第7話 片想いの手と婚約者の手(1)

 東から緩やかに光を強めて天頂に昇る太陽とは一転して、枢木隊の面々からは生気がじわじわと削られていく。


 ドサリ、ドサリと次から次へと地に伏して倒れる身体。薫も例に漏れず、ドサリと地に這いつくばり「も、もう無理……」と呻いた。


「本当にいつも以上にしごいてくるよ、あの人」「午前でコレは本当に半端ないぜ」「妹の危機だと思っての騒ぎが、まさかこんな羽目になるとはな……」「嗚呼、そうだった。思い返せば、柚木、全てお前のせいだったな」「私のせいなので私に集中砲火して下さいって言って来いよ」

 倒れ込みながら発せられる呻きが、徐々にとんでもない責任転嫁に変わってくる。


 薫は直ぐさま「嫌ですよ」と苦々しく切り返し、「先輩達が始めに騒いでいたじゃないですか」と、鋭く突っ込む。

「それに、私のお兄ちゃん達なんでしょ。可愛い妹を庇ってあげようって心はないんですか!」

「全然可愛くはない」「手がかかるとしか思えないよな」「分かる」「それに俺達は兄だからこそ厳しく接するんだよ、じゃないとお前が強く逞しくならないだろ」「これは兄としての優しさってもんだよな」

 つらつらと打ち返される言い分に、薫は「何ですか、その酷い言い分は!」と憤然とした。


「本当に先輩達って、都合良すぎでしょ!」

 ガバッと起き上がり、平然と物を申し続ける先輩達を睨めつけて張り叫ぶ。


 すると「ほお」と、後ろから意地の悪い感嘆が零れた。その声に、薫の全身は直ぐさまぶわりと粟立つ。

 薫はゴクリと唾を飲み込み、戦々恐々と振り向いた。


「まだ吠えられる元気があったとは。なかなか成長しているじゃないか、柚木」

 木刀を手にし、ニタリと口角をあげる鬼こと枢木雅清は「もう十本やるか」と、くいっと道場を顎で指す。


「いえいえいえいえいえっ!」

 薫はぶんぶんっと首と手を左右に素早く、そして力いっぱい振って答えた。

「もう無理です! 今は兎に角、なるたけ長い休憩を所望します!」

「そんなに動く元気があれば、休憩なぞ必要ないだろう。上がれ」

 有無を言わさぬ物々しい宣告に、薫は内心で「嫌ぁぁぁぁ!」と甲高い悲鳴をあげながら精一杯拒否する。

 そんな心を隠しきれず、ついつい表の薫も「嫌」と泣きそうな顔で零してしまったが。雅清は歯牙にも掛けず、淡々と道場に上がった。


 ……逃げ場なし、だわ。

 薫はがっくりと肩を落として、自らの死地によろりと足を進めた。


 その時だった。

「枢木中佐」

 と、基地の廊下側から一兵卒が道場に入り、雅清に向かってそそくさと駆け寄ってくる。


 雅清はその姿に「何だ?」と眉根を寄せ、駆け寄ってくる兵を迎え入れた。

「枢木中佐に、お客人様がいらっしゃいました」

「客人だと?」

 告げられた報告に、雅清は「今、俺達の班は訓練中だが?」と言わんばかりの顔を見せつけた。


 その一兵卒は凍てつく程の威力を持った無言の苛立ちに「申し訳ありません」と身を縮めてから「ですが、お通しせざるを得なくて」と、泣きそうな声で答える。


「お、お客人様と言うのが……その、東雲優衣子嬢でいらっしゃいますから」

 東雲優衣子嬢。おずおずと告げられた名前に雅清は勿論の事、薫を始めとする枢木隊全員に衝撃が走った。

 屍と化していたはずの男達が揃ってガバッと起き上がり、雅清と報告に駆け寄って来た一兵卒を静かに見つめる。


 雅清はふぅと重々しいため息を吐き出してから「分かった」と、答えた。

「すぐに向かうから、応対室で少々待ってもらってくれ」

「い、いやそれがその……今、こちらにいらっしゃるのです。どうしても早く会って話す事があるとの事ですから」

 おずおずとぶつけられた反論に、枢木隊の面々の顔がピシリと強張る。


 ……今、こちらにいらっしゃるって。く、枢木教官の婚約者になるかもしれない女性が、そこに居るって事?


 薫は「ま、まさか」と自らの耳に入ってきた言葉を弱々しく否定し、目の前にいる雅清を見据えた。

 雅清は何とも言えぬ表情ではぁと苦々しいため息を吐き出してから、「分かった」と了承する。


 一兵卒は「ありがとうございます」と、ぺこぺこと頭を下げてから来た道を颯爽と引き返し、廊下で待ち構えていた人物を内へと促して去って行った。

 

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