第29話
29
凄い衝撃と爆音に包まれて、体が現実世界へと繫がる暗闇に吸い込まれて行く。
勢いは止まらずそのままの速度で現実へと飛び出した体は、バンッと音を立てて投げ出され、固い床に叩きつけられた。
ガツっ!!と鈍い音がして、痛みを覚悟したが、衝撃はあれど相応の痛みは感じられなかった。
痛みがない?
ここはまだアナプラの中なの?
と疑問に思いながら、ゆっくりと体を起こそうとするのに、体が動かない。
だんだんとハッキリしてくる意識の中で、どうやら自分が誰かの腕の中にいて、床に叩きつけられた衝撃も痛みも、全てその人物が請け負ったのだということを悟る。
「…ナギっ!!」
アナプラで爆風に吹き飛ばされた時に、必死に掴んだその人の名前を無意識に叫ぶ。
だが、私の下敷きになっていた人物はナギではなかった。
それは当然だろう。
ここは現実世界なのだから、ナギが居るはずがないのだ。
「さ、桜井教授っ?!」
「うぅ…。」
ナギの腕だと思っていたそれは、桜井教授のものだった。
小さく呻り声をあげるものの、意識が戻る気配はない。
「桜井教授!大丈夫ですか?!桜井教授!!」
そう叫びながらも、私は違和感を感じていた。
この人は、桜井教授なのだろうか、と。
ニコマルが出してくれた現実世界への出口に体が吸い込まれていった時に、縋るように掴んでいたのはナギの体だった。
そしてナギもまた私を力強く抱きとめてくれていたはず。
目の前に倒れる桜井教授の体にはまるで魔物と戦ったかのような無数の擦り傷が点在している。
そして、右肩辺りの白衣にはジワッと赤い物が滲んでいるようにも見える。
砂の巨人の左腕が直撃して、ナギが怪我をしたのも右肩だった。
ドクドクと血が逆流するかのように、鼓動が強く脈を打つ。
一つ一つ、個々に感じていた違和感が一気に線として繫がるのを感じた。
「…ナギ?」
私の呟くような声に、教授は薄目を開ける。
まだ意識はハッキリとしていないらしく、教授もまた呟くように答える。
「マナ…大丈夫か…?」
その一言に、私は息を飲んだ。
頭と肩を押さえながら、キツそうに起き上がろうとする桜井教授の体を支える。
「マナ?」
何も答えない私を不思議そうに見つめる桜井教授。
「教授…。どうしてその名前を知ってるんですか?」
痛みに耐えるように細められていた桜井教授の目が、だんだんと見開かれていく。
彼もまた、理解したようだ。
ここが現実世界であることを。
時折、筒状の機械の中の粘度を持った液体が、ネチッと音を上げる。
長い、長い沈黙が続く。
桜井教授は、私の質問には答えない。
「体は、平気か?」
「私は平気です。…ナギは?」
「僕も平気だよ。攻撃を食らう直前の、リュウの力が効いたのかもな。」
リュウのスパークに潜む再生能力は、ワンピースや剣だけでなく、人体にまでも及ぶらしい。
桜井教授は自身がナギであることを肯定したかのように、自然と受け答えする。
「桜井教授が…ナギだったんですね。」
「騙すつもりはなかったんだ。流石に君一人で、安全の保証できない、不確かな世界に行かせるわけには行かなかった。」
「でも…すぐにそう言ってくれれば…」
「アナプラは、君が思うよりもずっと不安定な世界だよ。1つのバランスが崩れれば、全ての世界が総崩れしてもおかしくないんだ。だけど、こんなに長い間、黙っているつもりはなかったんだ。君と僕が、マキさんのアナプラで安定的な立場を確保できたら、ちゃんと話そうと思ってた。」
「じゃあ、なんで?」
「だけど、そしたら…ほら…マナがおかしなこと言いだしただろう?」
「おかしな事?」
「だから…。アナプラで恋をしたらどうなるか、とかな?」
私は一気に血液が、顔に集中していくのを感じた。
桜井教授もまた、照れくさそうにそっぽを向く。
私は意図せず、本人に告白をしてしまっていたらしい。
「君の気持ちを知ったら、とても言い出せなくなった。申し訳なくて。」
「申し訳ない?」
「ナギは僕だけど、僕じゃない。僕のアナプラが作り出した、僕の化身だから。」
「え?」
「ナギと僕は記憶を共有しているが、基本的には別人格だと考えている。」
「別人格?」
「僕のアナプラには、ナギが必要だった。僕のアナプラで戦っていくためには、どうしても必要だったんだ。」
「戦う?桜井教授のアナプラにも魔物がいるの?」
「聞くかい?長くなるよ。」
聞きたいと思った。
桜井教授のことをちゃんと知りたい。
私は桜井教授のことを、何1つ知らないのだ。
「話してくれるんですか?」
「ああ、君のお母さんはもう気づいてる。」
「母が?」
母が何に気づいているというのだろう。
母と桜井教授の接点が見つけられず、動揺を隠せない。
「僕は君のお母さんが働く施設で育ったんだ。始めはわからなかったけど、君が話してくれたマキさんの出生を聞いて思いだした。」
「児童養護施設で…?」
母が桜井教授を見て、〝優ちゃん〟と語りかけていたのを思い出す。
母は知っていたんだ。
私は必死に母の説明を脳内で再生しようと試みる。
確か…経済的な理由や虐待で保護者と生活することが難しくなった子が入所するって…
「僕は両親に虐待を受けていたんだ。」
そう語る桜井教授の色のない目に、私は息を飲んだ。
呼吸をするのも憚られるほどの静寂。
「施設に保護されたのは5歳位だったらしい。幼い頃だったから、虐待のハッキリした記憶はない。ただ漠然と怖かったこと、痛かったこと、寒かったことを覚えているだけだ。両親の顔も記憶にない。」
「環境の変化による記憶の、切断?」
マキと同じ状態だったのだろうか。
桜井教授はおそらく、と頷く。
「結局、両親は僕を引き取ることはなかった。義務教育を終えた僕は退所して、一人暮らしを始めたんだ。そうして一人になったら、悪夢を見るようになった。」
桜井教授はゆっくりと立ち上がり、続きはリビングで話そうと部屋を後にする。
桜井教授の背中を追いながら、どういう気持ちからかはわからないけれど、どうしようもなく、この背中を抱きしめたいと思っていた。
リビングの大きな窓から指す光は、朝の光より、少しだけ熱を帯びている。
黒革のソファに腰掛けるように促され、桜井教授はコポコポと慣れた手つきでコーヒーを入れてくれる。
さっきまで魔物と戦っていたとは信じられない程の穏やかさだ。
「悪夢、だと思っていたんだ。始めは。」
コーヒーを私の前に置きながら、桜井教授は私の隣に腰掛けた。
その人の横顔をまじまじと見る。
なるほどと思った。
眼鏡を外して、もう少し全体的に色素を薄くすれば、ナギとよく似ているのかもしれない。
「毎晩毎晩、悪夢の中で魔物と戦った。魔物を倒すといつも目が覚めた。そのうちに気づいたんだ。夢の中の傷が、起きても体に残っていることに。これは夢なんかじゃないと思った。」
「それがThought world、だったんですね。でもどうして魔物なんて…。私のアナプラには魔物なんていなかった…」
人気もなく、センスの欠片もない風景を思い出す。
あそこにいたのはコロコロ丸いニコマルだけだった。
「僕とマキさんはおそらく、潜在的なPTSDを発症していたんだろう。意識下での発症だから、外的にはなんの問題ない。自覚症状もない。自己免疫疾患の1つだが、本当なら自分の免疫細胞を攻撃するところを、自分の内的精神を攻撃する症状が出てしまったんじゃないかと思っている。」
「自分の気づかないうちに、魔物という形で自分の精神を攻撃してしまったということですか?」
「ああ。毎晩毎晩、アナプラで魔物と戦い続ける内に、僕は強くなりたいと心底願ったんだ。負けたくない。生きたいと。毎日、毎日願って、それが魔物と戦える力になっていった。」
ナギが戦いに慣れ、無敵とも思えるほどの強さを持っていたのは、そんな孤独な戦いを何年も、何年も続けていたからなんて、思っても見なかった。
「意思力の具現化…。」
「それが武器になり、スキルになり、ナギは僕という人格から独り立ちして、どんどん強くなっていった。そして、グリが現れた。」
「グリが?」
「グリは僕のTWGだ。」
「ソートワールドガイド…!」
そう言われて、今までどうして気づかなかったんだろうと、不思議に思う位に納得してしまう。
確かにマキのアナプラではグリは異質過ぎる存在だ。
「じゃ、グリもニコマルと同じ能力があるんですか?」
「ああ。僕のエンプラをサポートしてくれてる。」
「人によってTWGは姿を変えるって言うけど、それは何によって変わるんですか?ランダムに選ばれるってこと?」
「おそらく、自身が望んだものなんだと思う。」
「望んだもの?」
「僕は強くなりたかった。欲したのは強さだ。だからグリもまた強く、戦いに適したTWGなんだろう。君が欲したのは、癒しなんじゃないか?」
「だから、ニコマル……」
私はマキのいない現実に打ちのめされていた。
確かに癒されたかったのかもしれない。
事実、アナプラでは何度もニコマルに癒やしを求めた。
「でも、ナギは私よりマキのアナプラに詳しかった…。サラだってナギのこと知っていたのに…。」
「君が初めてエンプラをした日、マキさんのアナプラの入口を見つけた所で帰ってくるように指示しただろう?」
もうはるか昔のことのように思える、最初の日を思い出す。
そうだ、確かにマキのアナプラの入口の前で桜井教授に呼び戻されて…
「君を帰してから、僕はグリと共に君のアナプラを経由して、マキさんのアナプラへ向かった。一晩中探索をして、トリュドスの草原であの大蛇に出くわしたんだ。」
「双頭の大蛇…!」
「幸運にもその場所はリーポイナスにほど近い場所で、夜警で異変に気づいたサラが助けに来てくれたんだ。そこでサラと出会った。」
「そんなことが…。だから大蛇を倒したら、しばらく出て来ないことも知っていたの?」
「ああ。」
そうだ。
翌日に訪れた研究所で会った教授は、どことなく疲れた様子を見せていた事を思い出す。
一晩でそんなことがあれば疲れもするだろう。
「僕は自分の経験上、アナプラに魔物が現れることを知っていたんだ。だから、君が危険に晒されないよう、安全な居場所を確保することがどうしても必要だった。」
自分の安全を最優先にするように。
安全第一に。
桜井教授にしろ、ナギにしろ、再三にわたって私に念を押した言葉だった。
「なんで…そこまでして、私を助けようとしてくれたんですか?」
桜井教授はコーヒーを一口啜りながら、首を横に振る。
「君を助けるためじゃない。もちろん、マキさんの為でもない。」
「でも…」
「確かに結果的に君たちの助けになっていたのかもしれない。だけど、僕がしていたのはそんな善行じゃない。言ってしまえば、ただの興味だよ。Thought worldにおいて、自分ではない誰かが自分を救い出すことが出来るのか。前にも話したと思うが、研究対象でしかない。だから、感謝も謝罪も必要ない。」
バッサリと切り捨てられた気がして、胸の奥がギリッと痛む。
別に大切にして貰っていると思っていたわけじゃないけど、そんな身も蓋もない言い方をされたら、誰だって傷つくだろう。
だけど、と桜井教授は話を続ける。
「正直、始めは無駄じゃないかと思っていたんだ。マキさんを助けに行くなんて。Thought worldの恐ろしさを僕は知っていたし、そんな簡単なものじゃないということも知っていた。けれど、君が余りにも必死で、少しだけマキさんが羨ましいと思ったよ。」
桜井教授はソファの背もたれに背中を預け、銀縁の眼鏡を外して、目を閉じる。
初めて見せる、無防備な姿だった。
「僕にも、君みたいな人がいれば、もう少し救われていたかもしれないな。」
そう呟くと空になったコーヒーカップを持って立ち上がり、キッチンに向かって歩いていく。
愛をくれるべき両親に虐待され、保護されてからも、毎晩魔物に襲われ続けて、それでも負けずに生きたいと願い、戦いつづけてきた人。
たった一人で。
ずっと一人で。
私は思わず教授の後を追いかけて、その背中を思い切り抱きしめた。
「マナ?」
「違います!恋愛感情からやってる訳じゃないから嫌がらないで!!」
私は桜井教授が拒む前に、先手を打つ。
両手にコーヒーカップを持ったまま立ち尽くす桜井教授の戸惑いが、その背中から伝わってくる。
「人には、与えられるべき愛情が一定量あるんです。その愛情が与えられなかったなら、与えられるべきなんです。」
本心からそう思ってるのか、この自分の行動に対する言い訳なのか、正直自分でも判断が付かない。
けれど、どんな言い訳や理由をつけたっていい。
今、どうしてもこの人を抱きしめたいと、私は心から思っていた。
「…君はお母さんに似ているな。昔、同じ事を言われたよ。忘れてたけど。」
桜井教授はカウンターにコーヒーカップを置いて、空いた手を私の手の上に乗せた。
「教授。私、教授のアナプラに行って一緒に戦う!教授のアナプラの魔物、全部倒すまで一緒に戦う!」
私は本気だった。
本気で桜井教授の力になりたいと思った。
それなのに桜井教授の口から出た言葉は、またもや私をバッサリと切り捨てる。
「それはただの足手まといにしかならないだろ?」
だけど、そう言って振り返った桜井教授の顔は、穏やかな笑顔だった。
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