第5話・勧誘

「三好さんって、お休みの日は何かされてますか?」


 まるでお見合い中のような質問が、香苗の口から発せられた。慣れない相手との時間稼ぎの為の会話だろうか。昨日のことを口止めするのが目的だったのだから、とっくに用件が済んで間が持たずに困っているのなら、何か用事を作って早めに席を立ってあげた方がいいのかもしれない。睦美はそう思いつつ、「特になにも。溜まってる家事をしたりとかですね」と無難に答えた。


 すると、なぜだか香苗の表情がぱあっと明るくなったように見えた。無趣味な暇人だと分かって、睦美のことを馬鹿にしてくるのとも全く違う。テーブルの上に身を乗り出す勢いで、香苗は向かいから睦美の右手をガシッと両手で握り締めて言った。


「三好さん、ピアノのお姉さんをやってくれませんか?」

「は?」

「私も多少は弾けるんですけど、それだと子供達と一緒に踊ったり手遊びが出来ないんですよね。そもそも、弾き語りだと子供受けしないし」

「ああ、だから昨日もカラオケだったんだ」

「そうなんです。でも、やっぱり生演奏の方が絶対いいのにってずっと思ってて……」


 確かに直に聞く楽器の音はカラオケの音源とは迫力が違う。子供の為のイベントなら尚更だ、きっと彼女はステージの臨場感とかにこだわりたいのだろう。

 握られた手をほどき、落ち着いて下さいと制止すると、香苗は恥ずかしそうに笑いながら椅子へ座り直した。


「でも私、ピアノをまともに習ってたのって小学校までですし……別に上手くも何とも。弾けることは弾けるけど、みたいなレベルですよ」

「あ、そういうのは別に求めてないので大丈夫です。ピアノがメインではないですし、相手は未就園児がほとんどですから。人前で堂々と演奏できるだけでいいんです」


 確かに新卒で入ったばかりの社員旅行で、半分酔っ払いの上司や先輩達の前でも躊躇せずピアノを弾いていた睦美だ。音楽的なレベルは全く足りないかもしれないが、人前で平然と演奏するのは割と平気かもしれない。元々あまり緊張はしないタチだ。


「でも……」

「多くても月に二回。ボランティアが多いんですが、出演料を頂けた場合は折半で。ピアノは用意して貰える会場がほとんどだけど、無い場合は持ち込んでいただかないといけないです。それから――」


 立て続けに条件を提示してくる香苗の台詞を、睦美は慌てて遮った。完全に香苗のペースで話が進んでいっている。睦美はまだ何の返事もしていない。


「柿崎さんが主役のイベントなのに、出演料は折半なんですか⁉︎」

「はい。基本的にはボランティアで始めたことなので、報酬は別に目的じゃないんです。なので半分ずつでも問題ないですよ」

「え、ちなみに昨日って、どのくらい……?」


 ゲスな問いかけだとは思ったが、興味本位でつい聞いてしまう。否、これは普通にものすごく大事なことだ。

 童謡五曲で半時間程のミニコンサートだったけれど、香苗が口にした金額は時給換算すると破格だった。折半しても一流大学の学生が家庭教師するくらいのバイト代にはなるだろう。ただし、イベント主ごとにピンキリなんだと付け加えていた。


「思ってたよりもかなり……あ、いえ、そういう問題じゃなくって。えっと、あまりに急なことで、頭がついてけてないっていうか……そもそも、私には無理っていうか……」

「ですよね。急にこんなこと言われても、困りますよね。ゆっくり検討していただいて大丈夫ですよ」

「あ、いえ、検討も何も――」


 動揺が隠し切れない睦美とは反対に、穏やかに微笑みながら香苗は緑茶の入ったペットボトルに口をつける。彼女がいつも水やコーヒーではなくて緑茶ばかり飲んでいるのは、その殺菌作用で喉を守る為なのかもしれない。密かに感心しながら睦美も給茶機のお茶が入った湯呑に手を伸ばし、残りを一気に飲み干した。


 同僚が歌のお姉さんを副業でしてるなんて知っただけでも驚きだったのに、それに自分も一緒にと誘われるなんて考えてもみなかった。だけど、人前で演奏ができるほど睦美はピアノのことが好きではない。ピアノには嫌な思い出の方が多いくらいだ。社員旅行以降、一度もピアノを弾こうと思ったこともないし、きっと指だってまともに動かないはず。コンサートの伴奏は音楽が好きで毎日練習を欠かさないような人が向いているはずで、決して睦美みたいな苦手意識がある者がすることじゃない。


 だから香苗から勧誘の話を逸らそうと、睦美は話題を振り返した。といっても共通の話なんて知れているけれど。


「ところで、社員旅行の話って誰から聞いたんですか?」


 もう七年も前の新卒時代だし、そもそも別の店でのことだ。系列店とはいえ、そんな昔のネタがここでも回っているのかと思うとウンザリする。一体、誰がそんな古い話を香苗に吹き込んだのやら。


「ああ、向こうのフォーマルのチーフと、こないだの展示会でご一緒したんです。三好さんとは同期なんですよね?」

「あー……夏目さんかぁぁ」

「夏目さん? あ、ご結婚されて苗字が変わられてるんですね。今は瀬野さんでしたけど」

「そうです、今は瀬野です。ちなみにあの人は、無難に同期の女の子三人でカラオケで済ませてました」


 スピーカー元があっさり判明したことで、睦美は同期の瀬野にいつか文句を言ってやろうと心に決める。当時の同期達のコスプレ画像は今もスマホのデータとして保存してあるのだ。さらに拡散する気なら、報復も致し方ない。


「その時に、三好さんが演奏されてる動画を見せていただいたんです。それがすごく楽しそうだったから、一緒にやってもらえたらなって思ってて――」

「はっ⁉︎ 動画って……な、夏目ぇぇぇ」


 報復は確定。でも、向こうも動画を持っているのなら、ちょっと話し合いの必要がありそうだ。一気に流れ始める変な汗を、睦美は休憩バッグから出したタオルハンカチで拭った。

 壁掛けの時計を見上げると、休憩時間は残り五分になっていた。お手洗いに寄ってメイクを直し、急いで売り場に戻らないといけない時間だ。まだ時間のある香苗より先に席を立った後、睦美は食べ終わった食器類を手に返却口へと向かった。


 ずっと気になっていた同僚とこんなことがキッカケで話すようになるなんて、誰が予想できただろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る