第3話・知ってしまった休日

 手遊び歌を含めた五曲を歌い終えると、歌のお姉さんはステージ前に集まってきた子供達と握手したり、頭を撫でてあげたりという軽いファンサービスをしてから、「じゃあ、またねー」と両手を振りながら元気よく扉の向こうへ消えていった。


「リンリンお姉さんにナデナデしてもらったー」


 嬉しそうに駆け戻って来た姪を、睦美は微妙な笑顔を浮かべながら迎えた。なんだろう、この複雑な感情は。あの孤高の人という印象しかなかった同僚が、沢山の子供に囲まれ、ステージの上で笑顔で歌って踊っていた。あまりのギャップの大きさに、頭の中が混乱しそうだった。


 でも間違いなくあれは柿崎香苗で、本人も睦美と目が合った瞬間に認めるような反応を見せた。別に香苗が休みの日に何をしていようが構わない。そもそも睦美とは関係もない話。会社的にも休日の副業は事前申請していれば認めてもらえるし、業務に支障をきたさない程度であれば休日希望も繁忙期以外なら簡単に取ることができる。

 もし彼女が後ろめたさを感じているとすれば、会社に対しての副業申請を怠っている場合だ。それ以外で、睦美の方から香苗に対して何かを言う権限はない。


 司会の民生委員がイベントの締めの挨拶をしているのを聞き流しながら、睦美は沙耶のツインテ―ルが解けかけているのを結び直す。はしゃいで飛び跳ねていたから、左右どちらのテールも位置が大きくズリ落ちてしまっていた。


「さーちゃん、お歌は全部知ってたし、お姉さんと一緒に全部歌えたよー」

「へー、いっぱいお歌知ってるんだ。物知りだね」

「うん、さーちゃんも大きくなったら、歌のお姉さんになるの」


 周りの親子達が次々に立ち去って行く。帰る前にトイレに寄っていく家族が多いのか、全開された入口扉の向こうに小さな行列が出来ていた。廊下の先には別室があるみたいだから、もしかしたらそこが出演者の楽屋になっているのかもしれない。


 ――柿崎さん、まだいるかなぁ?


 ちょっと気にはなるが、個人的に楽屋訪問をするほど親しくもない。それに、香苗だってこんなところで知り合いと遭遇するなんて思ってもみなかっただろうし、きっと睦美の存在は迷惑なはずだ。今日ここにいることに何となく罪悪感を感じてしまう。故意でなかったとは言え、同僚の秘密を無理に暴いてしまったような、そんな嫌な気分がした。


 沙耶を自宅へ送り届け、姉の計らいで昼ご飯を食べさせて貰った後、睦美は予定していた買い物をする為に自宅の最寄り駅前にある大型スーパーに立ち寄った。遅番が中心のシフトだから休日に買い置きしておかないと冷蔵庫はすぐに空っぽになる。本当に何もなくなった時は休憩時間中に食料品売り場で買うこともあるけれど、デパートの食料品ほど節約の足枷になるものはない。とにかく何でもバカ高いのだから。


 買い込んだ物を冷蔵庫へ突っ込み、洗濯や掃除などをしていると、あっという間に休日の残りが潰れてしまう。今日は可愛い姪とのお出掛けというイベントがあったからマシだったけれど、そういう特別な用事もない日は本当に詰まらない時間だけで休日が消化されていく。


 シフト制で休みは平日ばかりだと、時間が合う友達は限られてくる。かと言って、専業主婦になった友人には子供というオマケがもれなく付いてくるし、ゆっくり話し込む余裕なんてない。

 それに誰と会っても出てくる話題は同じだ。結婚か、子供か、或いは恋バナか。それのどれも、今の睦美には興味がないことばかりで、ちっとも楽しくない。ただただ自尊心がえぐられてお終いだ。


 翌日の昼過ぎ、早番のパート――橋口小春が休憩から戻ってきて、交代するつもりで休憩バッグを壁面棚から引っ張り出していると、内線電話が鳴り出した。ちょうど電話の前にいた小春が休憩中のバッジを外しつつ応対してくれる。


「はい、服飾雑貨です。――ああ、お疲れ様です。私が今戻って来たとこなんで、これからですね」


 「はい、失礼しまーす」と軽い口調で言って切ると、小春は睦美の方を振り向きながら伝えてくる。


「フォーマルの柿崎さんからでした。三好さんはもう休憩行かれてますか? って」

「え、柿崎さん……?」

「あの人と待ち合わせって、珍しいですね。ああ、でも三好さんとは歳近いですもんねー?」


 「柿崎さんの方が二つ上です」と冷静に答えながらも、睦美は動揺で胸がバクバクしていた。昨日の今日のことだから、絶対に歌のお姉さんのことを口止めされるに決まっている。口外する気なんて全く無いけれど、どう言えば一番信じて貰えるんだろうかと、約束の口上を頭の中でぐるぐると練る。


 バックヤードを抜けて社員食堂に入ったが、食堂内に香苗の姿は無かった。別に約束していた訳でもないし、二階に誘いに行くことはしなかったが、もしかしたら売り場に寄った方が良かったんだろうか? そう思いながらも、定食を買う為にカウンターへと並んだ。今日の定食のメインはエビフライか豚の生姜焼きだ。健康診断の時期も近いから揚げ物は避けて、生姜焼きの定食を選ぶ。小鉢はひじき煮にしてみた。


 いつもの窓際の席に着いた後、お茶を貰ってくるのを忘れたのに気付き、定食のトレーをテーブルへ置いて場所取りしてから壁際に設置されている給茶機へ向かう。プラスチック製の湯呑に湯気の立つ緑茶を淹れて席へ戻ると、睦美の真ん前の席で香苗がお弁当箱の蓋を開けようとしているところだった。


「あ、お疲れ様です……」

「お疲れ様です。ご一緒していいですか?」


 ビックリしてお茶を零しそうになったが、ギリギリでもちこたえる。一緒にいいかと確認してくる割に、香苗はすでに箸箱から白色のマイ箸を取り出していた。

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