第37話 君の幸せを願う
「元気を出してくださいませ。きっと、間が悪かったのですわ」
密封容器の入った紙袋を揺らしながら、みのりさんの目が優しく微笑む。おそらく、マスクの下の口も微笑んでいると思う。
密封容器の中身は、出来立ての油揚げ餃子――天使料理教室の成果物だ。
負傷者扱いの観月は途中から見学するしかなかったのだが、みのりさんはちゃんと料理を作り上げ、試食もそこそこに油揚げ餃子を例の「お世話になった初恋のお狐様」のいた神社にお供えしにいこうとしていた。
観月は、お供えするも何も、そのお狐様は店に来ている伏見なのではないかと思っていたのだが、ところがどっこい。二人とも、楽しそうに初対面の会話をしていたのだ。
「美濃部と申しますわ。ルーツは岐阜県の美濃らしいのですけれど、アタシ自身の地元はこの辺りですの。あなたは、関西のお方?」
「おっさん? 京都京都。名前も伏見稲荷やし。はんなりしとるやろ?」
天使との気まずい空気に押しつぶされそうになりながらも、観月はそんな二人を観察していたのだが、やはり「あの時のあなた?」となる気配はない。
そのそも観月の思い過ごしだったのか、それとも長い月日が二人を遠ざけているのかは分からない。そして、観月がそこに踏み入ることなどできなかった。
「……初めての恋は、とても尊いですわ。観月さん」
神社に向かう道中、「大丈夫ですよ!」と空元気をかましていた観月の心を見抜いたらしい。みのりさんは、優しい声で落ち込んでいる観月を包む。
「だって、一度しかありませんのよ? 口では説明できないような、初めて感じる恋慕の情。憧れ、夢……。後からは経験できないハジメテの感情。あなたは、それを悲恋に変えてしまってはいけませんわ」
「みのりさん……」
悲恋という切ない響きが胸を貫く。
ニンゲンとアヤカシの恋は成就しないと言っていた伏見。ニンゲンに寄り添えるのかと問うたミャーコさん。壁を作ってしまった天使――。
この初恋を諦めてしまう理由なら、いくらでもある。
だが、アヤカシに恋をした元ニンゲン――みのりさんは、初めから観月を応援してくれていた。死とともに諦めた自分の恋を託すという意味もあるのかもしれないが、彼女の言葉は泣き出しそうな観月の胸に温かく染み込み、熱を与えてくれた。
「私、シェフと両想いになったら、ヴァンパイアだってことを伝えるって決めてるんです。シェフなら、それでも受け入れてくれるって信じてます。困難ばかりの初恋ですけど、それでも私は叶えたい……」
「それでこそ、観月さんですわ!」
まだ何の進展どころか後退しかしていないというのに。
だが、先ほどまでの暗い気持ちはどこかに消え失せ、観月は顔を上げて笑うことができた。
(シェフときちんと話そう。避けられても、焦げ臭くても。前みたいに一緒に笑い合えるように――)
***
みのりさんに連れられてやって来たのは、彩花神社――観月が合格祈願をしに来た際に伏見とミャーコさんに出会った神社だった。相変わらず柱にヒビが入っているような古びた神社で、ひっそりと存在感のない寂しい場所だが、みのりさんはその境内へと真っすぐに進んでいく。
「ここが、初恋のお狐様の?」
「そうですわ。生きている間は、よくお狐様とここで遊びましたの。……アタシ、またお狐様に会えるんじゃないかと、たびたび来てはいたんですけれど……」
みのりさんは「会えなかった」という言葉を口にはしなかったが、寂しそうな目がそう言っていた。
アヤカシは、地縛霊ではない限りその場に留まることはないし、不死でもない。だから、神社にお狐様がいなくなっていても何の不思議もないのだが、それでもみのりさんはここに通い続けていたという。
一目会いたい――、そんな想いがみのりさんの胸には今日までずっとあったのだ。
「さぁ、油揚げ餃子をお供えしますわね。観月さん、ニンニクの香りがすると思いますから、マスクをしっかりなさって」
「はい……!」
みのりさんは密封容器を開いて紙皿に油揚げ餃子を綺麗に移すと、そっと境内に供え置いた。そして、口を覆い隠すマスクを外し、両手を合わせる。口の端は刃物で切り裂かれ、耳の近くまで深い傷になって残っていた。
だが、観月はそれを醜いとも恐ろしいとも思わない。恋をして幸せになろうとするみのりさんは、観月の憧れる女性であり、とても美しく見えた。
「お狐様。たくさん助けていただいたのに、あなたとのお約束を守れなかったこと、本当に申し訳ありませんでした。……あなたへの未練でアヤカシに転じたアタシですが、この度婚姻をすることとなりました。どうか……、どうかみのりの門出を見守りくださいませ」
みのりさんが、小さな声で祈りを捧げた時だった。
彩花神社に紅葉した木の葉がふわりと舞い上がり、その葉の中から琥珀色の耳と尻尾をした妖狐の青年が現れたのだ。
「久しぶり。変わらないね、みのりちゃん」
「お狐様!」
みのりさんの言葉に、観月は驚きを隠せない。
お狐様が現れたことももちろんだが、それがおじさんの伏見ではなく、爽やかイケメン男子の姿をしていたことも予想外だったのだ。
(だって、だってあのヒトは……)
観月は喉から出そうになった言葉をグッと飲み込むと、黙って二人を見つめた。
まるで、時が戻ったかのような懐かしい空気が二人を包み、落葉も穏やかに舞い散っていく。すれ違い、切なく終わった初恋の香りが辺りに満ちる。
「みのりちゃん、これ、オレのために作ってくれたの?」
「は、はい……。油揚げの餃子ですわ。お世話になったあなたに食べていただきたくて……」
みのりがおずおずと皿を差し出すと、お狐様は油揚げ餃子を一つ二つと次々に口に放り、もぐもぐと美味しそうに飲み込んだ。
その早さにはみのりさんも驚いたたようで、「よく噛んで食べないといけませんわ!」とおろおろしているのだが、そんな彼女を見るのが楽しいのか、お狐様は愉快そうにクククッと喉を鳴らして笑っている。
「ご馳走様。美味しかったよ。約束破りの対価には足りないけど」
「それは、本当に申し訳ありません……」
「うそうそ。オレは、みのりちゃんが幸せなら十分。君の魂は、アヤカシになったとしてもオレには輝いて見える。その輝きが、いつまでも続くのならそれでいいいんだから」
お狐様は、みのりさんの頭を子どもにするソレのように優しく撫でると、うんうんと頷く。
みのりさんの魂がニンゲンだった時、それが聖人の輝きを放っていたとしても、アヤカシに転じた今、同じように見えることはないはずだ。
だが、お狐様は「変わらない」、「輝いてみえる」と言った。その言葉にきっと嘘はないのだろうと、観月はぐすりと鼻をすすりながら二人を見つめた。
「ありがとうございました。お狐様。……アタシは、あなたの幸せを祈っております」
「ありがとう。君の祈りは、オレに力をくれる」
お狐様はそっとみのりさんの頭から手を引くと、それ以上彼女に触れようとはしなかった。
実ることのなかった初恋にすがりはしない。ただ、悲恋が淡くあたたかな思い出として形を変えたことが、二人を未来へと進ませる。
「さようなら。オレの可愛い花嫁」
再び秋の木の葉が神社を舞い包み、強い風が吹き抜けていったかと思うと――、もうそこには、お狐様の姿はなかった。
「おかげで、願いが叶いましたわ。最後に、お会いできてよかった……」
「本当に。お狐様、喜んでくださりましたね」
観月はみのりさんの晴れ晴れとした顔を見て、少しだけ複雑な気持ちを胸に抱きながらも笑顔を返した。
みのりさんとお狐様が良ければ、この終わり方でかまわない。
けれど、観月は彼の優しさに気がついてしまった。
(本音を化かすのは、つらくないですか。伏見さん……)
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