出題編3-3

「日常生活で火が発生する原因とは、人が思っているよりも多いですからね。それこそ、有名なのは収斂だとかトラッキング現象ですね」


「トラッキング現象ってなんですか?」


「そうですね。トラッキングと言うのは電気工学の分野でよく使われる言葉ですね。さしっぱなしにしていたコンセントとプラグの間に埃が溜まって、そこに湿気が加わると火花放電が起こります。その火花がコンセントの絶縁部を加熱して電気の道を作ります。これがトラックと言います。そこから放電して発火する現象ですね」


 なるほど、たまにニュースで報道されるコンセントからの発火だが、その名称は知らなかった。確か、医療用語でもあったはずだ。やっぱり、いろいろな視点があると、新しい発見がある。


 それから私と岩塚さんは話をそこそこに切り上げて、自室へと戻った。


 得た情報は早く伝えて探偵さんが考える時間を少しでも伸ばせればいいと思ったのもあるけれど、お茶がなくなったことで、会話の合間を埋めるのに岩塚さんが苦労しているのを見て取れたからというのもある。私はしっかりとお礼を言ってから、テラスを後にした。


「ご苦労様。動機を考えるのは悪いことじゃないわね。でも、何か西野博士と火野博士の間で隠されていたことがあったのかしら。それこそ、火野博士の脱税なんかに西野博士が関与していたとか」


 さっそく、部屋に戻って探偵さんに岩塚さんと話した内容を伝えた。私の伝えた話で引っかかったのは、動機の部分だけだった。倉庫の中にあるものや調理場の話は、どうやら探偵さんにはピンとこなかったらしい。


「そうなんですかね。火野博士はともかく、西野博士のイメージにはそぐわないですけど」


「人間なんて裏で何をやっているかわかったものじゃないわよ。現にあなたの周りで何喰わない顔をして二人を殺害した人物がいるんだから」


 それを聞いて、私の背筋はゾクッとした。そのことを、失念していたのだ。どこかまだ、現実の事として考えられないでいる。それは、自分が安全圏にいると思っているからだろうか。もう少し気をつけるべきだと気合を入れる。


「怖いことを言わないでくださいよ。せっかく、忘れてたのに」


「今になっていうのもなんだけど、あなたって凄く肝が座ってるわよね」


 そう言って苦笑する探偵さん。確かに、私は昔から度胸があると言われてきた。そして、今もそれを実感しているところだ。


「だって、私が襲われる心配がないって言ったのは探偵さんじゃないですか」


「その通りよ。それはあなたが無駄に犯人を怖がって神経をすり減らすことがないようにっていう私なりの気遣いだったんだけど、効果があるみたいなら何よりだわ。それより、一つだけ聞きたいことがあるんだけど、あなたは火野博士の遺体を目撃したのよね?」


「はい、しっかりと観察したわけじゃないですけども。思い出せるくらいには」


「現地で見た印象を教えてほしいわ。実は、私のほうにも警察が撮影した写真はいくつか回ってきているんだけど、遺体がなんだか不自然なのよね」


 不自然という言葉は、遺体の、それも焼死体に使われることは珍しい。あまり見慣れないものだと思うけど、探偵さんはやっぱりそういう事件も公になっていないだけでたくさん解決し、その過程で焼死体をいくつも見ているのだろうか。


 私は思い出すのもあまり気乗りしないが、懸命に火野響介の遺体がどのような様子であったかを伝えた。皮膚はどろどろと溶けだし、骨は焼かれ過ぎた影響か色を変えていた。不謹慎ではあるが少し宝石の様だった。


「宝石みたいになった骨……なんだかファラリスの牡牛みたいな話ね」


 探偵さんの口から、また聞いたことのない単語が飛び出す。この人と会話をしているだけで、自分の知らない世界がどんどんと広がっていく。……って、あれ? 


「ファラリスの牡牛! そうです、それです」


 突然、叫びだした私に探偵さんは面倒そうに話す。


「何よ。急にはしゃいで。あんまり名前を聞いてはしゃぐようなものでもないと思うけど」


「その言葉を誰かが牛の剥製を見た時に言っていたんですよ」


 私がそう言うと、探偵さんは話すのを少しやめた。


「なんでそれを早く言わないの!」


「わあ、すいません。でも、ファラリスの牡牛ってなんのことですか?」


「古代ギリシアで使用された拷問器具の名前よ。その拷問にかけられた罪人の骨は宝石のようで、ブレスレットなどに使われたという話もあるわ」


 その瞬間、再び背筋が凍る。拷問器具だなんて。


「そのファラリスの牡牛っていう拷問器具はどんな仕組みで人の体を燃やすんですか?」


「牛の形をした真鍮製の入れ物に罪人を閉じ込めて、その下から火を焚いて炙るのよ。そうする牛の鼻から煙と罪人の叫び声が聞こえてくるってわけね。それが牛の鳴き声に聞こえるように空気穴にも細工されていたらしいわ」


 その拷問器具の説明は、私にはあまりにも恐ろしかった。人間はどうやればこんなに恐ろしいことを考えることができるんだろう。それを考え付いた人間の思考は、私には想像もつかない。仮に罪人が拷問を受けるようなことをしたとしても、あまりにやりすぎだと思った。


「ただ、それには火と真鍮ではなくてもいいから何か入れ物が必要だわ。ただ、火なんて起こしていれば、誰かが部屋の前を通った時に気が付くはずよ。しかも、ファラリスの牡牛は拷問器具なんだから、叫び声が聞こえてくるはずよ」


「そこなんですよね」


 火野博士が焼かれている間に、部屋の前を通る人たちに気づかれることなく焼き切る方法。しかも、ファラリスの牡牛を使っての殺害ならば牛の鳴き声みたいな叫び声を聞くはずだ。なら、私たちが想定しているより遥かに大きな火力でものの数秒くらいで意識を奪ったのだろうか? それも、理屈は通っているように思う。


「一瞬で高温を発生させて、火野博士をすぐに殺害したというのは考えられませんか?」


「そうねえ。でも、そこまでの高温ならば痕跡を残さない方が難しいと思うんだけど、例えばフラッシュオーバー現象を応用すれば一気に千度近い炎を作り出すことができるけれども、それにしてはあまりに痕跡が残らなさすぎるのよね」


 フラッシュオーバーは室内で発生した火災で可燃物が熱分解して、可燃性のガスを発生させる。もしくは、建物の内装に使われていた可燃性素材が太陽光や機械の発する熱によって発火し一気に火災が広がる現象の名前だ。


 しかし、その勢いから火の手が広がるスピードがあまりにも早く消化するのはそれこそ消防車でも連れてこない限りは不可能である。しかも、そこまで大きな火災が発生すればそれこそ副島さんや岩塚さんが気づかないわけがない。


「次に考えられる可能性は人体ろうそく化かしら」


「人体ろうそく化?」


 私は聞きなれない単語に、オウム返しをすることしかできない。「あら、聞いたことがないかしら。じゃあ、人体自然発火現象は?」


「ごめんなさい、それもわかりません」


 電話口からため息が聞こえる。そして、探偵さんはあきれたように言った。


「あなた、もう少し一般常識を身に着けた方がいいわよ」


 そう言った後に、探偵さんは人体ろうそく化現象と人体自然発火現象の説明を始めた。


「まずは人体ろうそく化ね。ろうそくの仕組みは知っている?」


「ええ、芯にともされた炎がろうを溶かして、それが吸い上げられる。そのろうを燃やし続けることで火を持続させるんですよね」


 探偵さんはうんうんと言っている。どうやら、間違っていないみたいだ。しかし、ろうそくの仕組みを説明できる一般人なんて、どれくらいいるのだろう。

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