∫ 1-2.一人の准教授 && 一人のオタク dt
パーテーションで区切られた個人ブースがいくつも並んでいる。
パーテーションの壁もテーブルも全てディスプレイ化できるようになっていて、机として使う人もいれば、壁をモニタ、机の一部をキーボードにして勉強している人もいた。
ここは大学の情報端末室。ワークステーションセンターと呼ばれているところだ。
量子コンピュータの台頭は大学などの巨大ワークステーション化を再び産んだ。
超高速演算を必要とする処理にはそのワークステーションに直接有線にて光接続された端末を使用することが効率的であり、前時代で使用されていた情報端末室が近代でも用意されるようになっていた。
情報は全ては電子化されており、資料や文献の探索もAIサポートにより飛躍的に高速化されていた。一周り見ても、紙媒体は一切見られない。
ところが、そんなワークステーションセンターの奥の方に、アンドロイドが普及する前の工事現場に良く置いていた赤いポールとそれを連結する虎縞の棒によって仕切られたエリアがあった。
連結する棒に張り紙がされていた。その紙にはギリギリ読めるか読めないかくらい汚い字で何か書かれていた。
エリア貸借中
期間:2074年12月1日~2075年12月31日
責任者:小林秋雄 准教授(phone:○○○-○○○○○-○○○○)
※資料持ち出し厳禁。監視カメラ作動中
その区切られたエリアの奥には男女二人の姿があった。そして、その周囲には紙に書かれた資料が山のように積まれて、明らかに異質な雰囲気を醸し出していた。
山のような資料の周りにはさらに紙媒体の資料が散らかっている。
一人はディスプレイに向かってタイピング、もう一人は資料を片手にそれを見守っていた。
タイピングをしているのは女の子。丸メガネをしてきれいな茶色の瞳、真っ黒なストレートヘア、前髪の一部に寝癖と思われる跳ねがあるが、残りは眉毛より少し上できれいに並んでいる。
彼女が着ている白いTシャツにはヘルメットを被ったカエルが描かれており、彼女が動く度にカエルが元気よく敬礼をしていた。少しオタクな感じがしつつもかわいらしい感じではある。
その女の子がタイピングしているのを見守っているのは、ネクタイを緩めに締め、ワイシャツのそでをめくり上げ、あごには少しの無精髭、髪の毛は少し若白髪があり、ボサボサなスタイル。
年にすると三十前半。首にはこの時代では珍しいパスカードをぶら下げていた。
そこに書かれている名前は『小林秋雄』。ここを貸し切っている本人であった。准教授にしては若い。
二人とも耳の後ろにデバイスをつけていた。
そのデバイスを通して、宙に映し出された画面には、彼女のタイピングしたコードが記されていた。
「昨日のバグってもう直ってる?」
「はい。。って昨日のはバグじゃないですよ。先生の数式が間違えてたんですぅ!」
彼女がちょっとふくれ面になりながら切り返した。
「ははは。ごめんごめん。そうだった。そうだった。」
「もう。先生のいけずぅ。」
そう言いながら、彼女は最後の計算式部分を書き込んだ。そして、コンパイルを実行。
各種クラスのコンパイルが通っていき、10秒ほどでコンパイルが完了した。
「できました。じゃあ、進化プログラム、起動してみますね。」
「うん。お願い。」
宙に映し出されている実行のファンクションボタンを指で軽く押した。
彼らは今、アフリカで流行り始めている自己免疫過剰反応誘発ウイルスの形状と予測される進化形態を計算によって導き出そうとしていた。
そして、ウイルスが持つ現状の形態とさらに計算によって導き出された進化形態に対して、破壊、もしくは突起形状を無力化できる分子配列を見つけ出そうとしているところだった。つまりは新たなウイルスに対する特効薬の開発を行っているのである。
薬の研究では一般的に現状のウイルス、病原体に対抗しうる物質を作るものであるが、彼らがやろうとしているのは、現状のウイルスの形に対する特効薬のみならず、そのウイルスの変異、進化を予測し、それに対しての特効薬まで作り出そうとしているのである。
そのために、彼らは生物の持つ進化の法則を解き明かし、その進化過程に関するプログラムを作り出していた。
宙に浮いたウインドウに途中経過の各種数値が流れていく。
ウインドウの横には共有者、浜辺小春、小林秋雄の名前が書かれている。つまりこのウインドウはこの二人にしか見えていないわけである。
脳の視覚神経に直接働きかけるBrainConnectedDevice=BCDならではの機能であった。
数分の間、数値が流れ続け、その数値を小林が見ながらうんうんと頷いている。
「どうですか?ちゃんとできてそうですか?」
浜辺が少し小林の顔色を見ながら質問した。
「うん。たぶん大丈夫だと思うよ。いけてそうだ。」
数式の流れが止まり、最後に(complete)の文字が表示された。
「計算終わりました。」
「うん。できたウイルスはどんな形してる?」
「はい。今出しますね。」
宙に浮いた(Visualize)のボタンを押す。すると、ウイルスの細胞構造が表示された。
小林がじっと覗き込む。
「この部分、アップしてもらえる?」
「絵、そのまま触ってください。」
「ああ、そうか。」
小林が宙に浮いた細胞の絵を指で引き延ばし、突起形状を確認した。
そして、頷きながら独り言のように話した。
「そう変化するのか。なるほど。免疫に張り付いて自分の遺伝情報を。。。だから自分の細胞を攻撃しだすのか。これってまるで原始細菌にウイルスが入り込んで乗っ取った方法と同じじゃないか。。。ねえ?」
小林が浜辺に問いかけた。が、浜辺は気のない返事をした。
「。。。拙者にはバイオハザードくらいしか、分かりませんでござるよ。。。」
浜辺はへの字口にして、両掌を上に向けて持ち上げた。
掌を持ち上げたと同時にまたカエルが敬礼をした。
小林はその姿を見て少し笑った。
「これはシミュレーションだからバイオハザードは起こらないよ。」
「違いますよ。ゲームの話ですぅ。」
「ん?ゲーム?ゲームなの?」
小林はそう返しながらそれには興味なさげに再び画面を見た。
出力された結果を見て、小林は満足した様子だった。
それを見て浜辺は少しホッとした。
「よし、後はこれに対しての薬剤効果の計算をするだけだね。」
「本当に大丈夫ですか?」
「うん。おおむね順調だと思うよ。大丈夫。バグはなくなってるって。」
ムッとした顔で浜辺が小林をにらむ。
「冗談冗談。ははは。バグじゃないね。僕のミスだったね。ははは。」
「もう先生はホント私を信用してないんだからぁ。」
「ごめんごめん。じゃあ、抗ウイルス物質形状探索の計算に移ろう。この計算のプログラムは前作ったやつで大丈夫だよね?」
「はい。それにこのウイルス情報を入れて、回せばいいんですよね。」
「うん。そう。あれって結構時間かかったよね?一週間くらいかかるかな?」
「はやく結果出したい、ですよね?」
上目使いでさらに念を押す。
「ですよねぇ?」
小林が少し身を引きながら答える。
「うっ、うん。そう、、だね。」
「じゃあ、スピードを速めましょうか!」
浜辺のメガネがキラッと光った。
何個かコマンドを打つと、浜辺は手を振り上げ、人目を気にせず、大きな声を上げた。
「お願いしまーーーす!」
そう言いながら手を振り下ろし、リターンボタンを押した。
それと同時に浜辺の服に描かれたカエルが再び敬礼をした。
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