bichrome
綱岸皐汽〈可変〉
プロローグ
地球と呼ぶのもおこがましいかもしれない。先の戦争で、もともとの人類は滅び、今や道具として作られた改造人類しか生きることなどできないのだ。
これが男の中に眠っている数少ない長期記憶の一つである。
男はぶっきらぼうに強かった、大変気まぐれであり、頓智気な行動を起こしてばかり、脈絡などあったものではない。それは生まれてからの先天的なものともいえるし、生まれ自体を考えると後天的なものともとらえることができる。
ただ男は強く(男としての機能は生まれた時点ではもうないので「男」と呼ぶのも違うかもしれないが身体的特徴から見て男なのだろう)、そして短絡的であり、すぐ物事を忘れてしまうのであった。
男は旅の途中である。なぜ自分が旅をしているかもわからないし、考えたこともないのであろう。ただ荒廃してしまった道、干上がった海を闊歩し、得体のしれないものの横をすり抜けて、また歩き出すという行為が、結果的に旅というにふさわしいものとなったから男は自分が旅をしているということにしているのだ。
何かを知りたいという欲求が絶対的に強く、日々の端々を思い返すことはかなわないが、道すがら見かける塊「もにもに」についての執着はすさまじく、10kmごとに並ぶこれについては深く、また自身の体を使って知識の収集にふけっていた。
食欲というのも、不思議と湧いてこないらしいが、30回日が昇る前までに「もにもに」を摂取しなければならないという衝動にかられ、それを行ってきた。
約3m立方の少しねうねうと動くそれを四分の三ほど平らげ、その近くで記憶を飛ばし、また動き出すということを食事といい、このおかしな衝動を食欲というのであれば男は食欲旺盛なのであろう。
男はいつものように二ホンの足でほっつきまわっていると、
「すいません、道を通りたいのですが一緒についてきてくれることはかなわないでしょうか」
と、声をかけられた。
男は高次な知能を持った、会話ができるものと会うのはこれが初めてであった。普段見るような生き物は、水たまりに映る自分の全容とそっくりな部位を持っているものばかりであるからだ。たいていのものは顔から生えた足をざすざすと動かしてその場でホバリングをしているもの、二つの顔と一対の手足がくっついたようになっていて、胴体を持たずに顔同士で発狂しあっている、頭の中に少しだけこびりついている常識と照らし合わせておかしなものばかりであったからだ。
声をかけてきたのは青年であった(この青年もまた生殖機能に著しい乖離がみられ、いわゆる両性のようなものであり生殖器は伴っていない)顔は男とはかなり異なり、鼻が低く、薄い黄色の肌であり、それは男の足の色と同じであった。
またその青年は一人の少女と伴い歩いていた。自分と同じかそれよりも大きなバッグを背負っていた。少女もまたごくごく薄い黄色の肌をしていたが、瞳と生えている髪の毛から色素を感じない。白という色を未だ見たことがなかった男にとっては、くすんだ世界からみて純白という異質さは、目に突き刺さってきた。
しかし男の知っている常識からすると二人は人間であるということが考えられる。男にとって同じ人間との初めての出会いであった。
男は興奮した。男の異常なばかりの知識欲をいかんなくこの二人が刺激したからである。
男は二つ返事でその二人と旅の一辺を共有することを決めた。
青年は博識であり、男は青年から様々なことを聞いた。昔は人間がたくさんいたこと、その人間同士が結託しあい国というものがあったこと。その国同士の争いで世界がこのようになってしまったことなどであった。
男はとにかく忘れやすいがこの青年から教えてもらったことは長期記憶の領域に収めることができた。男の長期記憶には「モニモ二」とこの青年から教えてもらったこと、かすかにこびりついている記憶の三つであり、男もそのことを気に入った。
また青年は昔の人間と今の自分たち三人とは決定的に違う点があるということを教えてくれた。昔の人間はいまの男のような人類と比べて著しく能力が低かったというのだ。男が持っているような怪力や俊敏性、胴体神経などは聞く全人類からしたらおかしいようであり、それは青年が知っている生き物の特徴の中から最大値をすべて得たものだという。
男は照れ臭く笑んだ。褒められるのは悪い気分ではないと、知ったのであった。
青年からは様々なことを教えてもらい、それは二度日が昇るまで澱むことなくつづいた。おそらく青年の昔の人間と比べて優れている点は知識の蓄えられる量なのであろう。男はそのことをほめ、その青年も顔を指の腹でぽりぽりとなぞった。
日が昇ったとき少女が青年を促して、足を動かしだすことを決めた。青年がデータのアウトプットをしている間、少女は一言も発さずまた話を聞いている様子もなく、凍えるように縮こまり、青年と男のことを鋭く観察しているのみであった。
道を歩き始めた。道といっても舗装されているのではなく、ただヘドロのようなどろどろとしたものがないところであり、わき道にそれることはなくただ歩けと指示されているようにも感じる。
少し行くと道が開けてきた。ここまで一列になって歩いてきた一行は男を先頭として少年と少女は横並びになった、今までもこのように歩いていたらしく、横並びになる二人を見ると、兄妹のようにも見え、男は保護者にでもなったような気分になり雲色の肌を高揚させた。
日が沈むと青年が止まりたいと言い出したので、男はそうすることにした。道が開けたところで三人は止まり、少年が持っている袋から布を取り出し、横になっていたので男もそのまねをし、横たわるようにした。
また日が昇ると一行は歩き出した。
空には雲がかかり、日が昇ったことはよくわからないが、青年が日はもう昇ったといったのでそうなのであろう。ま他これまでと同じようにして歩き出した。
時折少女が不安がり、震えだすことがあったが、青年が少女を包み込むようにして安心させるようにした。男はこの様子を見て、自分一人でぶっきらぼうに歩くよりもこの三人で歩いていたほうが楽しいと考えるようになった。
ふと「モニモ二」が見え始め、男は理性を失ったように走り出した。そのスピードは前述のように常軌を逸する速度であった。男はいつものように「モニモ二」を食い漁り、その近くで記憶を飛ばしてしまったのだ。
男は起き上がると、歩いてきたほうから二人が見えるのがわかった。普段なら「モニモ二」以前のことはめっきり忘れてしまうのだが、青年の記憶はなぜだか鮮明であった。
「なぜ走り出してしまうのですか」
と、青年が男に問うた。男はうまく説明をできるべもなく、ただはにかんだだけであった。男は急いで地平線のふちにみえる彼らのもとへ駆けていきまた元の所に戻ってきた。
刹那であった。
青年の半身がはじけ飛んだのである。いや正確にははじけ飛んだのではなく、コンマのスピードで青年が半身を失ったのである。
男は確かに己が目で何が起こったのかをとらえた。
「モニモ二」から舌のようなものが伸び、その先についた口が青年の半身を食いちぎったのである。「モニモ二」の唇には蝋のようなものがついており青年はいまだ所有している半身と外界を隔てる部分に透明な膜のようなものがついていた。
青年はなにも発さなかった。ただ半身を失ったということに気づかず、そちら側にぽすんと倒れたのみである。即死であった。
男は動転した。人間が死ぬということが初めてだったからである。死という概念を理解した後、男は小さく号哭した。しかしそれを続けるのは不可能であった。男の怪異的な知識欲はそれを許さなかった。
男は少年の亡骸を丹念に調べ始めた。
少年の体内だった部分から確認できるのは引きちぎられた臓器と金属片でった。男は笑った、人体から金属片が出てきたことに対する興味とそれが何なのかを知りたいという興味から外れてしまったのだ。少年をつつく、じゃれあうように少年の残された半身を動かす。透明な膜をしゅあと割き中身を愛でた。
少女は一部始終を横わらに立ちながら見ていた。決して男とかつて少年だったものに近づくことはなかった。「モニモ二」があるからである。少女は踵を返して元の道に帰った。
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