ピアスと科目選択

 ピアスは女性限定、なんてことはもちろんないが。

 なんとなく「つけるのはチャラい男」という偏見はある。

 いや、女子でも耳以外はチャラいか?

 でも、個人的に女子なら耳はセーフ。


 まとめると、万桜的に「耳にピアスをするのはお洒落女子」ということになるが。


「なんか、あんたたちの部屋ってあんまり物がないわね?」

「ここに来て二週間くらいですし、準備で慌ただしかったもので」

「そう? あたしたちの部屋はもうぬいぐるみだらけだけど」


 大量のぬいぐるみを愛でる美夜。

 可愛いが、まあ十中八九、ルームメイトの持ち物だろう。


 ──それにしても、女子を部屋に招くのは緊張する。


 部屋と言っても寮内だし。

 万桜もいまは女の子だし。

 奏音とは同棲までしているわけだが。


 妙なそわそわ感に襲われつつ、美夜に椅子を勧めて。


「来てもらってなんだけど、ピアス穴くらいわたしが自分で──」

「だめです」

「そうよ。穴がズレたらどうするの」


 味方が誰もいなかった。


「先ほど、専用のピアッサーを借りて参りました」

「あ、それすごく良いやつじゃない。『歌姫ディーヴァ』専用だから綺麗に穴が開くのよね」

「そんなことにまで能力を使うの……?」

「お姉様、侮ってはいけません。通常ですと穴を定着させるまでつけっぱなしになりますし、下手に開けると病気の恐れもあります」

「治癒と自然治癒防止のおかげで、このピアッサーならすぐ本命をつけられるのよね」


 この世には、万桜の知らないことがたくさんあるらしい。


「……なんか、だんだん怖くなってきた」

「痛いのは最初だけですから」

「そうそう。すぐに慣れてピアスなしじゃいられなくなるわ」

「二人も未経験だと思うんだけど」


 奏音と美夜はにやりと笑って誤魔化すと、「さあ」と万桜ににじり寄ってきた。


「お姉様も椅子に腰掛けてください」

「う、うん」


 言われた通りに腰を下ろし、髪をどける。

 ピアッサーを手にした奏音が息のかかる距離に近寄ってきて──器具の冷たさが耳に伝わる。


「少し、痛いですよ」


 注射の前のような警告と共に、ばちん、と音。

 同時に耳に痺れるような痛みが走って──。


 確かに、痛いのは一瞬だった。


「上手いじゃない奏音。ばっちりよ」

「お姉様の耳で失敗するわけにはまいりませんので」


 手鏡を受け取って確認すると、シンプルなシルバーのピアスが耳の下側を貫通し、きらきらと輝いている。


 本当に、穴が開いたんだ。


 万桜の今の容姿にはシンプルなそのピアスもよく似合う。

 チャラいとかではなく、単にお洒落だなという印象。

 もちろんこのピアスはすぐに外してデバイスに付け替えることになるが。


 痛みは、すでに余韻が残るだけ。


 自然治癒防止ということは、それが切れるまで穴は塞がらないのか。

 指でピアスを軽く撫で、自分が確かに『初体験』を済ませたことを実感。


 痛みは、通過儀礼のようなもの。


 一生縁がないと思っていたアクセサリーが自分の耳に飾られ、しかも似合っている。

 むず痒いような感覚に全身が包まれて。


「じゃ、もう片方はあたしね?」


 囁くように言われた万桜は、こくん、と頷きを返して。

 やはり、儀式はほんの一瞬だった。


「うん、似合ってるわ万桜。すごく可愛い」

「お姉様の容姿にはこの手の装飾品がよく似合いますね」


 もう一方の耳にも無事、ピアスが飾られる。


「ん……その、二人ともありがとう」

「あら。お礼を言われるのはまだ早いわ」

「そうです。デバイスを装着してからでも遅くありませんよ?」


 間に合わせのピアスが外され、代わりに精緻な意匠の高級デバイスが耳に。

 穴を通す際に痛みはなく、あったのはただくすぐったいような感覚だけ。


 しかし、耳には確かな重み。


 イヤリングとはまた違う。

 より全体を引っ張られるような感覚は、デバイスが物理的に固定されたことを教えてくれる。

 これならちょっとやそっとじゃ外れないだろう。


 最後に鏡に耳を映して──。


「……綺麗」

「はい。お姉様はとってもお綺麗です♡」

「ほんと、ちょっと羨ましいわ。……あんたの髪も、エフェクトも」


 しっとりとした声と共に髪を指で梳かれた万桜は、美夜の金髪を見上げた。


「美夜だって、すごく綺麗な髪してるのに」

「……あんたね。そういうこと素で言うんじゃないわよ」


 頬を朱に染めた少女に、額を軽く叩かれた。



    ◇    ◇    ◇



 こうして授業初日が終わったわけだが。

 明日と明後日、すなわち木金も必修科目のオンパレードである。


「……洗濯物がいっぱいだな?」


 外れにくくなったピアスを揺らしつつ、食堂で夕食を摂った後。

 部屋に戻った万桜は荷物を引っ張り出しながらぼやいた。


 汗をたっぷり吸った運動着に練習着。

 ブラウスやソックスもあるし、ブラはスポブラも含めて二着。

 いずれは能力訓練用にウェアがもう一枚いるかもだし、夏場は替えの下着も必要になってくるかもしれない。


 当然ながら、美少女も汗をかくのだ。

 これには奏音も「そうですね」と頷いて、


「ですので、心奏では各部屋に全自動洗濯機が用意されています」

「持つべきものは文明の利器だな」


 それでも洗い替えは相当数いる。

 学院推奨の購入枚数が「運動着、訓練着で最低3」なのが納得である。いや、むしろ三着で足りるかこれ……?

 ちなみに万桜のところには学院負担で六着ずつ送られてきた。

 追加で欲しければそれも(常識の範囲内なら)タダで注文可能らしい。


 持つべきものは特待生特権である。


「お姉様、明日筋肉痛にならないようにしっかりとマッサージをしておきましょうね」

「だな。筋肉痛で走れないとかはまずい」


 体力面でも能力面でも遅れているのは今日一日で思い知った。

 授業に参加できなくなるような要因はできるだけ減らしておきたい。



    ◇    ◇    ◇



 さて。

 一夜明けて木曜日の朝食時。

 朝食メニューの洋食セットに舌鼓を打ちつつ、美夜が尋ねてきた。


「あんたたちは時間割、具体的に決まった?」

「……ん、まだだけど、方向性はだいたい」


 科目選択は日曜日の日付変更までに提出となっている。

 申請は次の月曜日中に確定され、火曜日からは選択科目込みでの授業が始まる。


 今日明日のレッスンも忙しいだろうから実質、時間的余裕はあまりない。


「美夜さんは入学前からほぼ決まっていそうですね?」

「まあね。あたしはとにかく上を目指すわ」


 仮の時間割を見せてもらうと──基礎トレーニングが少々、後は実践的なメニューが詰め込まれていた。


 心奏の授業科目は理論、体力づくり、発声、歌、ダンス、能力訓練、座学など多岐にわたる。

 各項目について必要数と難度を調整しつつ時間割を埋めていくわけだが──その点、美夜のプランはどこまでも挑戦的だ。


「あんたたちは?」

「わたくしも美夜さんほどではありませんが、応用科目を選択するつもりです」

「へえ。奏音のことだから万桜と同じにするかと思ったわ」

「さすがにわたしに付き合わせられないし」


 奏音は『歌姫』の歴史や能力理論なども押さえたバランス重視のプラン、美夜よりは基礎も多めの方針だ。


「ちなみに、二人とも普通の勉強?」

「勉強なんて独学のほうが効率いいじゃない」

「そうですね。夜間や休日に進めて、試験で単位だけ取得しようかと」


 本当に、この二人は『普通の努力』のレベルが違う。

 追いつきたくても簡単にはいかないな、と、頷いて、


「わたしは基礎中心、座学抜きで固めるつもり」

「……ま、万桜の場合はそれがいいわね」


 単純に、万桜には余裕がないからだ。

 他の生徒と同じ土俵までとにかくたどり着くこと。

 そのためには運動と芸能系の科目に集中するしかない。


「いい? ここの生活は甘くないわよ? サボってたらすぐ置いていかれるんだから」

「休む時はきちんと休むことも重要ですよ、お姉様」


 夜更かしする気満々っぽい二人に言われるのも変な感じだが、万桜は素直に「うん」と頷いておいた。



    ◇    ◇    ◇



「……いやうん、きっつい。これじゃ勉強どころか遊ぶ気力もないわ」


 金曜日の放課後。

 三日間、通しで必修科目を受けた感想がこれである。

 部屋に帰り着くなりぼぶーっ、とベッドに突っ伏し、万桜は悲鳴を上げた。

 両手両足はもはや棒のようだ。


 一方、奏音は「制服が皺になりますよ」と苦笑しつつ早くも着替えを始めている。


「お疲れ様でした、お姉様。本日もマッサージして差し上げますね?」

「ああ、頼む。正直、あれすごく気持ちいいんだよな……」

「ふふっ。お姉様が可愛らしい声で喘いでくださるので、わたくしとしてもやりがいがあります」

「だからそういう言い方をするなっての」


 下着姿になった奏音が部屋着を手に隣に座る。

 外面のいい彼女がこういうことをするのは二人の時だけだ。


「お姉様は実際、たいへん努力されています。授業でも手は抜いていらっしゃらないでしょう?」

「それくらい当たり前だろ?」


 妹を見上げつつ言えば、意外にも「そうですね」と返ってきた。


「『歌姫』に憧れ、目指すのであれば当然です。ですが、誰もがそう思えるわけではありません」

「ここに合格するような奴でも?」

「ええ。合格がゴールだと、後は楽しいだけの生活が待っていると、そう錯覚してしまう方も珍しくはありません」


 気づくか気づかないか、いつ気づくか、直せなかったとして致命的になるかはその人次第だが。


「お姉様。気高さを当たり前に持ち合わせられるのは尊い資質です。どうか、そのままのお姉様でいてくださいませ」

「……お前も先生も、俺に期待しすぎだっての」


 もちろん、悪い気はしない。

 憎まれ口は照れ隠しだ。


 万桜は『歌姫』に、そして女の子全体に憧れを抱いている。

 だからこそ、女の子になった以上は頑張るのが義務だと思う。

 自分でも倒錯しているとは思うが。


「とりあえず、朝のジョギングでも始めるかな」


 授業外でなにかしないといつまで経っても追いつけない。

 すると奏音は当然のように「では、お供いたします」と言ってきた。


「お前についてこられるといつまでも追いつけない気がするんだが……まあいいか、いつもありがとな」

「とんでもありません」


 以前よりも柔らかく、女性らしくなった妹の笑み。


「お姉様の努力は必ず身を結びます。『歌姫』とはそういうものですから」

「それも能力関連か?」

「はい。『歌姫』が身体能力的にも非常に優れているのはご存知でしょう?」

「先生なんか俺を尻で潰したからな」


 同じ衝撃を受けてぴんぴんしてるんだからさすがとしか言いようがない。


「歌を介することで能力は飛躍的に効果を増しますが、歌わずともある程度の効果はあります。こうして普段、生活している間も、ずっと」

「人より早く成長することもできる、って?」

「想いや願いが能力を決めます。その気になれば綺麗になったり、長生きしたりもできるそうですよ」

「先生も『五歳ごとに身体に来る』とか言いながら二十歳くらいの見た目してるもんなあ」


 能力が成長を促進し、成長している実感が自信となってさらなる努力を導く。


「お姉様はなにもかもこれからです。わたくしたちは学院に入学するため、幼い頃から励んでまいりましたが──逆に言えば、お姉様はゼロから、最高の環境で経験値を積み重ねられるのです」


 レベル1で魔王を倒したところで、仲間と同じ経験値しかもらえないのでは追い越すことはできないが。

 何事も、成長すればするほど上に行くのが大変になるもの。


 レベル1とレベル40は大きな差だが、レベル40とレベル46ならある程度勝負にはなるか。


「じゃ、頑張って経験値を稼がないとな」


 学院にはフィットネス施設なんかも充実している。

 余裕ができたらそういうところを利用するのもいいだろう。

 ……まあ、授業でぜんぶを出し切っているうちは授業の『前』でないと努力を追加する余地がないんだが。


 奏音は「そうですね」と微笑んで、


「では、ジョギング用のウェアも買いに行きましょうか」

「お? 別に学校指定ので良くないか?」

「可愛い自分用のを着たほうが気分も上がりますよ?」


 指定のも十分可愛いと万桜は思うのだが、「他にも買うものがありますし」と奏音が言うので「ならまあいいか」と頷いた。


「幸い時間割はだいたい決まったしな」

「はい。週末は足りないものの買い出しに参りましょう」


 女物の衣類をショッピングとは、女子か。女子だが。

 とりあえず「デートですね」と言う妹にはでこぴんを喰らわせておいた。

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