第19話 初めての異世界
「ハァ〜、スッキリしましたにゃん」
この危機的状況下にあって、どこからともなく間の抜けた声が聞こえてくる。
「あっ!!」
慌ただしい騒動の中、タマと共に呑気にお風呂に入っていたニャトランが姿を現したのだ。
それと共に僕は忘れていた事が何だったのかを思い出した。もちろん彼がこの現状に気付いている様子は無い。
とにかくマイペースなニャトランは僕達が危機的状況下に置かれる中、呑気にお風呂に入っていやがったのだ。しかもドライヤーでブローをしたのか毛皮がツヤツヤだ。
「…… 」
「ああセイジ殿、お先にお風呂をいただきましたニャ。いい湯加減でしたニャン」
そんな呑気なニャトランの斜め横、グチャ〜ン!という何が弾け飛ぶ音の後、強化扉と居住区を遮る扉を破ってあの人面ナメクジが姿を現した。
『ヂチチチチチ〜!!』
ナメクジが出している触手にも強酸作用がある様で、触手で障害物を溶かしながらここまで来た様だ。
そんな人面ナメクジが獲物を見つけた喜びからか、その悍ましい顔に笑みを浮かべる。
「にゃ?! にゃにゃにゃにゃぁぁん?!!」
なにが起きているのか状況をまったく理解出来ていないニャトラン。突然の人面ナメクジの襲来に手足をバタつかせている。
「に、ニャトラン逃げるんだ!!」
そんな僕の叫びにも気付く事なくパニクったニャトランはより一層に手足をバタバタと振り乱し混乱必死だ。
画面越しではなく生で見る人面ナメクジの化け物は、その見た目の醜悪さと相まってたとえ様のない嫌悪感と恐怖心を僕らに与えた。
そんな僕等をニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら見る人面ナメクジの化け物。その顔からは獲物を追い詰めたとの余裕が伺える。
そして化け物は、1番近くにいたニャトランを獲物として捉えると、悍ましい口元の笑みを強めニュルニュルと触手を伸ばしてきたのだ。
「ギニャ〜〜ン!!!」
「に、ニャトラン!」
国分さん達はもう既にゲートを潜り抜けている。これから僕も彼女達に続こうと足を踏み出しゲートに突入しようとした際の出来事。
助けに行きたいが未完成なゲートの時間制限が来たのか、ゲート徐々に薄れていっている。保ってあと10秒程、彼を助けに行っている間はない。
僕がここに残ったとしても強力な魔導具は国分さんに渡してある。今ある魔導具でもニャトランと逃げる事くらいは出来ると思う。
だがそうなれば、先に異世界に行った国分さん達を見捨てる事になってしまう。
向こうには先に渡ったマーク達も居るが、今のこの現状を作ったのは間違いなく彼等だ。
彼等が僕達の居た地下室に逃げ込んで来た事で、国分さん達を巻き込む事になってしまった。
それにマークはゲートが完成すると僕らを残して真っ先に逃げ出した輩だ。そんな自分達の事だけを優先させている奴は信頼ならない。
それにニャトランは『good luck on your end』というどんな夢でも叶う凶運のスキルの持ち主だ。まず死ぬ事はないだろう。
タマと彼だけなら何とかなりそうな気もする。なので彼には悪いが僕は異世界に行かせてもらう。
それに何より、僕自身が異世界へ行きたい。辛辣だろうが何だろうが、僕は異世界に行きたいのだ。
そして僕はニャトラン達に未練を残して、異世界へ続くゲートを潜り抜けた。
そんな僕が最後に見たのは、悍ましい人面ナメクジに続く様に現れた人面カマドウマの姿。
それと共にニャトランがナメクジの触手に絡め取られる寸前に、3メートル程の大きさに巨大化して彼を口に咥えて跳躍し、一瞬の間にゲートに突っ込んで来るタマの姿だった。
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「ーーグフッ!」
次に僕が感じたのは重量のある何かに潰されたかの様な圧迫感と、モサモサで獣臭い野獣の毛皮の感触だった。
「痛たたた……」
その圧迫感も次の瞬間には無くなり、圧迫感から解放された僕は腰を摩りながら半身を起こして辺りを伺う。
そこには見渡す限りの草原が広がっており、それ以外には何も見受けられない。
「にゃ〜ん…… 酷い目に会いましたニャン……」
僕の隣には同じ様にタマさん?に潰されていたニャトランの姿があり、僕と同じ様に腰を摩っている。
そしてゲートに突撃する際は大きかったタマさんもいつの間にか普通のサイズに戻っており、腰を摩るニャトランの横で毛繕いをしていた。
「…… タマさん、今の姿は一体…… 」
そんな僕の問いかけにタマは、「ニャン(何の事)?」と言わんばかりに首を傾げて知らんぷりを決め込んでいる。
「…… (確かに頭の良い猫だとは思っていたけど、まさかタマさんが巨大化するなんて思いもしなかったよ……)
タマさんはお祖父ちゃんが生前の頃から飼っていた猫?だ。僕が幼少の頃からあの家に居た記憶がある。
いつの頃から家に居たのかは知らないが、かなりの高齢猫なのは間違いない。まあタマさんもこの事には触れてほしくなさそうなので、これ以上の追求は辞めておこう。
それ以前に僕には気になる事が有る。僕らが飛ばされて来た場所は、辺りには何も見当たらない草原のど真ん中。
そして何故かそこに、先に渡ったはずの国分さん達の姿が見られなかったのだ。
「タイムラグか…… 転移の場所にもズレがある様だし、やはりゲートを開く際はゲート三原則は必須だな……」
お祖父ちゃんが確立した安全に異空間を渡るためのゲート三原則。
そのゲートを開く際の三原則を守らなかった代償か、どうやら先に渡った彼女達と幾許かのタイムラグと転移場所のズレが生じてしまった様なのだ。
彼女達とどの程度の時間の開きがあるか分からないが、そんなに大きな開きは無いと思いたい。
タイムラグだけなら良いが、ひょっとしたら転移後の位置にも僅かなズレが生じている可能性がある。
彼女達には身を守るための魔道具などを渡してあるため、最悪の事態にだけには陥って居ないと思いたいが……
「なあニャトラン、ここは君の居た世界かい?」
「う〜ん…… どうですかニャ? 吾輩には分かりかねますニャン…… 」
「そうか、分からないか……」
ニャトランは彼が元居た世界と同じ世界かどうかは分からないという。
まあ元の世界では妹に寄生して、食っちゃ寝えの生活をしていたニャトランが、地理に詳しいとは思えない。
正直最初から期待はしていなかった。彼は当てにならない。ならば自力でどうにかするより他はないだろう。
「フゥ、一先ずは彼女達を探そうか……」
この世界に日中夜の区別が有るのか分からない。だが太陽らしき物は見受けられる。
地球を参考にした時間的に今は午後の4時頃か、運が良い事に気候も、地球で言うところの春先の過ごしやすいものだ。
ニャトランも心地よい陽気に欠伸をしている。
先の見えない現状にあって彼の様な呑気は正直羨ましいと思う。
とはいえここで呑気に昼寝をしている間はない。
「ここが何処かも分からないし、とにかく人が居る村か町を目指そう」
「はいですニャン」
ベージュのチョッキに付いたゴミを払いながらニャトランが返事を返してくる。
どこまでも続く平原を見ながらこれから始まる未知の冒険の事を思い、ため息が出るのはおかしな事だろうか?
そして僕達は先にこの世界に渡った国分さん達を探すため、異世界での第一歩を踏み出したのだ。
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清司達がゲートを潜り抜け異世界へ逃げた後の地下室。
彼等の後を追う様に跳躍していた人面カマドウマが、ゲートが消えた事によりその背後にあった壁にしこたま体を打ち付けていた。
『ギギュルルル……』
そんな少しマヌケな人面カマドウマを見下す様に、冷めた視線を向ける人面ナメクジ。
地下室には人面ムカデも入って来ており、逃げ遅れた者は居ないかと辺りを具に探している。
そんな地下室に赤黒い閃光と共に何者かが転移して来た。それと同時に悍ましい化け物達が、一様に怯えた表情に変わったのだ。
悍ましい化け物達の元に転移して来たのは、この化け物を創りしマスター.メナス(魔導書の所有者)。
魔導書で創り出した魔物の元に転移出来るという特使能力を使って、この場にやって来たマスター.メナスは16歳位の少女。
黒いワンピースに腰まである黒い長髪、少し病んでいるのか幽鬼の様に痩せ細り自傷傷の跡が手首に伺える。
雛人形の様なぱっつん前髪で元の顔は可愛い顔だったのだろうが、拒食症の影響で今は痩せこけて見る影も無い。
そんな彼女でもその目だけは、世の中の全てを恨むかの様にギラギラと瞬いている。
彼女の胸には大切そうに一冊の本が抱かれている。力を使う時にだけ姿を現す無気味に脈打つ真紅の魔導書『破滅の書』は、少女と同化する様にその体内へと消えていった。
そして少女は怯えた様子で一列に並ぶ化け物達の元まで行くとその口を開いた。
「…… で、『死霊組成』の所有者は? 」
その彼女の問いにブルブルと震え出す化け物達。そんな怯える化け物達に何を思ったか少女は、震えて怯える人面ナメクジの元まで行くと、その頬に優しく自身の手を添えた。
「ねぇママ、捕まえろと言っておいたのに、まさか逃したの?」
『…… グ、グギルルル…… 』
「言い訳はいいのママ、言い付けを守れなかった罰を与えなきゃね」
そう言うと少女はナイフを取り出し、人面ナメクジの耳を切り落としたのだ。
『ギュ〜〜!!』
化け物の切り落とされた耳の部分があっという間に再生されていくが、通常の数十倍の痛覚に設定されている人面ナメクジの化け物が悲痛な悲鳴をあげる。
この化け物達は少女が創り出した生物だ。そのため痛覚やそれに連なる感覚や再生能力を、少女が自在に変える事が出来る。
今の化け物達は通常時の10倍の痛覚に設定してある。化け物達に罰を与える際にはいつも少女はこうしているのだ。
彼女が作る怪物は姿型は彼女の自由に造形出来る。だが彼女はあえて家族の顔を化け物に残した。
「私が小さい頃に躾けと称して、ママ達も私を良く殴っていたでしょ? だから、私もママ達に同じ事をするの。痛みを与えなくちゃ分からないものね」
耳が再生した後は鼻を切り落とし目玉をくり抜く。それを元父と兄だった化け物達にも繰り返し行う。
元家族だった化け物達の苦痛の叫びがこだまする地下室で、拷問に明け暮れる少女。
何分くらい経っただろうか、それに飽きた少女は壁に貼られた前国幽斎の写真を見る。
「へ〜、このお爺さんが前の黒幽斎か。新しい所有者も見たかったなぁ…… (同じマスター.メナス同士、友達になれると思ったのに……)
少女は化け物達に荒らされて見る影も無い地下室を見るとため息を溢す。
「…… これじゃあ敵対行為と変わらないよね」
少女は今"グリモア''という魔導書を所有する者だけで作られた組織に所属している。そこで『死霊組成』の所有者の話を聞き興味を持ったのだ。
自身と同年代の魔導書の所有者。
そして『死霊組成』の所有者は、この界隈ではアンタッチャブルと呼ばれ、敵意を持って近づけば手痛いしっぺ返しを受けると聞いていた。
そのため自らが創り出した魔物に彼の探索を命令したのだ。その結果が勘違いをした魔物達による襲撃である。
殺すつもりは無かったが少々暴れ過ぎたようだ。
少女は自らが創り出した魔物と五感を共有する事が出来る。それはどんなに離れていても可能だ。
そして『死霊組成』の所有者がゲートに消え、カウンターの警戒が無くなった事でこの場所に転移して来たのだ。
今まで人付き合いの無かった少女には、人との接し方は分からない。だから少し強引に事を進め過ぎてしまった。
もし彼女が悪意を持って魔物を向わせていたら、彼女はカウンター.マリスによって排除されていただろう。
だが彼女の目的が清司との親睦だったためその凶牙から逃れる事が出来たのだ。
「まあ仕方ないかな。またチャンスはあるよ、きっとね…… 」
そして少女は彼女に怯える化け物達を従えてその場を去って行った。
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