第6話 菱屋

「あんれ、ほんに綺麗なお肌やわあ」

「これなら白粉もいらんどすなあ、羨ましい」

「でも、白粉塗ってみたいデス!」


 明くる日、沖田が訪れていたのは山名町の太物呉服問屋菱屋であった。

 アーシアが菱屋の女中たちに囲まれて談笑をしている。頭巾を脱いだときは驚かれたが、あらかじめ言い含められていたこともあってかすぐに慣れたようだ。女の順応力というのはすごいものだと沖田は舌を巻いていた。


「変わったお仕立ての着物べべどすなあ。前が合わせになってないんどすな」

「これはスカプラリオと言いマス! 日本の言葉に直すなら、修道服ですカネ?」

「お坊さんの袈裟のようなものなんどすな」

「そうデス!」


 別に遊びに来たわけではない。

 アーシアは目立ちすぎるため、変装のためにやってきたのだ。菱屋を選んだのは土方の紹介である。菱屋は芹沢に押し借りをされるなどの被害にあっていて、芹沢の死後に土方がそれを返しに来たことで大いに恩義を感じていた。芹沢を殺したのは表向きには長州藩士の仕業ということになっていたが、真相は察しているのだろう。


 沖田はこういう店に慣れておらず、本当は土方にも着いてきてもらいたかったのだが、


「オレみてぇな男が昼間から若い尼さんを連れ歩いてみろ。どんな噂が立つかわかったもんじゃねえ」


 とすげなく断られた。土方は江戸住みの時代から女にもて、京でもさっそく幾人かと浮き名を流す伊達男ぶりを発揮していた。土方の言う通り、アーシアと連れ立っていれば嫌でも妙な噂が立つだろう。


 菱屋の中は白粉とお香の混ざった甘い匂いで満ちていて、いかにも女の園と言った具合でどうも落ち着かない。縁側に腰を掛け、刀の下緒をいじりながら庭を眺めているが、真冬で残らず葉の落ちた木々を見たところで何の面白みもなかった。


「では寸法を測ろうと思うんどすが……」


 女中の一人に声をかけられ、沖田は何気なく振り返る。

 するとそこには、修道服の裾を膝上までたくし上げたアーシアの姿があった。


「きゃっ!?」

「ごっ、ごめん!」


 アーシアの短い悲鳴。沖田は慌てて前に向き直り、庭に飛び降りた。女中が声をかけたのは、着物を脱いで寸法を測るから席を外してくれということだったのだ。障子戸の締まる音と女中たちの笑い声が背中に聞こえ、沖田は顔が熱くなるのを感じた。


「しばらく外す! あとはよろしくお願いします!」


 そう言い残し、足早に表に回って菱屋を出る。人混みをかき分けて堀川通の橋を渡り、路地を二三度折れ曲がってからようやく一息ついた。


「まったく心臓に悪いや。服を脱ぐんならそうだとはっきり言ってくれればいいのに」


 唇を尖らせ、足元の小石を蹴っ飛ばす。驚いた野良猫が「みゃっ」と鳴いて沖田を睨んだ。猫にまで叱られた気がして、沖田は肩を落とした。


「ともあれ、どこかで時間を潰さないとな」


 このあたりで評判の茶屋はあったかと思い出していると、どこかから陽気な音楽が聞こえてきた。三味線に似ているが、もっと軽やかで明るい音色がする。気になってそちらに向かうと白峰神宮の境内に着いた。


 音色の元は拝殿の縁側に腰を掛けた男だった。総髪を後ろで縛り、見たことのない楽器を抱え、バチを使わず爪弾いている。形も三味線に似ているが、胴が丸く太鼓のようで、弦の数も五本と多かった。


 男の周りには子どもたちが集まり、思い思いに手拍子を合わせ、きゃっきゃとはしゃいでいた。男はそれをうるさがるどころかニコニコと歓迎している。

 興味を引かれた沖田は、子どもたちの輪に混ざって声をかけた。


「変わった楽器ですね。何ていうんですか?」

「む、これか? これはバンジョーゆう西洋の楽器がじゃ」


 強い土佐訛りに沖田の警戒心が刺激されるが、すぐにそれを解く。土佐は過激な尊攘浪士の巣窟だが、まさか昼間から楽器を弾いて子どもと遊んでいる者はいまい。しかも楽器は西洋のものだという。西洋文化を激しく嫌う攘夷論者にはありえないことだ。


「あ、そーじ兄ちゃんだ! 兄ちゃんも遊びに来たの?」

「いやあ、俺は仕事中なんだよ」


 中には沖田の見知った子どもも混ざっていた。非番のときは屯所の近くでよく子どもたちと遊んでおり、近在の女房たちからは時々子守を頼まれるほどなのである。狼と呼ばれ恐れられる新選組だが、その中に身を置きながらも沖田は不思議と子どもに好かれた。


「なんじゃ、おまん仕事中にサボっちょるんか。悪いやっちゃのう」

「そーじ兄ちゃんいけないんだ!」


 男がからからと笑い、それにつられて子どもたちまでも笑う。沖田は人差し指でこめかみをかきながら曖昧に笑い返した。まさか異人を変装させる任務の最中だなどとは口にできない。それに今日の沖田はダンダラを羽織っていない平服だ。わざわざ名乗って怖がらせる必要もない。


「曲も変わってますね」


 話題を変えようと尋ねるが、


「ウェスタンゆうがじゃ。ァリケンの民謡みちゅうなもんじゃのう」


 土佐弁と巻き舌の南蛮言葉が混ざった返事に思わず笑ってしまう。


「なんじゃ? なんぞおかしいことゆうたかのう」

「い、いえ、別に」


 沖田は口元を押さえて誤魔化そうとする。しかし、子どもたちが「ぁめぇりけん! ぁめぇ~りけん!」と囃し立てるのでついに吹き出してしまった。


「ほう、おまんら、えい発音じゃのう。筋がえい。将来は通詞か学者先生じゃの」


 だが当の男は気にした風もなく、子どもたちの発音に感心している。


「子どもがお好きなんですね」

「おう、子どもは大好きじゃ。未来は子どもらが作るもんがじゃ。こんな有望な子らがおるんなら、日本の夜明けは明るいぜよ!」


 男はじゃかじゃかとバンジョーをかき鳴らし、南蛮言葉の歌を歌う。沖田も愉快な気分になって、子どもたちと一緒になって手拍子を打ち、歌詞の意味もわからないまま合唱をする。

 そんな具合で気がつけば一刻約2時間ほどが過ぎていた。


「社長、こんなところにいらっしゃいましたか」

「おう、以蔵か。おまんも一曲歌っていかんか」


 そこに別の男が現れた。以蔵と呼ばれたその男は黒尽くめの洋装で、帯革ベルトに大小を吊り下げ、つる付きの眼鏡を掛けている。髷も結わず月代も剃らず、短髪を後ろになでつけていた。物腰は丁寧だが、一つひとつの所作に隙がない。


 眼鏡の奥の細い目と視線が合い、すっと背筋が寒くなる。

 沖田は無意識のうちに鯉口に指をかけていた。


 しかし以蔵はそれを気にもせず、男に続けて言葉をかける。


「以蔵か、じゃありませんよ。洗濯の準備が整いました。急いでください」

せわしいのう。それじゃ兄さん、失礼するぜよ」


 男は縁側から降り、バンジョーを背中に担ぐ。


「うちの社長がお騒がせしました」

「い、いえ、こちらこそ時間潰しに付き合ってもらって」


 以蔵に会釈されて、沖田はハッと我に返って鯉口から指を離した。

 冬だというのにじっとりと冷たい汗で背中が濡れているのを感じていた。


「おう、そうじゃそうじゃ。このへんも物騒になるからのう。子どもらは家に帰るんじゃぞ。じゃあ、日本の夜明けで会おうぜよ!」


 男はそう言い残し、以蔵を伴って境内から去っていった。

 物珍しい楽器がなくなったことで子どもたちもてんでに散っていく。


「ふう、なんだか妙な人たちだったな。洗濯の準備ができたとか、洗濯屋さんをしてるんだろうか。そんな風には見えなかったけどなあ」


 そして、あの以蔵という男だ。

 これまで数え切れないほどの剣客としのぎを削ってきた沖田だが、あれほどの剣気――そう、あれは剣気だった――を感じたのは初めてだった。さながら薄布一枚で包まれた鋭く研がれた刃のような、向き合うだけで切りつけられるような感覚を覚えたのは初めてだった。


(斬れるだろうか?)


 もしあの男と剣を交わすことになったら――想像すると肌が粟立ち、ぶるりと身体が震える。これは恐れなのか、あるいは武者震いなのか。沖田自身にもわからなかった。


 遠くから、昼四つ午前10時頃を告げる鐘が聞こえた。


「おっといけない。思ったよりも出歩きすぎたな」


 そろそろ変装も終わっているだろう。沖田はアーシアが待つ菱屋への道を戻り始めた。

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