宝石ランチを召し上がれ~子犬のマスターは、今日も素敵な時間を振る舞う~

櫛田こころ

第1話 それはどんなお店?①

 高校生の柘榴ざくろにとっては、その記憶は夢のような出来事だったかもしれない。小学生最後の夏休みの記憶だったが、まだ数年だったので完全には褪せていなかった。


 小学校最後の夏休み期間、母親が風邪をこじらせて入院していた頃だったか。


 柘榴は、家に居ても誰もいないので母の病室で夏休みの宿題をしていた。母は病弱で父と結婚しても子どもは無理だろうと言われていたが、柘榴は授かることが出来た。それでも虚弱が治ったわけではないので、柘榴が物心ついてからも入退院を繰り返すことが多かった。


 そのせいで大部屋ではなく個室をあてがわれているから、柘榴が長時間滞在しても問題なかったのだ。その日は、日差しは強いのに風が吹いていたから窓は開けていた。セミの鳴き声はうるさいが、柘榴はBGMのように聞き流しながら数学ドリルの問題をひたすら埋めていると。



『ねえ、柘榴ざくろ? 母さんは、母さんのおばあちゃんからおとぎ話を聞いたことがあるの』

『おとぎばなし?』



 母は体調が良かったのか、暇つぶしにと編み物をしていた。長時間会話し続けると体力を使うが、それは睡眠も同じらしく。けど、ぼんやりしているのもつまらないからと始めた編み物の完成品は、ほとんど柘榴の日用品として重宝しているほどだ。秋物にとニットを編んでいた母は、少し楽しそうにそのおとぎ話とやらを話し出した。



『かわいいお話だったわ。かわいいワンちゃんが、ふしぎなお人形さんといっしょに宝石のごはんを作ってくれるお店のお話』

『……ほんとに、おとぎばなしだね』

『信じられないでしょう? けど、母さんのおうちにずっと残っているお話なのよ』

『ずっと?』

『ええ。ずっと、ずーっと続く、ふしぎなおとぎ話。ご先祖さまの誰かがそのお店に行ったってことから伝えられているの』

『うそだー』

『嘘かもね? けど、素敵じゃない。そんなかわいいお話がずっと残っているのが。母さん、死ぬ前にその本でも書いてみようかなって思うの』

『変なこと言わないで! 母さんは生きているんだから!』

『ごめんね? けど、母さんもだけど……病気になりやすい人ほど、いつ死ぬかわからないの。だから、生きているうちにしたいことをしたいなって……思っただけだから』



 子どもにとっては辛い言葉でも、当時のことを思い返せば仕方のないことだと理解出来た。母の虚弱は柘榴が年を重ねるごとに悪化していき、入退院の回数も下手をすれば丸一年ということもあったくらいだ。


 だから、残された時間が短いことを母自身も気づいていたかもしれない。冗談めかした言葉にして、自分の子どもへの愛情を与えるだけ与えたい望みを後悔がないようにしたかったのだろう。十二歳の柘榴はまだ幼かったが、母が長生き出来る可能性が低いことは覚悟していた。なら、最期の時間まで母の望みを叶えてやりたい。最初こそは否定的な言葉を言ってしまっても、母の望みは否定したくなかったから。


 そのために、夏休みの宿題にあった自由研究を『本の作成』にすることに決めた。


 出来上がった本の中身は、トイプードルと変わった人形がきれいな宝石を使ってお客さんの悩みを解決するごはんを出すお店の内容だ。絵本のように仕上がったそれは、自由研究の中で優秀賞を取るほどの出来に。教師やクラスメイトにもたくさん褒めてもらえた。


 だが、その悦に浸る時間はすぐに終わってしまった。柘榴の母は、その年の冬に肺炎をこじらせてしまい。柘榴と父が病室に到着したと同時に、二人になんとか笑顔を向けてくれたがそのまま息を引き取った。

 

 突然の母の死別に、柘榴は覚悟していたはずの喪失感が予想以上に大きく、火葬のときも涙を流すことが出来なかった。父は逆に涙を流しながらも、喪主としての責務は果たしていた。


 二人きりの家族になったが、心機一転しようという父の意見を受け入れて別の土地での生活をすることとなった。喪失感が大きかったせいもあり、何もかもどうでもよかったかもしれない。覚悟がいかにもろかったことへの哀しみもったのだろう。


 思い出深い土地を離れたが、形見となった本だけは忘れずに持っていくことにした。それだけは、母との大切な思い出だったからと。


 しかし、数年経ち、高校にも進学できた柘榴は母の死を受け入れたかはわからないが、育った地元へ行ってみようと本を持って訪ねたのである。


 五、六年の月日が経っただけだが、母が入院していた病院はもう残っていなかった。代わりに、こじんまりとした喫茶店があったのだが。その外観がどう見ても手にしている本の挿絵にと柘榴自身が描いたものとそっくり同じ。


 思わずその扉を開けてしまって、店の中に居たのは。



「いらっしゃいませ、迷えるお嬢さん」



 赤茶のトイプードルがカウンターの上で出迎えてくれたのだが、口から出たのは鳴き声ではない。とんでもなく色気のある中年の男性のものだったのに酷く驚いてしまった。

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