第二十四話

「あなたにはこの森を支えることは出来ない」

 マリィの低い声が響く。同時にマリィの全身に魔法の力が満ちていく。

「マ、マリィ先輩……?」

≪……≫

 新芽は答えない。不安そうに葉先を震わせてマリィの様子を窺っている。フェリクは無言。

「なら、あなた。いなくなっても構わないわよねえ?」

 言って、マリィは足を力強く大地に踏み下ろした。瞬間、迸る力が波打つように地面を駆け抜け、どおん、と大地の奥深くまで振動が響く。そして、一瞬の静寂。

≪姐さん、何を……!?≫

 新芽が怯えた声で言った時。地響きの重い音が一帯を覆う。ついで、強い揺れが辺りを襲い、大地が割れた。

「マリィ先輩!!」

≪にんげん、おこった!≫

 震動に、枯れた古木が大きく揺れる。枯れた枝と葉が雨のように降り注いでくる。震動は止むことなく、大地の裂け目が古木に向けて広がっていく。

≪ひ、ひぃ……!≫

 新芽は怯えるだけで何も出来ない。動いたのは、森の精霊たちだった。

≪たいへん!もりぬしさまがつぶれちゃう!≫

≪まもらなきゃ!おねがい、もりぬしさまをまもって!≫

 精霊たちが周囲の木々に語り掛けると、木々は精霊の声に応じて大地の奥深くへと根を伸ばした。根に押されるように裂け目の広がりが動きを止める。しかし、依然として大地は鳴動を続けている。

「よかったわね。精霊たちが助けてくれたわ。それで?それでもあなたはそのままなのかしら」

 新芽は答えない。

「……まだ黙っているつもり?このままじゃあなた、本当に潰れてしまうわよ。さあ、あなたはそれでいいの!?」

 マリィは踏み込んだ足にさらに力を込める。大地が大きく揺れ、ひときわ大きい枯れ枝が新芽のすぐそばに落ちてきた。新芽の葉先がびくりと震える。

≪にんげん!にんげんやめて!≫

≪おねがい!もりぬしさまをいじめないで!≫

≪もりぬしさまをけさないで……!≫

 精霊たちの必死の声も、『精霊語り』を通さないマリィの耳には届かない。しかし、新芽にはその声がしっかりと届いていた。

≪精霊たちが、オレなんかを守ろうと≫

「そうよ。森に生きる精霊にとって森主がどれだけ大切な存在かがよくわかるわ。本当なら、あなたが彼らを守るべき。この意味があなたにわかる?無理だって、自分の役目から逃げているあなたに」

 マリィの声は低いトーンを保ったまま。しかし、その声には諭すような響きが混じっている。

≪オレがいないと、森は死んじまう。だけどオレなんかに……≫

「まだ言うの?なら、本当に潰してあげましょうか!」

 そう言うと、もう一度足を強く踏み下ろす。爆発するような大きな音が鳴り響き大地が揺れる。揺れは古木すら倒そうとするほどに強い。

≪だめ!≫

≪もりぬしさま!≫

 精霊の叫び声。同時に周囲の木立から伸びた枝が新芽を守るように幾重にも覆いかぶさる。

≪もりぬしさま、こわがらないで≫

≪精霊たちが。……森の木まで≫

 枝の下で新芽が呆然としたように呟く。

≪ぼくたちがまもるから≫

≪オレが守らなきゃいけないのに≫

 葉先がふるりと震える。

≪だいじょうぶだよ≫

≪オレが『森主』なのに≫

 弱気だった声に力が宿る。

≪だから、まけないで≫

≪……こんな、こんな情けねえ!!≫

 最後の声は咆哮にも似ていた。そして、『新芽』が急激に成長を始める。芽から細い枝が伸び、枝から新たな芽が生まれ、枝は次に茎となり、茎はやがて幹となり。——そうして、新芽は若木へと姿を変える。

≪この森は、オレが守るんだ!≫

 若木は力を振り絞って大地へと根を張り巡らせる。

≪オレが、この森の『森主』だ!!≫

 若木は四方へ巡らせた根を通じて大地へありったけの力を送り込んだ。マリィが起こしたものと別種の震動が大地を震わせる。異なる二つの震動はやがて調和するように大地へと溶け込み、そうして大地は静寂を取り戻した。

「ほら、出来たじゃない」

 マリィが若木に言う。その声は普段と同じく暖かく優しいトーンに戻っている。

≪オレ、えっと≫

「そうよ。あなたがこの森を守ったの。『森主』として」

≪オレが、『森主』≫

「ええ、はっきりそう宣言してたわよ」

 覚えてない?と問うと若木は戸惑ったように

≪無我夢中で、全然覚えてないっす……≫

と葉をへにょりと垂れた。

≪もりぬしさま!≫

≪もりぬしさま、だいじょうぶ!?≫

 精霊たちが若木——新たな『森主』を心配する声を上げる。ざわざわと周囲の木々も葉をざわめかせた。

≪精霊たち。森の木も≫

「そうね。みんなあなたを守ろうとした。そしてあなたもみんなを守ろうとした。……一人で森を支えるって、気負わなくていいんじゃないかしら」

≪オレだけじゃなくて?≫

 森主の言葉にマリィは優しく頷く。

「あなたの言う通り、まだ若いあなたにはこの広大な森を一人で支えるには力が足りないかもしれない。でも足りないなら他の力を借りればいいのよ。ここにはこれだけ精霊がいる。そして、精霊の力を受けて動ける樹木たちだっている。……一人じゃないのよ、あなたは」

≪一人じゃない≫

 森主はマリィの言葉をかみしめるように呟く。その一方で。

「お疲れ、マリィ。すっきりした?」

「した!!」

 フェリクがマリィの肩をぽんと叩いて労う。答えるマリィの声はそれまでのフラストレーションがすべて吹き飛びすっきりとしていた。

「結構、過激にいったよね。どこまで本気だった?」

 フェリクがからかう様にマリィに訊く。マリィはにやりと笑って。

「二割本気、あとは八つ当たり!」

「マリィ先輩、八つ当たりでこれって……」

≪え、オレ姐さんの八つ当たりで潰されかけたっすか!?≫

「そうよー。ただでさえ疲れてるのに無駄に邪魔されてようやく会えたと思ったらアレだし」

≪すんませんっしたァ!!≫

 土下座でもしそうな勢いの森主の言葉に三人が笑う。さわさわと木立が優しい葉擦れの音を立て、精霊たちもきゃらきゃらと笑う。

「とはいえ、さすがにちょっとやりすぎたかも。これ、元に戻せるかなあ……」

≪それ、オレがやるっす≫

 マリィが古木へ向けて広がる裂け目を見て苦笑いしつつしゃがみこむと、森主がそれを制した。

≪ええと、こう……かな?≫

 張り巡らせた根に再び力を込める。周囲の木々もそれに合わせるように根を広げ、あっという間にマリィの作った裂け目はその姿を消したのだった。


≪そういえば姐さん方はそもそもなんでこの森へ≫

「あ、そうだった!」

 森主の問いにマリィが本来の目的を思い出す。

「あたしたち、『幽玄の森の最奥に生える千年を生きた古木のきのこ』がほしくてここにきたんだ」

「『千年を生きた古木』って、もしかして」

 リジーが枯れた古木を見上げて言う。

≪ああ、それ確かに先代のじーさんっすね。あのじーさん樹齢千年は軽く超えてるって言ってました≫

「うん、私ちょっと嫌な予感がするんだけど」

「きのこ、入手不可の可能性」

「ええ、そんなあ!?」

 思いもよらない展開に三人が狼狽える。それに答えたのは森主の声だった。

≪きのこだったらまだあるっすよ≫

「え?」

≪じーさんの木の後ろ、日に当たってないとこ見てください。まだ結構生きてます≫

 森主が幹の両側に伸びた枝を器用に動かして古木の後ろ側を指す。見ると、森主の言う通り白いきのこが古木の背面を這うように生えている。

「ねえ、これ少し貰っていっても?」

≪いいっすよ!姐さんたちにはオレに気合を入れてもらった恩があるっす。好きなだけ持っていってください!≫

「いや、必要な分だけで良いから……」

 言いつつ、森主の言葉に感謝して古木に生えたきのこをいくつか採取する。

「これでここでの目的も完了だね」

「ちょっと予定外のミッション入りましたけどねえ」

≪それは、本当にすんませんっした……≫

「まあ、私もちょっとやりすぎちゃったから。お互い様ってことで」

「……ちょっとです?」

「リジー、しっ」

 マリィの言葉に疑問符を浮かべるリジーの口を素早くフェリクがふさぐ。

「……ともかく。頑張ってね。あなたのこと、応援してる」

≪姐さん、本当にありがとうございました!どうかまた来てください!次までにはこの森もじーさんのいた時みたいに、……いや、それ以上に立派にして見せますから!≫

「ええ、楽しみにしてる」

 マリィはそう言うとほうきを手に取った。フェリクとリジーもそれにならい、大地を蹴って空へと上がる。

≪絶対来てくださいよ!≫

「わかってるって。またね!」

 マリィは一人、森の上空を旋回して森主の声に答えると、先行するフェリクとリジーを追って、森を後にしたのだった。

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