第14話 早贄

 白峰神宮の鳥居をくぐると、えた血臭が鼻を突いた。

 血痕を隠しているのだろう。境内のそこかしこに砂が撒かれているが、倒れた石灯籠や、半ばからへし折れた庭木に付いたどす黒い跡までは隠しおおせていなかった。


「これはひどい……」


 酒まんじゅうの余韻など一瞬で吹き飛び、沖田は顔をしかめる。ここで繰り広げられた惨状が容易に想像できたからだ。尋常の斬り合いでは絶対にこんなことにはならない。下手人が犠牲者を一方的に虐殺し、遺体を辱めたことが手に取るようにわかった。


 アーシアは瞑目し、胸の前で十字を切っている。沖田はその所作の意味を知らなかったが、神に祈っているのだろうと思った。沖田もそれに倣って両手を合わせ、南無阿弥陀仏と口の中で唱えた。


 社殿しゃでんを改めるとそこかしこに数え切れない破壊の跡がある。刀傷もあれば獣の爪で引っかかれたようなものもあり、襖や障子戸は乱暴に破られていた。欄間にも傷があるので見上げてみれば、天井板さえ割れている。巨大な熊でも暴れたのではないかと疑ってしまうほどだ。


「って、ありえないわけじゃないのか」


 これまで戦ってきた異形の数々を思い出し、沖田は頭を振った。坂本龍馬は魔術を使う。いまさら獣を使役したところで驚くには値しない。それどころかむしろ常識的だと思えてしまう。


 もはや沖田は坂本龍馬の関与を確信していたが、念の為アーシアにも確認する。


「アーシア、何か感じる?」

「はい、瘴気がすごく濃いデス……」


 答えるアーシアの顔色がよくない。沖田にはわからないが瘴気とやらに当てられているのだろう。一旦裏庭に出て、縁側に座らせて外の風に当たらせてやる。


「すみません、ありがとうございマス……」

「いや、俺も外の空気を吸いたかったところだよ」


 沖田の言葉は嘘ではなかった。社殿の中は死臭に満ちており、さしもの沖田でも気分が悪かったのだ。土方によれば白峰神宮では四人が殺されたらしい。しかし、残された破壊の跡はその何倍もの人間が殺されたようにしか思えない凄惨なものだった。


「なんで坂本龍馬はこんな神社を襲ったんだろう?」

「わかりマセン。しかし、何か邪悪な意図があるのは確かデス。魔は神聖なものを嫌いマス。ここはある種の聖地のようですが、魔によってそれが汚されてイマス。何かの魔術のための下準備だと思いマスガ……」


 アーシアは縁側を降り、何事か考えながら庭を歩く。裏庭にもそこかしこに血消しの砂が撒かれていた。アーシアは梅の木のたもとでふと足を止めた。


「ソージ様、これは……」

「ああ、それは百舌鳥もず早贄はやにえだよ。今回の事件とは無関係だろうね」


 アーシアの視線の先にあったのは枝先に突き刺された蛙の死骸だった。からからに干からびており、何ヶ月も前に刺されたものだとわかる。百舌鳥という鳥は賢いようで案外うっかり者で、冬の保存食のつもりで準備した早贄をしばしば忘れてしまうのだそうだ。


にえ……贄と言えば……)


 沖田の脳裏に芹沢と龍馬の言葉がよぎる。そういえば、二人とも『贄の聖女』と口にしていた。アーシアを指しているものと思われるが、どういう意味であるのか確かめてはいなかった。


「アーシア、贄の聖女ってどういう――」

「そーじ兄ちゃん! そーじ兄ちゃん!」


 沖田が言いかけた時、ひとりの男児が走ってきた。坂本龍馬と出会った日にもいた屯所近くに住む子どもだ。


「そーじ兄ちゃん! そーじ兄ちゃん!」

「おいおい、ここには入るなって言われなかったのか?」


 苦笑いしながら庭に降りると、さらに五、六人の子どもが駆けてきた。口々に「そーじ兄ちゃん! そーじ兄ちゃん!」と叫んで沖田を囲む。凄惨な事件の現場であっても、子どもにとってはいつのも遊び場なのかもしれない。


「そーじ兄ちゃん! そーじ兄ちゃん!」

「遊んでほしいのかい? でもなあ、兄ちゃんはいま仕事中なんだよ」

「そーじ兄ちゃん! そーじ兄ちゃん!」

「こら、袖を引っ張るなって」


 子どもたちにまとわりつかれる沖田を、アーシアがにこにこと眺めている。沖田は短くため息をついて腰をかがめ、子どもたちに視線の高さを合わせた。


「仕方ない。少しだけだぞ。隠れんぼか、鬼ごっこか。今日は独楽は持ってないからね」

「そーじ兄ちゃん! そーじ兄ちゃん!」

「わかった、わかったから何をして遊びたいかを――どうしたんだ、その目は?」


 子どもたちの目を見て、沖田は言葉を失った。

 彼らの片目は腐れた魚のように色がなく、もう片目は瑪瑙のように極彩色の縞模様に輝いていたからだ。


「そーじ兄ちゃん! そーじ兄ぃぃいい゙い゙ぢゃあ゙ん゙!」


 底無し沼が泡立つような不気味な声。

 子どもたちの身体が唐突にほどけた。

 った荒縄がほぐれるように。

 絡み合った蛇が離れるように。

 蚯蚓みみずの塊が崩れていくように。


「どぉじにいいぃぃい゙い゙い゙」


 捩じくれた肉の触手が瞬く間に沖田を絡め取る。倒されることだけは何とか堪えたが、手足の自由が奪われ刀を抜くことすらままならない。


「ソージ様!?」

「くそっ、何だこれは!?」


 アーシアが悲鳴を上げ、沖田が必死でもがく。

 そこに聞き覚えのある男の声がした。


「ひゃーはっはっ! そいつは蝕餬蚣ショゴスってんだ。何にでも化けられる優れもんだよ」

新見しんみ!」


 アーシアの背後から姿を表したのは頬被ほおかむりをした新見錦だった。

 短刀を右手に構え、鼠面をにやにやと歪ませてアーシアににじり寄っていく。


「沖田ぁ、この機会を待ってたぜ。まさか贄の聖女と二人っきりでのこのこ出かけてくれるたぁな。鴨が葱背負しょって鍋に飛び込んでくれたようなもんだ。ぎひゃーはっはっ!」


 下卑た高笑いが耳に障る。今すぐ斬り捨ててやりたいが、いくら足掻いても蝕餬蚣ショゴスの触手は一向に緩まない。


「無駄だよ、無駄。蝕餬蚣ショゴスの力は人間の何倍もある。俺が命じりゃ全身の骨を粉々にすることだって簡単なんだぜえ」

「やれるものならやってみろ!」

「へえ、いいのかい?」


 新見がにぃと嗤うと、蝕餬蚣ショゴスの触手が肉に食い込み、骨を軋ませる。沖田は苦鳴を漏らしそうになるが、奥歯をぎりりと噛み締めて必死に飲み込んだ。


「ひゃーはっはっ! なーんてな。沖田ぁ、てめえは楽には殺さねえよ。あとでじっくり甚振いたぶってやる。それより今は贄の聖女様が先だぜ」


 新見はアーシアの周りをぐるぐると回るようにしてじりじりと間合いを詰めていく。少しでも注意をそらそうと、沖田は大声を発する。


「俺が怖くて女が先か、相変わらず腐ったやつだ! 贄の聖女なんだか知らないが、正々堂々勝負してみろ!」

「へっ、嫌なこった!」

「きゃっ!?」


 新見の毛深い腕がアーシアをついに捕らえた。白い喉元に短刀を突きつけ、「きひひひ」と汚らわしく嗤う。


「贄の聖女をとっ捕まえて、沖田もぶっ殺せば坂本先生も大喜び。この俺様も大出世って寸法だ」

「だから贄の聖女ってのは何なんだ!」

「知らねえってのは悲しいなあ。いいぜ、冥土の土産に教えてやらァ」


 新見の口から、またも汚らわしい嗤いが洩れた。


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【作者からのお知らせ】

 ここまでお読みいただきありがとうございます!

 面白かったら★★★などいただけますと幸甚の極みでございます。


 本作ですが、小説投稿サイト「ネオページ」様にて5話先行連載中です。

「早く続きが読みたい!」と思ったら、「新選組討魔録 ネオページ」で検索よろしくお願いします!

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