第22話【危険】
「ふぅ……」
「やっと終わったな!」
あの事件から今日まで、未だあの男は僕らの前には現れずに、平穏な日々を過ごしている。
いつ襲いにくるか警戒しながらの掃除は、ゴミ捨てが明るくなるまで出来ないこともあり予定よりも時間がかかったが無事に終わり、数日前までカビ臭かったこの部屋も今では住めるほどに綺麗になっている。
「報告しに行こうぜ」
ウルスの提案で、この数日間気にかけてくれていた男の元へと向かう。
何度も見た扉を軽く叩き、ガチャリと開けるとそこには最初にこの店に来た時と同じようにその大男は眠っていた。
「ジンさん! 起きて!」
ウルスがそう大きな声で言うと、ジンはビクッと体を震わせ目を開く。
「……おぉお前らか……終わったのか?」
眠そうな目を擦りながらそう言われ、僕らは頷く。
「やったじゃねぇか、よしちょっと待ってろ」
そう言うと机の中から一枚の紙を取り出し彼が握ると小さく見えるペンを取ると、背中を丸めて何かを書き始める。
カリカリとペンを走らせる音だけが聞こえるなか数秒待つと、ジンはその紙を僕らの方へと突き出した。
「ほらこれ、お疲れさん」
「それはなんですか?」
「あぁまだ知らねぇか、仕事が終わった証明書みたいなもんだよ。明日フィルん所に持って行け。新しい仕事を貰える」
その証明書を受け取り何が書かれているか読もうとするが、殴り書きされた文字はジンという名前以外読み取ることはできない。
「ありがとうございます。お世話になりました」
「ありがとなジンさん!」
「おう、また仕事できたらこき使ってやるから来いよ」
最後まで憎まれ口を叩く彼だが、この数日間本当にお世話になった。
感謝の気持ちを込めて一礼し、僕らは頭上に広がる青空と同じように晴々とした気持ちで店を出た。
「次の仕事はなんだろうな」
「わからないけど、あの男には気をつけないといけないね」
帰り道を歩きながら、ウルスの質問にそう答える。
この数日間は店の中での仕事で更にジンにも守られていたが、今後はそうもいかないだろう。
稼ぐ為には薬を売らなければならないが、まだなんの情報も得られていない。
しかし情報を得るために外に出ればあの男に狙われるかもしれない。
そんな板挟みの状況で、自分の中にある一つの仮説をウルスに話すかどうかという悩みが、僕の中で渦巻いている。
「おや、おかえり。今日は少しいつもより早いね」
考え事をしていると周りが見えなくなっていた。
いつの間にか教会へと帰ってきていた僕らは、神父のボトルにそう声をかけられる。
「おう! やっと最初の仕事が終わったんだ!」
「おぉ……それは良かったね! お祝いしたいところだが、今日も食事はいつものスープとパンだよ。早く食べてゆっくり休みなさい」
元気よく返したウルスの返事にも、彼は優しい言葉で休む事を促してくる人間だ。
ここ数日で、僕らはそんな神父の事も少し信じられるようになって来ていた。
食堂へと向かうと、ジュノが座っていた。
乱雑な人間の多いこのスラムに似つかわしくないほど丁寧な仕草の彼は、食事をしようとする僕らに音も立てずにスープを注ぎ、パンを並べてくれる。
最初に会った時は冷たい印象だった彼も、ここで過ごすうちにどんな人間か分かってきた。
それを表すように彼が手入れしている裏庭の薬草畑は、丁寧に管理されていて雑草の一本も生えてはいない。
「いつもありがとうございます」
「ありがとな!」
僕らのお礼に返事をする事はなく、彼はそのままどこかへと行ってしまう。
ぺぺ村の門番に騙された経験のせいで、完全に相手を信じる事にはまだ抵抗はあるが、神父やジュノが用意した食事は抵抗なく食べられるぐらいには彼らを信用する事が出来ている。
食事を終え部屋へと戻ると安心感からか急激な眠気に襲われ、いつの間にか僕らは眠ってしまった。
目が覚めると窓から差し込む光はオレンジ色になっていて、その色がそろそろフィルの元へと向かう時間だと伝えてくる。
「ウルス、そろそろ仕事だよ。起きなきゃ」
「……おう」
ウルスを起こし、用意をして部屋を出る。
教会を出てフィルのところへ向かおうとした時、ボトルに声をかけられた。
「お祝いと言っちゃなんだが、これを持って行きなさい。しかし決して自分から人を傷つける為に使わないようにね」
そう言って渡されたのは、使いやすそうな長さのナイフだ。
腰につけられるように輪っかの付いた鞘を外すと、指を当てるだけでも切り裂けそうな鋭い銀の刃が、窓から入ってくる太陽の光を反射する。
「トラブルに巻き込まれた事はフィルから聞いている。それを使わずとも帰って来れる様に、十分気をつけるんだよ」
「ありがとうございます!」
「ありがとな!」
ボトルがくれたナイフを早速腰に下げ、教会を出る。
彼が言うように使わないに越した事はないが、腰に感じるその身を守る事の出来る重みは、僕らに少しの安心感を与えてくれた。
――――――――
「おうお前ら、久しぶりだな」
数日ぶりに会ったフィルへと声をかけると、今日もあの倉庫のような部屋から埃をかぶったまま出てきた。
そんな彼にジンから渡された紙を渡し、仕事が終わった事を伝える。
「終わったのか? そうだな……次は何をして貰おうかな」
「出来るだけ外を歩くような仕事がしたいです」
前の仕事のように掃除でどこかに籠りきりになるならこの仕事を選んだ意味がない。
僕らの次の仕事に悩むような仕草をするフィルに、ダメ元で希望を伝えてみる。
「外を歩く仕事、か……そういやさっきそんな依頼きてたな」
そう言うとフィルはポケットから一枚の雑に畳まれた紙を取り出し、こちらへと渡してくる。
破らないように丁寧に開いて中を確認すると、それは荷運びの依頼内容が書かれた紙だった。
歓楽街から少し離れた物置きから、指定された物を歓楽街の中にある店まで運んで欲しいというその仕事は、貰える給料が少なくとも僕らにとっては嬉しい物だ。
「この仕事をやらせて下さい!」
「一つだけ懸念点があるとすれば、何運ぶかは書かれてねぇんだよな……まぁ無理だったら別の奴にやらせりゃいいし、とりあえず行ってくるか?」
「はい!」
重すぎる物は僕らじゃ運べない可能性もあるが、無事に次の仕事が決まって一安心する。
「とりあえずその倉庫の方行って、誰もいなけりゃ店まで行きな。俺も一応後で見に行くからよ」
「わかりました。ありがとうございます!」
「ありがとな!」
フィルへとお礼を言い、地図に記された倉庫へと向かう。
歓楽街から離れるごとに人が少なくなる事に不安を覚えた僕らは、その目的地へと早足で進んでいく。
地図が指し示す建物に着く頃には、もう周囲に人の気配は無くなっていた。
「……なぁ、もう店の方に行かねぇか?」
「先にそっちに行けば良かったね……とりあえず、人がいるかだけ確かめよう」
人通りのない事に不安そうなウルスはそう言うが、ここまで来たのだから一応確認だけはしておきたい。
誰もいないだろうなとは思いながらも扉を叩き「すみません」と声をかけると、驚いた事に中から返事と物音が聞こえ、その木製の扉が軋む音をたてながら開いた。
「こ、こんばんは」
何故か汗をダラダラと流し、緊張している様子でどもりながらそう言い出てきたのは、何処かで見たような気のする太った男だった。
「あ、コイツ路地裏で蹴られてた奴じゃねぇか?」
ウルスがそう言った事で気付く。
目の前の男は数日前のあの事件の時、僕らを殺そうとしたあの男と揉めていたもう一人の男だ。
「君らがあの時の子たちか! 本当に助かったよ!」
男はウルスの言葉を聞くと、嬉しそうな表情に変わり突然流暢に話し始める。
「さぁ、仕事の説明をするから中に入りな!……いやぁ、本当に助かった……」
「そうだな! レオ、入ろうぜ!」
「う、うん……」
一瞬下を向き、何かに安心ように呟く男に不気味さを感じるが、それをウルスに伝える前に手を引かれ中に入る。
「いやぁ、良かった良かった……君たちが来てくれて助かったよ」
何か引っ掛かるような言葉を言いながら入ってきた男は、ガチャリという音と共に扉の鍵を閉めた。
その言動と部屋の中にある二脚の椅子といくつかの木箱が、僕にこの状況が仕事を装った罠である事を気付かせた。
「……罠ですか?」
腰からナイフを抜き、先端を男に向けながらそう問いかけるが、男は下を向き何かをブツブツと呟いている。
「答えろッ!」
僕がそう叫ぶと、男はこちらへと手を向ける。
「待て」と示す動作かと思ったが、男の手は徐々に紫色の光を帯びていく。
「何をし「〈転寝〉」
僕の言葉を遮り男がそう言った瞬間、立っていられない程の眠気に襲われる。
倒れていく体を自覚しながら見た男の顔は、あの門番と同じように歪な程口角を上げた邪悪な物だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます