第二十九話

 会場跡は荒涼としている。中央には大きな焚火台が据えられ、それを囲むようにいくつものテーブルと椅子が乱雑に配置されている。奥には大きなテーブルがいくつか並べられ、まるでパーティー会場から人だけが消えたかのように見える。辺りはしんと静まり返り、物音の一つもしない。会場のすべてが灰色に煤けて見えた。

静まり返ったその場所に、フェリクが「廃墟みたいだ」と呟いた。

「……ここが、50年前の」

「そう。イグナリスが『セレネの霊酒』を完成させた場所」

 マリィの言葉をロゼが引き継ぐ。

「で、そのレシピの隠し場所のヒント、かもしれない場所だね」

「……違ったら、どうしましょう?」

 リジーの言葉にフェリクが肩をすくめる。

「どうもこうも。その場合は時間切れかな」

 ハロウィンの宴は明後日に迫っている。万が一この会場に何もなかったとしたら、一から考え直している時間は無いだろう。

「とにかく、『絵』をヒントに探してみよう」

「『絵』のシーン、だよね。まずこの『絵』が撮られた場所を探してみない?」

「賛成」

「ですね!」

 またも、三人で『絵』を覗き込む。大きなテーブルを背景にオリアンナとゴルディックが楽しそうにダンスを踊っている。

「あの大きな焚火は映ってないね」

「あとはこのおっきいテーブルですよね。……たぶん、あれのどれか」

 リジーが会場の奥に並べられた大きなテーブルを指差す。

「だね。大丈夫。ヒントはある」

 マリィが自身に言い聞かせるように言うと、リジーの指した方へと向かう。ロゼは焚火台の端から三人を見守っている。


 10人程度が座れるほどの大きさのテーブルが並べられた一角。三人はテーブルの間を行き来しながら『絵』と一致する位置を探す。焚火を背に絵とテーブルを見比べたり、背景の山を探してみたり。しかし、煤けたような灰色の岩山はなかなか『絵』の風景とは重ならない。マリィは大きなテーブルの一つに腰掛け、『絵』を見直す。

「……ねえオリアンナさん、これは一体どこなの?」

 『絵』の中のオリアンナに話しかけても、当然答えはない。彼女の目線は常にゴルディックへ向いている。

「見つからないですねえ」

 リジーがマリィの隣に座ると、鞄からキャンディーを取り出しマリィに渡す。

「ちょっと、休憩しましょ」

「ありがとう」

 受け取ったキャンディーを口に放り込み、改めて周囲をぐるりと見渡す。フェリクは少し離れた場所できょろきょろと『絵』の場所を探している。その傍らに、ひときわ大きなテーブルがあった。ぱちり、とマリィの中でパズルのピースが嵌る音がする。

「あれって、もしかして」

がたりと立ち上がり、大きなテーブルへと駆け寄る。リジーが慌ててその後を追った。

「マリィ、どうかした?」

「この大きなテーブル、これだと思う!」

 フェリクの問いに、大きなテーブルを指差して言う。『絵』の中ではたくさんの魔女や魔法使いがテーブルについている。これだけの人数が座れるのは目の前のテーブル一つだけだ。

「確認してみよう」

 フェリクの言葉に三人はテーブルの周囲をぐるりと回る。ある一点でマリィがぴたりと止まる。どうしたのかと視線を向ける二人をよそに、今度はテーブルから少しずつ遠ざかると

「ここだ!」

と歓声を上げた。

「本当!?」

 二人がマリィのもとに駆け寄り、『絵』を確認する。マリィは「ほら、この向きに合わせてみて!」とテーブルの方をまっすぐに指差す。並べられたテーブルの端、中央のひときわ大きなテーブル。確かに一致している。それを確認すると

「本当だ!」

二人も思わず歓声を上げた。


 マリィは次の手がかりを探るべく、イグナリスに託された石を鞄から取り出した。

——場所がわかったらこの石を使いなさい。それで答えがわかるわ。

 イグナリスの言葉が脳裏に蘇る。マリィは取り出した石をまじまじと眺める。

「光ってる……」

 青灰色のその石は、煤けた灰色の岩山の中で鮮やかな輝きを放っていた。まるで呼び出される時を今か今かと待っているようだ。マリィは石を握りしめると意識を集中。魔法の力が石に集まり指の隙間から光がこぼれた。光は『絵』にこぼれ落ちていく。『絵』はその色を溶かして一帯に広がり、残された記憶を映し出す。空が一瞬で闇に染まり、視界が閉ざされる。その中に一筋の光があった。銀色に輝く満月。その光が地上に落ちると、荒涼としていた会場跡が一瞬でその様相を変える。

「人が」

 誰もいなかったテーブルにたくさんの魔女や魔法使いの姿が浮かび上がる。大きな焚火台には火が灯り、その周囲で踊る人々。空中にはランタンが飛び交い、周囲を照らし、小さな見習い魔女たちがランタンを追いかける。世界は月光の銀色に染まっている。人々の姿も、焚火の炎も。ランタンに手を伸ばすと、手はランタンをすり抜けて空をきった。まるで古いフィルムを再生しているかのように、人々の姿も、宙を舞うランタンも動きがぎこちない。

「これって」

「これが、50年前のハロウィンの宴。その記憶」

 マリィの言葉にロゼが答える。彼女は静かな目で宴の記憶を見つめている。ざわざわと人々の声が聞こえる。しかし、何を話しているのかを聞き取ることは出来ない。不意に視界が明るくなる。見ると、一人の魔法使いが大きな炎の魔法を放っている。炎の熱は感じない。宴の記憶はたくさんの人を映しながら、その熱気を三人に伝えることはなかった。

「なんだか夢の中にいるみたいですねえ」

「そうだね。なんだか不思議な感じだ」

 リジーがぽつりと呟く声にフェリクが頷く。と、にわかに背後のざわめきが大きくなったような気がして三人は大きなテーブルを振り返る。そこには、見事な装飾のブレスレットをつけ、ガラスのゴブレットを持つ手。その手の主は。

「イグナリスさん!」

 リジーが思わず呼びかけるが、当然イグナリスにその声は届かない。彼女はテーブルに乗り上げてゴブレットを高く掲げている。そして、豪放に笑うと大声で聞き取れない何かを叫んだ。彼女に合わせ、周囲の人々も杯を高く捧げて何かを唱える。それは儀式のようでもあったが、同時にひどく豪快な仕草だった。

 宴を照らす銀色の月光がイグナリスの捧げ持つゴブレットを明るく照らす。ゴブレットは月の光を受けて煌めいた。

「あれが、『セレネの霊酒』」

「綺麗だね」

 銀色の世界でなお、ゴブレットに満たされた霊酒は美しく輝いている。イグナリスはその様子に破顔すると、周囲の人々の持つ杯へゴブレットの中身を分けていく。そして、再度高くゴブレットを掲げると、皆揃って杯の中身を一息に飲み干す。人々から歓声が上がる。三人は言葉もなくその様子をただ見つめる。豪快でありながらも幻想的なその光景に圧倒されていた。……ふと、何かの視線を感じてマリィはテーブルの一角に視線を転じる。そこには美しい首飾りを纏う猫の姿。

「ロゼ」

 思わず足元を見る。紅い猫は何食わぬ顔で宴の様子を見つめている。マリィは再びテーブルの猫へと視線を戻した。銀色に照らされた猫はマリィをじっと見つめ、そしてにやりと悪戯を仕掛ける子供のような表情を浮かべた。いつの間にかフェリクとリジーも猫の存在に気付き、その様子をじっと見つめている。銀色の猫は三人の視線に満足したように笑うと、前足で自分の足元を叩く。一度、二度、そして三度。そして、宴の記憶はその再生を終了した。


 空の闇が晴れ、煤けた昼の明かりが戻ってくる。まるで何もなかったかのように全ては消え失せ、会場跡は荒涼とした景色に戻っている。三人はしばらくの間、夢でも見ていたようにその場に立ちつくしていた。三人を呼び戻したのはロゼの声。

「三人とも、いつまでそうしているつもり?」

 いつも通りのからかうような声。マリィは宴の記憶の残滓を振り払うように頭を振り、ロゼに問いかけた。

「ロゼ、さっきのあれって」

「さて、何のことかしら?」

 ロゼはとぼけた口調ではぐらかす。答えるつもりはないらしい。

「あれって、50年前のロゼってことかな」

「すっごく長生きですね……」

 後ろではフェリクとリジーがロゼをちらちらと見ながら話している。その声を聞きながら、マリィは宴の記憶で見たロゼ——銀色の猫のことを思い出す。猫は、明らかにマリィたちを認識していた。テーブルに近づく。銀色の猫のいた場所だ。彼女はそこを三度叩いた。探し物はそこにあると言っているように思えた。

「ここに?」

 マリィは猫が示した場所に手を触れる。冷たい木の感触。見たところ、何も変わったところはない。

(本当に、ここに?)

 確証はない。しかしマリィには何か予感に近いものを感じていた。触れた場所に意識を集中する。ここに何かが隠されているなら。

「地の声よ、答えを示して。……隠されたものを、明らかに」

 落ち着いた、静かな声。しかし、それに反して手のひらからこぼれる光は力強い。『隠されたものを明らかにする』魔法。つい三週間前に失敗したその魔法は、今度こそ力強くマリィの手に熱を宿し、テーブルに光を灯す。冷たい木板の表面は光に照らされ、波打つように揺らめいた。そして、薄い輪郭が浮かび上がり、その姿をあらわにしていく。

「……出来た」

 マリィは信じられない、といった声で呟く。

 テーブルの上には、一枚の紙。『満月のポーション』、すなわち『セレネの霊酒』のレシピが現れていた。

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