第35話 決戦
一定のリズムで床に体重が乗る……板が軋む音と、跳ねている音。そして細長い物が空を切るような鋭い音が聞こえてくる。胴と垂れを着けた刀哉が、跳躍素振りという稽古を一人で行っていた。
素振りをアップの代わりにしてはいけない。そう先生から教わっているが、この跳躍素振りは最も早く体温を向上させ、戦闘の準備を整えるのに都合が良い。
沙耶の遺影は僕が持ってきた。試合場の外に配置する。額縁の中で微笑む沙耶は、やっぱり言葉にできないほど綺麗で、透き通っていて。
それでも、彼女は死んでしまった。
ああ、ちくしょう、考えないようにしてたんだけどな。どうしてもダメだった。考えないようにしようとすればするほど、考えてしまう。黄金色に輝く、沙耶との日々を。
記憶は雨となって僕の脳裏へ、無造作に降り注ぐ。全てが輝かしい、黄金色の記憶だ。
血や鉄などと遠く離れた、桜の花弁に包まれている姿こそが相応しい。
だから、決して色褪せない。薄れて消えさせることなどしない。
この瞬間を、彼女の記憶を永遠に。全ての刹那を停止させて、永劫へと引き延ばす。
君は美しい。だから願う。時よ、止まってくれ。もう過去には戻れないのだから。
君の笑顔を、君の美しさを、生涯色褪せることなく記憶に刻み込む。そうして僕の中で永遠にするんだ。思い出の中なら君は劣化しない。死にもしない。僕が生き続ける限り、君も生き続けるのだ。
この戦いは、ただ、その永遠を誇りに思いたいがための──喧嘩。
「──」
気付けば、体は十分と言えるほどに暖気運転が済んでいた。
彼女を想うことも、今だけは置き去りにしよう。
決断は下した。覚悟を固めた。もう揺らぐことはありえない。黄金色の魂に覆われて。
刀哉、と最後の相手の名を呼んだ。
「やろう。試合と同じ。三本勝負だ」
コイツも全く同じことを思っていたようで。
「ああ」
刀哉もすでに体が暖まっている。上気する闘志が透けて見えるようだ。
「
舞台に立つ。互いに試合場のすぐ後ろへ着座する。小手を揃え、その上に面。面金と小手が密着している状態だ。自分の被るところが目に映っている。次に手拭いを面に被せ、僕と刀哉は互いに姿勢を整えた。
礼。ゆっくりと、正座から互いに向かって頭を下げる。両手を床につけ、左右の人差し指と親指を合わせ、円を作る。その中心に向かって額を寄せていく。三秒ほど、頭を下げたままだった。同時に頭を上げる。
そして──試合場の外に置かれた沙耶の遺影に、礼をした。
何も言わない。ただ魂で伝える。君に相応しいのは僕だと証明する。ただそれだけを。
顔を上げる。刀哉が何を語ったかなんて知らない。でも、きっと同じだろうと思う。
完全に揃った動きで手拭いを巻き、面を被る。面を固定するための紐を、全く手元が見えない状態でも手早く結んでいく。紐が捻れないように細心の注意を払いながら、解けないように強く結ぶ。小手をはめて、竹刀を握る。
右足から膝を立て、次いで左足で完全に立ちきる。その動作。開始から最後まで、僕たちの動きは完全に一致していた。開始線の後ろで向き合う。
……あの時、僕だけではなく、刀哉も同じ感情を抱いたと確信している。
自分の最大の好敵手が、最高の舞台で待ち構えている。試合場の後ろで、目線の先にその存在を認識した時、どれだけ胸が高鳴ったか。ついに。ついに。やっとだ。やっとおまえと。実に三年、体感時間で三千年。この瞬間を、僕は三千年待っていたんだと。
戦える。競い合おう。確かめ合おう。共に伝え合おう。成長を、成果を、努力を。
僕は君と戦うために、この三千年、鍛心練技を重ねてきた。
でも、もうあの時とは違う。感情はぐちゃぐちゃで、純粋な心ではなくなった。
それでも、僕たちの魂に注がれる燃料は、同じだった。
僕こそが、沙耶の剣に相応しい。テメェは引っ込んでろ脇役が──。
「「ぶっつぶす」」
魂の声が、思わず溢れ出す。
これ以上の舞台はない。これ以上の場は空前絶後、存在しないと断言する。
この全てを造り上げ、導いてくれた最大の功労者がいないのは悔やまれるけど。
それでも、魂はつながっていると、信じている。
刀哉も僕も、譲れないものは同じ。彼女に捧げる勝利だけ。
僕たちは礼を交わし、息を合わせてすり足で開始線まで歩んでいく。竹刀を抜く。蹲踞を行い、呼吸を一つ。その蹲踞から、互いの力量を探り取った。
そして、理性で理解する。危険だと。
されど、本能が咆哮する。上等だと。
それでこそ、この決戦の舞台にまで辿り着いた、最大の相手に相応しいと。
さぁ、始めよう。
この長いようで短い物語の、最後の戦いを。因縁の決戦、僕たちの一大決戦。
互いに斬っても斬れない因果を抱えながら、たった一人の少女の魂を巡って、全身全霊を懸けて戦う。これ以上燃え上がる戦いなど、在るはずがない。
至高にして最高。最高にして最大。
正真正銘、最後の戦いの火蓋が──、
「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!」
「アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」
愛する人に見守られながら、切られた。
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