰えていく。


 みじめな境遇だったのだけれど、わたしはその境遇のつらさを味わう以前に、気力がなくなっていて、そこに入れられてから一日ほどは、ただ呆然とするだけだった。


 わたしは一日経った後、このままではどうにもならないと思い直した。


 そして、気力を取り戻す為の努力を行い、その気力で体力をカバーしようと思い始める。


 すると、気力は少しずつ戻り始めた。


 体力の衰えも少し弱まった気がしていた。


 ところが今度は、わたしの心が悔しい気持ちに覆いつくされていった。


「なぜわたしが処断されなければならないの!」


 この境遇のみじめさが、悔しい気持ちに拍車をかけていく。


 また一方で、自分のもっている能力が、ここまでの人生で全く発揮できなかったことも、さらに悔しい気持ちを増大させていく。


 わたしは、


「人の心を癒し、病気やケガを治療することのできる魔法」


 を持っていた。


 ただし、その力は弱く、軽い病気やケガ程度しか治すことはできない。


 このルラボルト王国では、一般の人たちの間では、魔法の存在を信じていない人がほとんど。


 この王国では、既に五百年ほど前からその魔法を使う人たちの正式な記録は途絶えていた。


 魔法を使える人たちは、もう五百年ほど正式には現れていないことになる。


 ただ、その記録が途絶える前の百年ほどは、既に廃れつつあった状態だった。


 もともとこの魔法が使えると言っても、軽い病気やケガを治せるものでしかなく、重要視されてなかったのがその理由だと思われる。


 その記録が途絶える頃には、


「この程度の魔法の力では、あってもなくても同じことだ」


 と言って嘲笑されるようになっていた。


 現在は、この魔法についての正式な記録が途絶えてから、五百年ほどの長い年月が経っているので、一般の人たちの間では、その存在を信じなくなっている人がほとんどになっていたのだ。


 ただ、王室や貴族たちの間では、現在でもこの魔法の存在を信じている人たちは一定数いる。


 昔のこの王国では魔法を使える人たちが存在していた。


 その多くは、王室や貴族の出身。


 こうした人たちのこの魔法の話が、それぞれの子孫に伝承されていったからだと思う。


 ただ、こうした人たちの中でも、現在において、この魔法を使える人が存在することを認識している人たちは少ない。


 この魔法は存在していることは、先祖からの伝承があるので信じても、使える人はもう存在しないと思っている人は多いのだ。


 しかし、正式な記録は途絶えたものの、この魔法を使える人が途絶えたわけではなかった。


 この魔法を使える人はごく少数ではあるが、現在でも存在している。


 わたしを含むほんの一部の王室や貴族の人たちは、この魔法の存在を認識していた。

 

 わたしもこの魔法を使える人たちの一人ということになる。


 とはいうものの、わたしを含めたこの王国の人たちは、今も昔もこの魔法を弱い力でしか発揮することができなかった。


 こうした状況だったので、


「魔法が使えます」


 と言っても、嘲笑されるだけだった。


 この魔法の存在を知っている人たちは、重い病気やケガを治せる力を求めていたので、その力がないということになれば、軽蔑の対象でしかなかった。


 これが大きな理由となって、この魔法を使える人たちは、そのことを前面に出さなくなり、そして、記録が残らないということにつながっていったのだった。


 わたしは「悪役令嬢」的に生きてきて、プライドが高かったので、嘲笑されることが特に嫌だった。


 その為、その魔法を持っていることは自分の中にしまいこんでいた。


 その能力を向上させるとか、同じ能力を持っている人たちとの連携ということもその気になればできたのかもしれない。


 しかし、そういうことは全く検討をすることはなかった。


 今思うと、こうした検討をすべきだったと思う。


 そうすれば、オーギュドリュネ殿下がいくらルゼリアのことを気に入ったとしても、ルゼリアに寝取られるところまでに発展することはなく、婚約破棄を避けることができたのかもしれない。


 また、こうした検討まではいかなくて、力が弱いままだったとても、人々の為に少しは役立つことができた可能性はある。


 そうすれば、処断だけはされなかったかもしれない。


 でももうすべてが遅い。


 そう思うと悔しさで心が沸騰し、苦しい状態が続いた。


 そして、わたしは悔しい気持ちに覆われたまま、処断される日を迎えた。


 しかし、わたしはこの気持ちのままで処断されるのは嫌だった。


 少しでもいいから明るい気持ちでこの世を去りたかったので、気持ちを少しでも切り替えようとしたのだけれど、今度は、間もなく生命が奪われてしまうという恐怖に襲われた。


 今までは、悔しいと思う気持ちが強かったので、その恐怖は薄まっていた。


 わたしはそれを何とか乗り越えようとした。


 わたしはこの世界の大部分の人たちが思っているように、もともと人生はこの世限りだと思っていた。


 しかし、人生が一度きりだとしたら、わたしの人生はあまりにも救いがないと思う。

 

 処断される前になって、わたしは人生がこの一度きりで終わりたくないと思うようになっていた。


 来世というものがあってほしいと思うようになっていた。


 とはいうものの、来世というものがあることは、この世界のほとんどは認識していないし、今のわたしにもわからない。


 それでもわたしは、来世というものに希望を持ちたかった。


 そこで、わたしは生命が奪われる時まで、


「来世というものがもしあるのでありますならば、次は素敵な男性と相思相愛になって結婚したいと願っています。そして、結婚後はお互いを愛し続けていき、一緒に幸せになりたいと願っています。この願い。どうか、届きますように」


 と一生懸命祈っていた。


 もう二度と、今世のような悲惨な人生を送りたくなかった。


 その願いが通じてほしいということを、心の底から思っていた。

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