第28話 攻防
外はすっかり暗くなり、ファミレスの店内には、ほどよい賑わいが広がっていた。客たちのざわめきと、スピーカーから流れるポップなBGMが、ゆるやかに混ざり合っている。
たまきは厨房前のカウンターに立ち、注文の品が出てくるのを待っていた。奥からはフライパンの軽やかな音や、店員たちの手際よい掛け声がとび交っている。
そこへ、のぞが歩み寄ってきて、いつもの調子で尋ねる。
「シフト、8時まででしょ?」
「うん」
たまきは、顔を向けずに短く答えた。
「じゃああとで、うちね」
一拍、空気が止まる。
(ちゃんと断らなきゃ……)
たまきの唇がわずかに動く。何か言おうとした瞬間——
「実家から、ブドウ届いたんだ」
のぞが、あくまで何気ない調子で続けた。たまきの返事を求めることもなく、厨房から差し出されたプレートをすっと受け取り、客席に向かおうとする。
そのまま行ってしまいそうな背中を見て、たまきは咄嗟に声を出した。
「私、レポートやらないと……」
のぞは立ち止まり、軽く振り返りながら、眉をひとつ上げて言う。
「締切、まだ先でしょ?」
「進めときたいの」
たまきの言葉は、少しだけ固かった。断ることに慣れていないたまきの精一杯の言い分だった。
けれど、のぞはほんの一瞬だけ間を置いてから、ふっと笑みを浮かべた。
「じゃ、一緒にやろ」
それだけを言い残して、料理の皿を手に、軽やかな足取りで客席の方へと歩いていく。
「あ……」
返す言葉もなく、たまきはその場に取り残された。
誘いを断るってこんなに難しいのかと、たまきは打ちひしがれながら、のぞの背中が遠ざかっていくのを、ただ見つめていた。
「早く持ってって!」
厨房の奥から飛んできた声に、たまきは肩をすくめる。
「はい、すみません!」
我に返ったように返事をし、手早くプレートを受け取って客席へと向かっていった。
仕事が終わり、たまきとのぞは更衣室で制服から私服へ着替えていた。たまきがふいに顔をしかめる。
「いたた……」
軽くしゃがみこむようにして、お腹を押さえる。
「え?」
のぞが振り向くと、たまきは少し苦笑しながら言った。
「ごめん、ちょっとお腹痛い……」
そう言い残し、たまきは足早に更衣室を出て行った。のぞは心配そうにたまきを見送る。
たまきは駆け込むようにトイレの個室へ入り、素早く扉に鍵をかけた。背中をもたせかけるようにして、ふうっと大きく息を吐く。
お腹が痛いのは、嘘だ。
のぞはすでに私服に着替え終わり、更衣室のベンチに腰を下ろしていた。スマホを手に、気ままにタイムラインを眺めながら、時間をつぶしている。
そこへ、たまきからメッセージが届く。
【ごめん、お腹ピーピーだから先帰って】
のぞは画面に文字を打ち込む。
【待ってるよ】
数秒の間を置いて、再びたまきから返信が来た。
【まだかかりそうだから】
その文字を見つめたのぞは、スマホをしまい、無言のまま更衣室を出た。 そして、トイレの個室の前まで来て、ノックする。
「たまき、大丈夫?」
中から少し間をおいて、たまきの声が返ってくる。
「うん、ごめん」
「そんな痛いの?」
「うん、ごめんね」
たまきは少し苦しそうな声を出して言った。
のぞはドアの前でしばらく立ち止まっていたが、やがて静かに言った。
「じゃあ、先帰るから」
「うん、そうして。ごめんね」
トイレの入り口の扉が閉まる音が聞こえると、たまきはふっと息を吐いた。
個室の中で両腕を大きく上げて伸びをし、軽く首を回す。あと数分、このまま時間を潰そう。そんなことを考えていた、そのとき。
コンコン、とノックの音が響いた。
「……!!」
思わず背筋が伸びる。ドアの向こうから、静かな声が届いた。
「田崎? 安東なら帰ったよ」
美和子の声だった。
たまきはゆっくりと個室の扉を開けた。
「すいません」
と申し訳なさそうに個室から出てくる。
「安東が、あのカズキだったとはね。ごめん、面接のときに気づくべきだったよね」
「いえ、店長は悪くないです。私が悪いんで」
「私からガツンと言おうか?」
美和子の声には優しさがにじんでいたが、たまきは首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。今日は、ご迷惑かけてすいませんでした」
たまきは、美和子を心配させないよう、のぞをまくためにトイレに籠るとメッセージを送っていたのだった。
「帰りますね」
と、たまきは力の抜けた声で言った。
「うん……気をつけて」
「はい」
たまきはぺこりと頭を下げると、更衣室へと歩いていった。
その背中からは、どっと疲れが押し寄せているのが見てとれた。
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