第六章 揺れる森と悩める新芽

第二十二話

「マリィ先輩、大丈夫です?」

 次の目的地、『幽玄の森』へ向かう途上でリジーが後方を飛ぶマリィへ声をかける。マリィの表情は早くも疲れた表情をしていた。

「大丈夫。昨日、根性で仕事片付けてきただけだから……」

 代わりにハロウィンまでの有休をもぎ取ってきた、とマリィは拳を振り上げた。

「さすがデキる社会人」

「だったらもうハロウィンまで集中できる感じです?」

「そこはばっちり。課長が渋い顔してたけど気にしなーい気にしなーい」

 マリィにしては珍しい軽口に二人から笑いがこぼれる。

「それじゃあ、今日も頑張っていこうか」

「「おー!」」

 フェリクの言葉に三人は空を快走する。


 * * *


 『幽玄の森』は森林地帯のさらに奥深く。別名「森に隠された森」とも呼ばれている。その入り口に降り立った三人は、すぐに森の様子が妙な事に気付いた。マリィが周囲を見渡して言う。

「森が、弱ってる……?」

「どうやらそのようね。何かあったみたい」

 その言葉にロゼが同意する。

「ただ事じゃなさそうですよね……」

「とにかく、行ってみよう」

「だね」

 マリィの言葉にフェリクが頷き、リジーがそのあとに付く。三人はマリィを先頭に『幽玄の森』へと足を踏み入れた。


 森は一見何事にもないように見える。しかし、よく見ると至るところで立ち枯れる寸前の木々が見られる。一部はすっかり枯れてしまっていた。

「やっぱり、随分弱ってる。ねえロゼ、『幽玄の森』ってこんなに弱るもの?」

「いいえ、この森は『森主』と呼ばれる木が森全体を支えているの。森主に何かない限り森が弱ることはあり得ないわ」

「てことは、その森主に何か問題が?……森がこんなに弱るなんて、心配だわ」

 ロゼの言葉にマリィは森の奥を見つめる。彼女にとって森は近しい存在。森の異変はマリィの心をざわつかせる。

 不意にひょるん、と。フェリクの持つ『精霊語り』が鳴き声をあげた。

「フェリク?」

「うん、精霊が呼びかけてる。ちょっと待って」

 マリィの問いにフェリクは『精霊語り』の声に耳を澄ませる。

≪にんげん、たすけて≫

≪もりぬしさまがおかしいの≫

≪にんげん、ちからをかして≫

「やっぱり森主ってやつに何かあったみたい。精霊たちが力を貸してほしいって」

「なるほど。……精霊さんたち、私たちを森主のところへ案内してくれる?」

 マリィの言葉に応えるように、森の道沿いにぽこんぽこんときのこが顔を出した。

≪もりぬしさまはもりのおく≫

≪きのこのみちしるべをおいかけて≫

 森の精霊はそう言って森の奥へと三人を導く。三人は頷きあうと、きのこに従って森の奥へと進んでいった。しばらく歩いたところで、きのこの道しるべがふつりと途絶えているのが見えた。

「あれ?きのこ、ないですねえ」

「精霊さん、どうしたの?」

≪おかしい、おかしい≫

≪もりぬしさまのところにいけない≫

≪にんげんたち、つれていけない≫

「精霊たちが混乱してる。変だって」

「精霊さんたち、落ち着いて。森主はこの奥にいるのよね?」

≪そうだよ≫

「だったら、このまま進もう。まっすぐでいいの?」

≪このみちのむこう≫

≪もりぬしさままでまっすぐに≫

「よし、じゃあ行こう」

 言って、再び歩き始める。森の中は鬱蒼とした木々に囲まれ、昼だというのに薄暗い。入り口と同様、立ち枯れた木々がいくつか見受けられる。足元にも枯れ葉が厚く積もり、道の見分けが難しくなってきていた。そうして数十分ほど歩いたところで。

「なんか、おかしい」

 言ってマリィが立ち止まる。

「おかしい?」

「たぶんだけど、これ同じところ回ってる気がする」

「……迷ったってこと?だったらいっそ空から森主のところまで行ってみようか」

「ちょっとフェリク!」

 言うが早いか、フェリクが森の上空へ上がり、周囲を二、三度旋回する。

「どうしましょう、私たちも上がります?」

 リジーの言葉にマリィが一瞬悩む表情を見せるが、答えを出す前にフェリクが降りてきた。

「だめだね。一帯全部木ばっかりでどれが森主だか」

全然、とジェスチャーで続ける。フェリクの言葉にマリィはふう、と息を吐き。

「同じところを回ってるのが気のせいってこともあるから、もうちょっとだけ進んでみよう。……一応、目印だけつけておくね」

 そう言うと目についた枝にハンカチを結びつける。

「これでよし」

 そうしてまた森の奥へと進んでいくこと、数十分。ハンカチの結びつけられた枝が見えた。それだけではなく。

「道がなくなってる!?」

「ちょっと、これどういうこと?」

 フェリクの問いに精霊たちも混乱の声を返す。

≪わからない。でも≫

≪もりぬしさまがいやがってる≫

≪にんげんたちいやがってる≫

「嫌がってるって、……なんで??」

≪ちかづくなって≫

≪もりぬしさまがいってる≫

「近づくなって。……森がこんなに弱ってるのに、その森主は何考えてるの!?」

 マリィの言葉に苛立ちが滲み始める。様子のおかしい森に、精霊たちの願い。それに応じて森に入れば、その森がマリィたちを拒絶する。矛盾している。その矛盾はマリィをひどく苛立たせた。

「マリィ、ちょっと落ち着いて。ほら、深呼吸」

「落ち着いてったって……」

 フェリクの言葉にマリィが返した、その時。ハンカチを結びつけた枝がしなり、勢いよくマリィの顔面へ叩きつけられた。明らかな、森からの拒絶の意思。

「……」

 マリィは無言。しかしその目元には涙が滲んでいる。

「えっと。……だ、大丈夫?」

「……うん。わかった。よくわかった」

 フェリクの言葉には答えず、マリィは独り言のように言う。ざわり、と周囲の木々がざわめく。

「そんなに近づいてほしくないなら」

 マリィは両手のひらを枯れ葉の積もる地面へと添え、力を込める。

「あー、……これキレちゃったかな」

 フェリクがどこか諦めたように呟く。こうなると止めるよりも爆発させておいた方が面倒がない。

「無理やりにでも行ってやろうじゃないの!!」

 その声と同時。どおん、と大地が揺れた。枯れ葉が舞い上がり、森の木々が揺れる。枯れ葉と共にもうもうと土ぼこりが舞い上がり、フェリクとリジーの視界を遮る。ロゼはというといち早く少し離れたところへ避難していた。

「落ち着いた?」

 いつもと同じ調子でフェリクが声をかける。枯れ葉と土ぼこりが少しずつ落ち着いていく。その中にマリィの姿が見える。

「……ちょっとだけ」

 答えるマリィの声は未だ低いが、少しは落ち着いたようだ。

「……マリィ先輩、すごおい」

 リジーがマリィの足元を見て声を上げる。道の消えた場所には、新たな道が森の奥まで続いていた。

≪にんげん、すごい≫

≪にんげん、すごい。こわい?≫

≪ちょっと、こわい≫

 精霊たちの言葉がフェリクにしか聞こえないのは、幸いだったと言えるだろう。

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