第38話 拒絶
「だ、大丈夫ですかっ」
目を疑いながら駆け寄ると、ヘレネーが力なく顔を上げる。
そしてその碧眼にハイドを捉えて困惑気味に呟いた。
「だ、れ……?」
「――ッ」
その言葉に我に返る。
今の自分は彼女のよく知る
事情を聞こうにも、聞き出せるわけがない。
(っ、どこかで【神界の泥人形】を使わないと)
そう思うハイドの後ろから、エンジュの不満げな声が飛んでくる。
「もー、兄さま、急に走り出してどうしたの~?」
「……っ」
ヘレネーの下へ踏み出そうとした足がピタリと止まる。
(そうだ、ここには護衛の騎士もいる。完全に撒こうと思ったらスキルを使うしかないけど、そんなことをしたら怪しまれる……)
これほどまでに板挟みを面倒に思った瞬間はなかった。
手を尽くせず、気の利いた言葉をかけることもできずにあたふたしているうちに、エンジュが追いつく。
エンジュは二人の顔を交互に見ると、クイッとハイドの服の袖を引っ張った。
「知ってる人……?」
「いいや……知らない人だよ」
苦虫を噛み潰したようにそう答えるうちに、ヘレネーは建物の壁に手をついて、よろりと立ち上がった。
そして、二人の子どもへ向けて冷たい表情で言い放つ。
「大丈夫、だから。……私にそれ以上近付かないで」
「……ぁ」
ハイドの伸ばした手は空を掴み、ヘレネーは路地の奥へと消えていく。
その姿を見届けて、ハイドがだらりと腕を下ろすと、さらに背後の気配が増えた。
護衛の騎士たちが路地裏で立ち止まっている二人を心配して近付いてきたのだろう。
何もできない
「兄さまは隠し事ばっかり、だねっ」
「え?」
「騎士の人たちは、わたしに任せて!」
そう言って、エンジュは得意げに胸を張った。
◆ ◆ ◆
「あ、エンジュ様!」
「どちらへ、ちょ、こら!」
ぴゅーっと走り出して雑踏の中に飛び込んだエンジュに、騎士たちが悲鳴のような声を上げる。
思いっきり名前に敬称をつけて呼んでしまっているので、耳聡い人はエンジュがそれなりの身分のものであると気付くだろう。
騎士たちはエンジュを追う直前、視線だけでハイドにその場に留まるよう伝えてきた。
騎士を誰も残さないのはどうなんだとは思ったが、これも日頃積み上げてきた信頼の証だろう。
そしてエンジュに対する信頼は、騎士たちの間ではまったくといっていいほどなかった。
(エンジュや彼らには悪いけど、利用させてもらおう)
心の中でエンジュへの感謝を念じつつ、路地の先へ進む。
そうしながら、【全知神の目】で誰にも見られていないことを確認し、ショウへと変化した。
「ヘレネーさん、大丈夫ですか?」
路地の先、別の通りへ面したその場所に、先程のようにヘレネーが蹲っている。
見たところ怪我はないようだが、疲労の色が濃い。
ハイドの声にヘレネーの顔が上がり、その表情に安堵の色が灯った。
「ショウ……っ」
僅かに上がりかけた口角は、しかしすぐに沈み、ハイドから逃げるように背を向けながら立ち上がった。
「どうしてよりにもよって、こんな時に……」
何かを呟くヘレネーの下へ歩み寄る。
「ヘレネーさん、こんなところで何をしているんですか? ここってヘレネーさんが泊まってる《白雪亭》の近くですよね?」
「それは……」
気まずげな声に違和感を覚え、彼女の顔を覗き込もうと前へ回り込んだ時だった。
「あんれぇ? あんた誰?」
嫌みったらしい声が飛んできた。
視界の先。路地を抜けた先の通りから三人組が現れる。
露出の多い衣装に身を包んだスレンダーな体躯の女性たちだ。
その声に、ヘレネーがびくりと肩を震わせた。
「あなたたちは……?」
言いしれぬ不快感が体の奥から湧き上がってくる。
ハイドが警戒を露わにすると、先頭に立っていた女性が苛立たしげに舌打ちをした。
「あたしたちが用があんのはそこの女だけで、あんたはお呼びじゃないんだけど?」
「俺は、この人のパーティメンバーです。仲間が危ない人に絡まれていたら見過ごすわけにいきません」
「あははっ、ねぇヘレネー、あたしたち危ない人だって、あははははっ」
「ア、アデラ……」
高笑いを始めた女性の名を、ヘレネーが怯えながら口にする。
知り合いなのか、と彼女たちの関係性を察したハイドへ向けて、アデラと呼ばれた女は耳元に垂れ下がった髪をかき上げた。
そして、エルフの象徴ともいえる
「あたしたち、その女と同郷なんだけど。で? パーティメンバーって旧友との仲を引き裂くほどすごいもんなわけ?」
「旧友? あなたたちとヘレネーさんが?」
「そう言ってんじゃん。ねぇ、ヘレネー」
魔女のような甘ったるい声でヘレネーへ囁きかける。
その態度はとても仲の良い友人同士のそれには見えない。
「お引き取りください」
「……は?」
「俺は今からヘレネーさんと買い物に行く約束があります」
「え、そんな約束」
「今しました」
後ろで驚きの声を上げるヘレネーを制しつつ、三人を牽制する。
するとアデラたちは苛立ちを隠せない様子で髪をかき上げた。
「あのさ、あんたあたしたちエルフを見くびってる? ああもしかして、そこにいる呪われ子と一緒にしちゃったり?」
「呪われ子……?」
明らかな蔑称に眉を寄せるハイドへ、三人は重心を低くしていく。
来る――と察した瞬間には、ハイドの胸元へ飛び込んできていた。
「はぁ……ッ!」
「「「――?!」」」
正面からアデラ、そして両サイドから二人が挟撃するように、三人の攻撃が繰り出される。
だが、【武神の導き】は抜け穴だらけの攻撃の隙を見抜き、そのすべてを捌ききる。
一瞬の攻防。六つの手刀を二本の手で防いだハイドは、ヘレネーの無事を確認しつつ、攻性に転ずるか悩む。
その間にアデラたちは驚愕の表情を浮かべて数歩分跳び退った。
「……へぇ、【精霊の導き】を持つあたしたちの攻撃を防ぎきるなんてね」
「ねえアデラ。こいつのマナ、なんか変じゃない?」
「……確かに、動きが読めないわね。いや、違う……底が知れない……?」
ぶつぶつと呟く三人は、やがて得心がいったように頷いた。
「なるほどねぇ、こいつがあんたの寄生先ってわけね」
「――ッ」
背中に怯える気配を感じて、ハイドは体の前で拳を構える。
そんなハイドに、三人組はわざとらしく両手を上げた。
「やめやめ。あんたみたいな面倒な奴と関わり合いになるのはごめんよ。あ~あ、旧交を温めようと思ってただけなのに、とんだ邪魔が入っちゃった。じゃーね、ヘレネー」
嫌みったらしく吐き捨てて、三人はこの場を去って行く。
その背中が見えなくなるまで睨み付けてから、ハイドは振り返った。
「ヘレネーさん、大丈夫ですか? 怪我とかは」
「……ううん、大丈夫」
「あの人たちは何だったんですか? ヘレネーさんがここにいたのと関係が?」
どうしても質問攻めになってしまう。
フードを深々と被り直したヘレネーは、俯いたまま口を開いた。
「……ごめんなさい、何も言えない。でも、ショウが気にするようなことはないから」
「そんなこと言ったって、どう考えてもおかしいですよ」
「っ、ショウ、もういいから」
「――ッ」
ヘレネーのしなやかな指がハイドの服の裾を抓む。
彼女は今日初めてハイドの顔を見上げていた。
フードの陰から覗いた彼女の表情に、ハイドは固まる。
もう忘れたい、だけど忘れることのできない記憶が蘇ってくる。
今世のものではない、遠い前世の記憶。
ヘレネーの今にも泣き出しそうな悲痛な表情が、前世の母の顔と重なった。
厄介ごとを持ち込んだ息子を疎み、『もうめちゃくちゃよ』と叫んでいた母の姿は、ちょうど今のヘレネーのようで。
(そうだ、あの時母さんは俺に)
「――もう、私には関わらないで」
「……ぇ?」
奇しくも、母と同じ言葉を口にしたヘレネーは、気まずげに顔を逸らしながら続けた。
「私たちのパーティ、《比翼の止まり木》は解散する」
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