∫ 1-7.友達なら。。。 dt
理学部の研究棟は二つあった。
一つは大学敷地の奥にある山手側に、そしてもう一つは正門から左手側にある駐車場の横にあった。
正門の左手側の研究棟は比較的新しい建屋であった。
今ではその新しい研究棟が使われており、大学の奥にある山手側の研究棟は少し古くなったため、もうすでに使われていなかった。
新研究棟から柊レイが出て来た。
「来月、ジュネーブか。」
ふと空に浮かぶ白い月を見た。
半分が白く見えている。もう半分にも少し光が見える。月の工場、グラナダだ。
月の工場では、現在スペースコロニーの建造が進められている。月の瞬く光が今日も工場が稼働中であることを示していた。
月の中央にはソーラーパネルのベルトが敷かれているため、その部分は少し色が違って見えていた。
宇宙のことを考えるときは本当にすごく頭の中がシンプルだ。
それなのに昨日のことを考えたりすると、それだけで頭が痛い。
なぜ一つの弦が織り成す世界がこんなにも複雑で困難なものになってしまうのか。
レイはそんなことをふと思った。
その時、もう一人、研究棟から出てきた。夏目ミライだった。
「あっ、柊レイ!」
レイが後ろを向く。
「夏目さん。」
レイはふと彼女の服に目がいった。
木からりんごが落下して、りんごが地面にいるリスに一口かじられる。その後、リスは木に登るという動きだった。
「どうしたの?あー、もしかしてあんたも研究テーマ決めに来たの?」
レイは夏目ミライの言葉で服から目を離して、彼女の方を見た。
夏目ミライは言葉の途中からレイの方を指差して話していた。
「あっ、はい。」
「やっぱり。あたしたち特待生組はいきなり実践投入なんだね。」
レイの頭の中に今朝見た記事がふと浮かぶ。
夏目ミライがレイに歩み寄った。
「で、どんなテーマにしたの?」
レイは歩み寄る夏目ミライを見て、昨日の記憶がよみがえった。
(あたしだって父親が死んだわよ。だから何なのよ!この子には関係ないじゃない‼だから証拠を出せって言ってんのよ。)
何か考え事をしているレイの姿を察知して、再び聞く。
「ねえ?聞いてる?テーマは何ってば?」
ふと我に帰って答える。
「あっ、『4粒子衝突実験による未知の6次元探索』だよ。」
夏目ミライが期待していた通りの答えが返ってきた。
「やっぱりね。そうこなくっちゃ。」
ミライの言葉を遮るようにレイが切り出す。
「あのっ、昨日の話って、本当なんですか?」
「昨日の話?コルモゴロフの話?」
首を傾げながら聞く。
「いや、そうじゃなくて。。あの、お父さんが亡くなったって。」
「あー、そっち。」
ミライがレイの目を見る。
「本当だよ。」
レイの目がピクッと反応した。ミライが続ける。
「だからってあんたは関係ないでしょ?あたしはあのアホたちみたいにあんたのお父さんを疑ってなんかないし、あんたを責める気もない。」
レイが沈んでいる姿を見て、ミライが続ける。
「はい。この話、終わり。っていうか、あんた。あたしのテーマとか気にならないの?
言っときますけど、あたしもね、あんたと同じ特待生なんですけど?」
「あっ、すみません。夏目さんのテーマって何ですか?」
その聞き方が気に入らず、ミライが眉間にシワを寄せた。
「何?興味ないの?」
「いや、そういう訳じゃ。。」
ミライは斜にレイをじっと見たのち、話し始めた。
「まあいいわ。あたしのテーマはね。『11次元の空間定義』よ。それがどういう意味か分かるでしょ?」
レイが驚く。
「えっ?でも、残りの6次元がまだ…」
「そう、今はね。でも、あんたが見つけるでしょ?」
レイが唾を飲み込む。
「なに?できない?」
「確信は。。。ないです。」
「うーん。科学的な答え。それにしても、結構弱気ね。あたしはあんたならできると思ってるんだけど。」
ミライが白い月を見ながら続ける。
「うちの教授もダメだって。とりあえず保留なんだけどね。その衝突実験でなにか分かるんじゃないの?」
衝突実験という言葉に先ほどの教授の言葉が思い起こされ、なぜかレイの心に少しモヤがかかった。
その心の動きがレイの表情に出ていた。
「どうしたの?衝突実験。気が進まないの?もしかして、もう興味がないとか?」
少し沈黙。今回は夏目ミライも問い直すことをしなかった。
「いえ。興味深いテーマなはずなんですけど、なぜかこう胸につっかえるものがあって。
それに他にやりたいことがあるような気もするし。」
柊レイが少しうな垂れた。
「でも、それが何か。。分からないんです。」
夏目ミライが再び月を見た。
「ふーん。まあ、いいんじゃない?悩むだけ悩んだら。」
その後、レイを見て、そして指を指しながら言った。
「あと、同級なんだからさ、敬語やめてよね。」
「あっ、はい。」
ミライが顔をしかめた。
「まあ、いいわ。」
レイは二限目の授業が行われる講義室に入った。
一限目は面談のため、特別に出席扱いになっていた。
講義室にいる人達がときおり『柊レイ』を見ている。昨日の食堂の事件をまだ噂している人たちがいた。遠くから柊レイを睨んでいる人もいた。
レイは気にしないように振る舞い、中央テーブル中段付近の端に座った。
その時、波多野が講義室に入ってきた。波多野はレイを見つけて、レイの隣に座った。
「おはよ、天才くん。」
波多野がレイの顔を見た。レイも波多野の顔を見た。
波多野の口元がまだ少し赤いのを見て、あっと口が少し開いた。
「なーんてな。柊くん。怒った?もしかして。」
波多野が少し茶化した。
「あっ、いえ。あの、口元、大丈夫ですか?」
「あー、これ?大丈夫だよ。まあ、ちょっと食べる時とか、痛いけどね。」
レイが少し申し訳なさそうな顔をした。
「ホント大丈夫だって。柊くんは心配性だなぁ。」
波多野がレイの肩を叩く。
「優しいんだね。」
波多野はレイの目を見て続けた。
「それよりさ、ずっと柊くんって言うのも他人行儀だし、柊、うーん、レイかな?レイで良い?呼び方。」
レイはその時これまで父親や母親以外に名前で呼ばれたことがほとんどないことに気がついた。
すごく不慣れな感じがした。が、ただ、悪い感じではなかった。
「はい。じゃあ、それでお願いします。」
「俺のことは波多野でも、亮治でもいいよ。他のあだ名つけてもらっても良いし。
それと敬語やめてくれない?何かさ、かしこまっちゃうからさ。」
「じゃあ、亮治でいいですか?」
波多野はわざと怒った顔をしながら言った。
「ダメダメ。そういうときはさ。『りょーじ』でいい?だよ。」
波多野が再び笑う。
「じゃあ、『りょーじ』でいい?」
「はい。柊さん、いいですよ。」
波多野が逆に敬語を使った。それにレイが反応した。
「ふふふ。」
口をぐっとつむって笑いを堪えている。
「どう?面白かった?」
レイがうんと頷いた。
先生が入ってくる。
「今期、応用電磁気学を教える松下です。この授業は必ず出席をとって、授業の終わりには習熟の確認テストを行います。そのテストの結果も期末テストの結果に反映されるので、しっかり授業を聞くように。
はい。では、まず出席とります。」
非常に固い感じの教授だった。
「じゃあ、デバイスで講義のファイルにアクセスして。VisibleONにしてください。」
すると教授のウインドウには講義履修者のリストが表示され、アクセスしたメンバーは青い文字で(access)と表示が出ている。逆にアクセスしてない者は赤い字で(absence)と表示されていた。
教授が欠席者の名前を読みあげたが返事はなかった。
教授は宙を指でとんとんと何度か叩いた。欠席の処理をしているのだが、他の者にはそれらのウインドウなどが見えていなかった。
「よし。では、さっそく授業を始めます。」
授業が始まっても波多野とレイは小声で話していた。
「こういう先生、おれ苦手だわ。」
ふと波多野が思い出したように問いかける。
「そういや、一限目どうして出てなかったの?」
「あっ、朝一で糸魚川教授のところに行って、面談をしてたんです。」
敬語の回答を聞いて、波多野がレイの目を見る。
「あっ、そうか。面談してたんだ。」
波多野は笑みを浮かべながら次の質問をした。
「面談って何の面談?」
「研究テーマについてです。あっ、じゃなくて、研究テーマについてだよ。」
ふーんと波多野が頷いた。
内容にというよりは敬語を使っていないことに頷いているようでもあった。
「三年からもう研究室に行くってこと?しかも糸魚川教授のところって、もしかしてやっぱり粒子衝突実験関係?」
「っ、うん。」
レイは危うく「はい」と言いそうになった。
「まじかー、スゲーな、やっぱり。おれもそれがやりたくて実はこの大学を選んだんだ。」
「あっ、そうなんだ。」
波多野がレイの顔をちらっと見た。レイの浮かない顔に波多野が反応する。
「おれに遠慮しなくていいよ。普通は四年からだしね。研究テーマ持つの。その時にレイが競争相手にいないだけでも儲けもんだ。」
それでも顔が曇っているレイを見て、波多野が続ける。
「本当に羨ましいよ。正直、レイを見て、ちょっと悟ったっていうか、痛感した。やっぱり最先端の物理は凡人が扱えるもんじゃないんかなって。ちょっとそう思ったよ。」
「いや、そんなことないよ。ぼくより波多野さ、、、りょーじの方が向いてると思う。」
波多野がレイの方を横目で見た。
「嘘でも嬉しいよ。おれももうちょっとあがいてみる。レイの足元くらいには行けるようにね。」
レイは自分がこの粒子衝突実験に興味が湧かないことを言い出せなかった。
「おい。そこ。授業聴く気がないんなら出ていっても構わんぞ。」
教授が少し怒っているのを見てとっさに波多野が謝罪する。
「あっ、すみません。。。」
ペコッと頭を下げる波多野を見て、レイも少し頭を下げた。
<あとがき>
柊レイと波多野との関係性をより強くし、この後の展開を劇的にするためもあって、この回を書いています。
本編と全く関係ないのですが、電磁気学の授業の進め方について、これも私の実体験に基づいた内容です。
毎回テストをされ、それが期末のテストの50%を占めてたので、出席は当然のことながら、真剣に授業を聞かざるを得なかったんです。(いや、聞かないとダメなんですけどね。)
しかも必修という始末。
私は何とかクリアしましたが、この先生のせい(せいとか言うなよ。(笑))で、毎年留年生がバンバン出てました。そのため、とてもこの先生は生徒内で嫌われてました。
今でも当時の友人と出会うとその先生が話題になったりします。今考えれば良い思い出ですね。(笑)
さて、本編ですが、次回はまたあの化学の天才とソフトウェアの天才が登場します。あることを行って事態が急変していきます。
次回、「神の声を聞くもう一人の男 && アルゴリズム神」。乞うご期待!!
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