第20話【初仕事】


 フィルに連れられ向かったのは、歓楽街の中のとある店だった。


 ノックもせずに勢いよく扉を開けてズカズカと入っていく彼に続き中に入る。

 そこでは丈の短いワンピースを着た女が数人忙しそうに動いていて、客らしき数人の男が椅子に座りながら酒を飲みながら談笑していた。



「おいフィル、ついにガキが出来たのか?」


「何言ってんだバカ、新入りだよ」



 男たちはフィルをからかいながら大きな笑い声を上げるが、彼らは仲が良いのその口から出る言葉の割に和やかな空気だ。



「なぁ、オーナーいるか?」


「奥の部屋にいるよー……ってもしかしてあの部屋の?……うわぁ……いきなりご愁傷……」



 フィルが一人の女性に尋ねると、その女性には僕らがやる仕事の想像がついているようで、憐れむような表情でそう言われた。

 簡単な仕事じゃないと予想はついているが、そんな反応をされるとだんだん怖くなってくる。

 ウルスも嫌な予感がしているようで、なんとも言えない顔になっている。


 女性が指を差した扉を開け中に入ると、大柄の男がイビキをかきながら眠っていた。



「ジンさん、いつまで寝てんの。仕事の時間だよ」


「ん?……あぁフィルか……」



 ジンと呼ばれたその大男は、椅子を軋ませながら大きく伸びをしてこちらを見ると目を丸く広げて固まった。



「……お前の子供か?」


「寝ぼけすぎだろ、こいつら新入りだよ。あの部屋掃除させようと思って連れてきた」


「ブハハハハハッ、いきなりかよ。お前も鬼だな」



 どうやら僕らの最初の仕事は掃除らしい。

 もっと過酷な事を想像していたからホッとしたが、こんな反応をするような場所を想像すると鳥肌が立ってくる。



「んで、こいつらの名前は?」


「そういや、まだ聞いてなかったわ。お前ら名前なんていうんだ?」


「レオです」


「ウルスだ」


「レオとウルスだな、よろしくな」



 ジンはそう言いながら机の引き出しを開け、一枚の紙を取り出しそれをフィルに渡す。



「……わざわざこんなん書いたのかよ、相変わらずデケェ体に似合わずマメだな」


「ウルセェよ、わかりやすいだろうが」



 そんなやりとりをしながら、フィルはその紙を僕らの方に差し出してくる。

 それを受け取って何が書かれているか確認すると、そこには捨てて良い物とダメな物のリストやゴミ捨て場の位置など、今からやるであろう仕事の細かい手順が書かれていた。



「ありがとうございます」



 彼らのやりとりからこのわかりやすい手順書は当たり前の事ではないのだろうと思い、ジンに向けてお礼を言うと、彼は何も言わずにヒラヒラと手を振るジェスチャーだけで返してくる。



「……いいってよ、行くぞ。着いてこい」


 

 それを見たフィルはそう言うと部屋を出ていく。

 僕らはもう一度深くお辞儀をして、フィルの背中を追いかけた。



 案内されたのはその店の三階の一番奥、他とは違い古ぼけた扉の部屋だった。

 嫌な音を立てる扉を開けると、入り口まで物が積まれたその部屋からは湿気たカビの臭いがしてくる。



「クッセェな……お前らの初仕事はここの掃除だ。三日もありゃなんとかなるか?」


「……頑張ります」


「ゴホッ……ゴホッ……」



 その不快な臭いに顔をしかめながらそう言われ、最低限の呼吸で済むように声を絞り出して返事をする。

 思いっきり息を吸ってしまったのか、ウルスは咽せることしか出来ないようだ。

 そんな僕らの様子を見たフィルは一度扉を閉め、腰に下げていた二枚の布を渡してきた。



「これやるよ、顔に巻いとけ」


「ありがとうございます」



 それをありがたく受け取り、顔に巻きつける。

 臭いに対しては気休めにしかならなさそうだが、この布のおかげで埃は吸わずに済みそうだ。



「これから毎日これぐらいの時間から太陽が出るまでここに来て掃除をしてくれ、報告は終わった時だけでいい」



 どうやらフィルとはここでお別れのようで、この仕事が終わるまでは会う事は無いらしい。



「わかりました、ありがとうございます」


「ゴホッ……ありがとう……」


「おう、頑張れよ」



 お礼を言うとそれだけ返し、フィルはそのまま去っていく。

 彼の背中がみえなくなると、僕らは何も言わずに顔を見合わせた。



「……ちょっとヤバそうだな」


「うん、まずは奥に見えたあの窓を開けたいね……」



 ゆっくりと扉を開け、部屋の中をもう一度確認してみる。

 目の前に並んだ埃を被った大量の荷物は、この仕事の大変さを物語っていた。





 数時間後、手前から少しずつ荷物を外に運び出し、できた隙間を上手く使いながらようやく窓までの経路を確保する事が出来た。

 窓を開けると空気が流れ、カビの臭いも少し薄れていく。



「ふぅ……やっとひと段落だな……」


「ちょっと放置してたら空気も入れ替わりそうだし、ゴミでも捨てに行く?」


「そうだな」



 僕の提案で、一度裏路地を進んだ先にあるゴミ捨て場へと向かう事にした。


 手順書のリストと照らし合わせながら、運び出した荷物をゴミとそうで無い物に仕分ける。


 持てる最大限のゴミを抱えて外階段に出ると、建物を挟んだ向こう側の大通りからは賑やかな声が聞こえてきた。



「どんな奴に薬が売れるか調べたいのに、この仕事じゃ全然わかんねぇな……」



 その楽しそうな声がする方向に顔を向け、ウルスがそう呟く。

 確かに建物の中で作業をして数時間、やっと外に出たけど僕らは人のいない裏路地へと向かおうとしている。

 まだ初日ではあるけど、確実に上手くいっているかと聞かれたら「はい」と答えるのは難しい状況だろう。



「……早く終わらせて次の仕事をしなきゃね」


「そうだな……よし、急ごうぜ!!」



 そう言うとウルスは走り出してしまい、僕もそれに続く。

 こんな事で仕事は早く終わらないのは分かっているけど、心のモヤモヤを吹き飛ばすように、二人とも何故か笑いながら裏路地を駆け抜けた。





「なぁ、なんか声聞こえねぇか?」



 無事にゴミを捨てて帰る途中、急に立ち止まったウルスがそう言った。



「大通りの声じゃないの?」


「……いや、こっちからだよ」



 僕には大通りの喧騒以外は何も聞こえずそう聞くと、ウルスは真逆の方向に指を差してそう言い、路地を曲がってそっちへと進んでいく。

 不安になりながらも後ろを着いていくと突き当たりで急に足を止め、僕はウルスの背中に顔をぶつけた。



「急に止まんないでよ」


「シーーッ!! 誰かいる……」



 僕の口を塞いで小さな声でそう言ったウルスは、角から顔だけ少し出してその先の様子を伺っている。

 同じように顔を出して曲がり角の先をみると、確かに二つの人影が何か揉めているような様子だ。



「……でだよ!! 他はもっと安いじゃねぇか!!」


「あぁ!? バラされたくねぇんだろ!? ならテメェは俺から仕入れる道しかねぇんだよ!!」



 耳を凝らさずとも聞こえるその怒鳴り声から、背の高い男がもう一人の太った男の弱味を握って脅しているんだろうという事が分かる。


 背の高い男は怒鳴り声を上げると、そのまま相手の男を蹴り飛ばした。

 転がった相手に対し何度も何度も足を振り下ろし、太った男はうずくまって耐える事しか出来ない。



「……やめろよッ!!」



 悲惨な光景を見ていられず目を逸らした瞬間、誰かがそう叫んだ。


 ……いや、その声の主は分かっているが目の前の現実を受け入れたくはない。


 見るからにマトモじゃない人間族の揉め事に口を挟んでも良いことなんか一つもないのに、隣にいたはずの彼は角から飛び出し、足を振り下ろしていたあの男の方を睨みつけている。



「……誰だテメェ」


「ウルスだ!!」



 こちらに敵意を向け、明らかに怒りの感情を込めた声でそう言ってくる背の高いその男に、僕の親友のウルスは、そう自分の名前を叫んだ。

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