第47話 あの日のこと

 渓流に沿ってしばらく歩いたあと、たまきはのぞとリュウから少し離れた川べりに腰を下ろし、釣りを始めた。

 日差しは柔らかく、頭上を通る木々の葉が、川面にちらちらと影を落としている。

 やがて、のぞとリュウが「飲み物買ってくるね」と言い残して、釣り場を離れていく。

 一人、釣りを続けるたまきであったが、相変わらず餌だけ持っていかれてしまう。


「おっかしいなぁ……」


 と、川面を覗き込んだところで、かおるんから電話が入った。


 「たまき、駐車場来てくれる?」

 「あ、うん。わかった。すぐ行くね」


 通話を切ると、たまきは手早く道具類をまとめた。

 足元の石につまづかないよう注意しながら、そのまま駐車場の方へ足早に歩き出す。



 そこには白いワンボックスカーが一台、静かに停まっていた。

 たまきが近づくと、後部座席の窓がするりと開き、ゆりゆりが顔を出して手を振る。


「たまき〜! こっちこっち!」


 たまきは助手席に乗り込んだ。

 運転席にはちな、後部座席にはゆりゆりとかおるんがすでに乗っている。


「これからどうするの?」


 たまきが聞くと、すぐさまゆりゆりが振り返って答える。


「のぞの部屋に入って、二人を待ち伏せして」

「待ち伏せ? でも鍵……」


 言いかけたたまきに、かおるんがさらりと小さな鍵を差し出す。


「あるよー。作っといた」

「えええ!?」


 たまきは思わず声を上げ、目をまるくした。

 なんでも、鍵に記載されている番号がわかれば、合鍵は簡単に作れてしまうらしい。

 かおるんはのぞのカバンからこっそり家鍵の写真を撮ったのだという。

 怖い世の中だなと、たまきが内心思っていたところで、ゆりゆりが、


「で、二人が部屋に入って来たところで『待ってたよ』ってたまきが言うの」

「こわ!」


 と、思わず声に出た。


「そう。こいつ怖いな、イカれちゃってるなって思わせるのが大事だから」


 ゆりゆりの顔は真剣だった。


「できそう?」


 ちなが、たまきの顔を覗き込む。


「たまき、とことんのぞに嫌われるの。向こうから嫌いにさせるの」

「そうそう、今まで散々嫌なことされてきたんだから」

 

 ゆりゆりとかおるんが続けて言う。


「そうだよね、うん、頑張る」


 たまきは、かおるんから受け取った鍵をぎゅっと握り締めた。



 その後、ちなは車を発進させ、のぞのアパートへと向かった。

 リュウがのぞを連れ、たまきを置いていったのも、ゆりゆりの指示によるものらしい。

 のぞの家鍵を手に入れたことで、ゆりゆりたちは、のぞの部屋でパソコンを壊したり、部屋をめちゃくちゃに荒らしたりといった大胆な作戦も考えていたらしい。

 けれど結局、リュウとのラブラブな二人きりデートから戻ったばかりのところに、たまきが勝手に家に入り込んでいる――というホラー要素満載の“天国から恐怖作戦”を思いついたのだという。



 たまきは3人から「ガンバ!」とエールをもらい、ひとり、のぞの部屋に足を踏み入れた。

 部屋は、甘ったるい匂いがする。

 今日、のぞが現れたときに香った匂いと同じだ。

 ローテーブルの上には、香水の瓶が置かれている。

 普段は香水なんてつけないのに、リュウのために買ったのだ、きっと。


 たまきはベッドの上に腰を下ろし、静かに部屋の中を見渡した。

 何度も呼ばれて訪れたこの部屋――。

 初めて来たのは、いつだっただろう。

 たしか、大学1年のゴールデンウィークに、5人でネモフィラを見に行った帰りに、立ち寄ったのが最初だった。

 お互い実家は遠くて、初めてのひとり暮らしだったから、「自炊どうしてる?」「寂しいよね」とか、そんな話をして。自転車で10分くらいの距離に友達がいるのって、心強いなって思ったことを覚えている。

 あの頃は、楽しかったな。

 素直に、そう思う。

 でも、人間関係って、どうしてこう、変化してしまうんだろう。

 私がもっと、距離感をちゃんとしていれば、こんなことにはならなかったのかな。


 ゆりゆりは、人との距離の取り方がうまい。

 仲は良いけれど、決して踏み込みすぎない。

 人を中に入れすぎない一線が、彼女にはちゃんとある。

 かといって、近寄りがたいわけではないし、むしろ交友関係は広くて、友達も多い。

 自分の芯がしっかりしているからこそ、そういうバランスが取れるんだと思う。

 きっとゆりゆりだったら、のぞとこんなことにはなったりしない。

 たまきはそんなことを考えながら、こてん、とベッドに横になった。



 


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