ぼくは、〇✕と言われている

@Orenge_ST

第1話 通学路で金髪碧眼の少女と衝突する奇跡と、幼馴染が可愛いという幸運

 不幸という奴は誰彼かまわず、その凶刃を突き立てる通り魔みたいなものである。ただ世界には人生の内で七回も雷に打たれた人間がいるというのだから、その通り魔は特定の人間に固執する偏執狂でもある。

 ともすれば、そこまで不幸に好かれるからには何かしらの理由があるのかもしれない。例えばこの雷人間の場合には、雷雲に覆われたゴルフ場で一人、ゴルフクラブを天に掲げていただとか、雨風吹き荒れる嵐の山頂で傘をさして記念撮影をしていただとか、そんな具合に。

 でも、よくよく考えてみるとこの人の場合には、不幸ではないとも考えられる。七回もの落雷を受けながらも生きながらえた、天運に恵まれた恐るべきラッキーな人間なのかもしれない。


 みんなにそう考えてもらえれば、ぼく自身の境遇も、必ずしも不幸ではないんじゃないか、と言いたくなる。


 ぼくは、一般的に不幸だと言われている。


 言われている、だなんて変な言い回しだと思うかもしれない。ぼくは国語がとても得意だとは言わないが、人並には言葉を理解して扱っているつもりだ。ぼくにとっては、それはあくまで『言われている』ものでしかないのだから、それ以外の表し方はないはずで、これは的確な表現だと思う。


 ただし――今この時点のぼくは多分、不幸だと思う。マユミさんなら、これは一部の愛好家からすれば幸運なことよ、と言いそうだけれど。

結局は捉え方次第なのだ。


「いてて……」


 五月の連休明け。通学鞄を背負ったぼくは、勢いよくこちらに向かってきた突然の障害物を何とか身を捩って回避したものの、態勢を崩して地面に倒れ込んだ。咄嗟にアスファルトについた手がじんじんと痛い。


「オゥ! ソーリー……。ゴメンナサイ」

 声のした方を見ると、そこには横転した自転車と、ニーハイソックスにスカートという制服姿で座り込んだ白い西洋人形が居た。ターコイズブルーの瞳に、ブロンドの髪をおさげにしている。その顔は、あわあわと、今にも泣き出しそうに眉を寄せていた。


「大丈夫。大したことないから」

 ぼくは慰めるように彼女に言った。それでも彼女は、それしきの言葉では気が収まらなかったらしい。


「……ゴメンナサイ!」

 座り込んだ少女は、そのまま膝を地面に着いて、手を膝の前について日本古来の謝罪を繰り出そうと身をかがめた。


「いや、ほんと。大丈夫だから! ほら、元気! アイムファイン!」

 土下座しかけた少女を押し留めて、ぼくは、すくっと立ち上がった。ついでに、まるで体操をするみたいに腕をぐるぐると振り回してみせる。

 ぽかんとした顔でぼくを見上げていた少女は、それからくすくすと笑いだした。

 その仕草はどこかのお嬢様みたいで、口元に手を当てて隠すような、おしとやかで控えめな笑い方だった。そんな少女を見て、ぼくも笑いかけようとして、あわてて顔を逸らした。


「?」

 彼女の不思議そうな声が聞こえた。こういう時、英語で何と言えばいいんだろう。頭に思い浮かんだ単語を、ぼくは急いで並べ立てた。


「ユアスカート、アップ、アップ!」

 溺れている人間のような馬鹿みたいな英語力が恥ずかしい。でも、なんとかして彼女のあられもない姿を指摘してあげない訳にはいかない。めくれ上がったスカートは防御力を失って、白昼堂々、二―ハイソックスからのぞく少女の白い足を白日の下に晒していた。その先のものについては、彼女の特級のプライバシーであって沽券に関わるものなので、何も言うまい。ぼくが見たのはそこまでだった、ということだ。


「~~‼」

 声にならない小さな悲鳴が聞こえた。拙いジャパニーズイングリッシュはどうやら伝わったようだった。誰かが言っていた。外国語の意思疎通で大切なのは、伝えようとする意志だって。

 ぼくはどぎまぎとして、おそるおそる少女の方を振り返った。

 顔を真っ赤にした少女は、スカートの裾を両手の指先で下に引っ張って押さえつけ、立ち上がっていた。ぼくは安堵して息を吐く。そうして少女を安心して見られるようになったので、その時にぼくはようやく気が付いた。


「あれ。それ、修道院学園高校の……」

 制服だった。それもリボンの色をみると、ぼくと同じ二年生。ぼくが言うと、少女もようやく気が付いたようだった。

「オー、同じスクール?偶然デスね!」

 とたんに少女は満面の笑みを浮かべて――

「ちょっ、ちょっと⁉」

 ぼくが止める間もなく、少女は欧米式の抱擁と挨拶代わりのキスを寄越した。ふんわりと、花のような、果実のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。でもそれは、ほんの一瞬の事だった。次の瞬間には、ぼくは右肩を脱臼するかと思うくらいに腕を引っ張られて、少女の抱擁から引きはがされたから。


「危ない、凛音。こんな所に肥溜めが」

 もの凄い力で腕を引っ張ったのは、南耶衣子――隣に住む女の子だった。前髪をぱつんと切りそろえたボブカット。目の前の少女が西洋人形なら、耶衣子ちゃんは日本人形みたいだ。


「や、耶衣子ちゃん、痛い……」

「ごめんなさい。あなたが汚らわしい汚物で汚染されてしまいそうだったから、か弱い私も少しばかり力を入れてしまった。あ、襟も乱れてる」


 耶衣子ちゃんはそう言って、ぼくの制服の襟をちょんちょんと触った。その冷たい指が首筋に触れて、ぼくは無性にくすぐったい。


「もういいよ!子供じゃないんだから」

「そう?私にとっては凛音は子供もみたいなもの。……よし」

 耶衣子ちゃんが襟から手を離したので、ぼくはようやく、耶衣子ちゃんの手から逃れることが出来た。


「いたた……まだ腕が痛いよ。あれ?」

 耶衣子ちゃんに気を取られている間に、西洋人形のような少女は目の前からすっかり居なくなっていた。倒れていた自転車も、そこにはない。


「どうした?」

 耶衣子ちゃんが、抑揚のない声で尋ねる。


「いや、さっきまでここに外国の女の子が」

 居たはずだ。でも、そんな痕跡はどこにもなくて、目の届くところにはそれっぽい人影も無くて。少女は煙のように消えてしまっていた。


「居ない」

「今はね。さっきまで居たじゃない?」

「私、そんなもの見てない。きっと朝から白昼夢を見たのね。私の事ばかり考えて、昨日はあまり寝られなかった様子。今晩は一緒に寝てあげる?」

「いらない‼ ……耶衣子ちゃん、そういう冗談、よしたほうがいいよ。真面目に捉える悪気のない悪い人だって居るんだから」


 ぼくにもそれくらいの分別はつくのだけど、うら若き少女が軽々しくもそんなことを口にするのはどうかと常々思っている。耶衣子ちゃんは、よくそういう冗談を言う。


「そう、残念。快眠をお約束するのに。満足頂けなければ、全額返金、返品送料当社負担の返品保証もついてる」

「良心的なテレビショッピングだね?」

「いいえ、慈善事業。販路限定のね」


 そう言って、耶衣子ちゃんは口元を僅かに歪めて、よく見ないとわからないくらいに小さく笑った。この子はこういうところがある。ぼくをからかって楽しむところ。

 それにしても、あの異国の少女はどこへ行ってしまったのだろう。

ぼくは改めて周りを見渡してみた。いつもの住宅街の風景だ。きっと彼女も学校に向かったのだろう。

結果としてハグを振り払うような形になってしまって、彼女にはなんだか、悪いことをしたように思う。友好を無下にしてしまった気がする。次に会ったら、謝りたい。


「行きましょ」

 あれこれ考えていたぼくをよそに、耶衣子ちゃんがぼくの腕を引っ張った。今度はさっきよりも優しい。ぼくの腕をひっぱりながら先を行く耶衣子ちゃんは時折、ちらちらとこちらを振り向く。彼女なりに心配してくれているのだろう。そんな彼女の様子はいつもと違っていて、それは他の皆みたいで、ぼくはこっそり居心地が悪くなった。

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