14.クライマックス大会

「急ぐのじゃ湊人よ、慌てずに急ぐのじゃ」

 電車を降りると、玉津姫が早々はやばやと先に行き、かしてきた。最近工事が完成した会場の、総合水泳場は駅近で徒歩5分もかからない――とはいえ怪我人である僕にはその距離でも遠く感じる。

 駅のホームを出ると、見渡す限りの曇天どんてんが敷き詰めていた。電車に乗っている時にも車窓越しに眺めていたが、今にも雨が降りそうな様子で、帰りが心配になってくる。

 怪我をした足をかばいながら会場を目指していると、先に行っていたはずの玉津姫は立ち止まり空を見ていた――いやそれはなどの生易しいものではなく、と言った表現の方が的確だった。

「たまちゃん、どうしたの」

「おうすまんの、何でもないわ」

 呼びかけると、何も気にしてないかのように、また進みはじめる。僕たちは佐和田ら水泳部員が出場する会場へと入って行った。


 会場に入り、案内板を見ると、応援の観客席は2階だった。

 階段を上がり、ウチの高校の水泳部員が固まっているのを、観客席に見つけると、急いでそちらへ向かった。

「すみません、遅れました!」

 到着して開口一番に、全力で謝った。怪我のせいもあるが、見学にも行かなくなって、正直どう思われるか怖かったのだ。だが、みんなの反応は予想外に優しかった。

「おお、湊人よく来たな」「怪我大丈夫か」「間に合って良かったな」

 その中によく聞き慣れた声が混じっていた。

「よお湊人、来ると思っていたぜ」

「佐和田……!」

 声と共に佐和田が席を立ち、こちらへ来てくれた。

「間に合ったのか」

「ああ間に合ったよ――もうすぐ俺の出番なんだ、お前の分まで精一杯泳ぐから見てくれよな」

「うん、応援してるよ!」

 その言葉を聞いて、ずっと胸につかえていたものがとれ、心底ホッとした気持ちになった。

 来て良かった――と思えた。

「じゃあそろそろ準備があるから行くな」

「うん、頑張って!」

 佐和田は手を振り、観客席を後にした。


 佐和田の出場する競泳が始まろうとしていた。LEDの蛍光灯が会場全体を照らす中、外光を取り入れる窓の外は暗雲が立ち込め、激しい雨と共に雷が鳴っている。ゲリラ豪雨のようだった。

 選手たちがスタート台に立ち並び、審判のホイッスルと共に一斉に飛び込んだ。水中に飛び込んだ後、水面までが上がるのが佐和田だけ遅かった。そして、いつもの快調な泳ぎとはいえず辛そうに見えた――何かおかしい。部員の誰かが言った。

「おい、佐和田が飛び込んだ時、頭ぶつけてなかったか」

 確かに、飛び込みは佐和田が一番勢いがあったが、そのせいで頭を水中に打ちつけてしまったのかもしれない。いかように形を変える水であっても、瞬間的な物体の衝突には固体になる。

「棄権した方がいいんじゃないのか」「でも泳いでるから大丈夫なんじゃね」

 嫌な予感がした。そう思ったら――居ても立っても居られなくなり、気がつくと、観客席を立ち、2階の出入り口を出た。


「湊人よ」

 階段を降り1階のフロアに差し掛かった途中、階段の上から玉津姫が声をかけてきた。

「少しばかり、気掛かりがあっての。ここからは別行動じゃ」

「え……一緒に来てくれないの」

 思わぬ、言葉に胸中にさざ波が立つ。

「そう案ずるでない。離れていても心はピッタリじゃ。お主なら何があっても大丈夫じゃ。なんせわしの見込んだ男じゃからの」

 なんとも屈託のない笑顔で、玉津姫は笑った。それを見たら、不安のさざ波はじょじょにいでゆく。

「――わかった。行ってくるよ」

「うむ、しっかりとな」

 僕は玉津姫が背を向け、B1階の競技プールがあるエリアに降りていった。


 競技エリアに入ると、あまり目立たないように、プールで泳いでいるのが見える場所まで移動する。ちょうど佐和田はプールサイドにまで泳いだところだった。

 ――嫌な予感は当たった。

 折り返そうとプールサイドの壁を蹴った後に、佐和田は力が抜けたようにゆっくりとプールへと沈んだ。

「佐和田!」

 突然、暗雲ばかりの暗い窓一面に閃光が走り、耳をつんざく雷鼓らいこが会場に響き渡る。

 そして――会場は闇に包まれた。

 どうやら雷で停電をしたみたいだ。会場の屋根を叩く雨の音が聞こえ、時々光った雷が会場をストロボに照らす。

 会場内はザワザワと騒ぎになった。

 まずい、佐和田が溺れたままだ。停電がいつ回復するか分からないし、探すにしてもこの暗闇では時間が掛かり過ぎてしまう。

 ――水の声じゃ。

 玉津姫が僕の心に話しかけてきた。

 ――湊人、お主はわしより水の声にさとい。水の声を聞いて居所をつかむのじゃ、己の感覚を水に沈めい。

 玉津姫に言われ、あのいつもの水中にいる時のような、あの井戸に落ちた時のような、水に包まれた感覚をイメージする。すると、地上にも関わらず、水平線が見えないほどの海か湖ほどの水たまりに全身がどっぷり浸かる感覚に陥った。


 その中を泳いで進むと、ある方向から波紋のような水の振動を感じた。その方向に泳ぐと次第に水が熱を帯び、その熱源は人の体温だとはっきりとわかった。

 ――ここだ!ここに佐和田がいる!

 イメージとプールの水中の座標が、カチッと合わさった感覚がした。


 イメージの世界から意識が戻ると、僕は集中して、手をかざす。プールの水をピンポイントに巻き上げながら、水は形を変えていく。

 ――龍が現れた。雷光に照らされ、湊人が巻き上げた水は龍の形となった。そして、口に佐和田をくわえると、僕のところへ、ゆっくりと着地させた。龍が眼差しを僕に向けた。眼光が鋭いせいか、睨んでいるように見えるが、深い慈しみとも言うべき感情が、眼に映る。まるで――彼女のような。

 この龍は僕が造ったものなのだろうが、自分が動かしているのか、龍の意思なのかはもう分からなかった。龍は自分の役目は終わったとばかりに、天井のある空に向かって昇り、消えていった。


 すぐに佐和田の容態を確認する。

「おい、佐和田しっかりしろ」

 どうやら水を飲んでいるようだった。佐和田が胸に手をかざして、肺に入ってた水を排出すると、呼吸が戻ってしきりに咳をした。

「大丈夫か!佐和田」

 佐和田の頬をペチペチ叩いていると、ちょうど電気も復旧したらしく、会場に光が戻る。

「あ……湊人。俺は、なんでここに」

「溺れたんだ、もう大丈夫だからな」

「……そうか、……ありがとうな」

 すぐ近くにいる水泳場のスタッフに声をかけ、佐和田を医務室に手配してもらった。元気そうなのに担架で運ばれる佐和田を、駆けつけた顧問の先生が付き添い、医務室に運ばれた。僕は、ようやく胸を撫でおろして見送った。


 観客席に戻ると、水泳部のみんなが興奮気味に話しこんでいた。

「今さ、プールから龍が出てこなかった」「見た見た、あれはドラゴンだったよ」「いや、龍とドラゴンは違うだろ」

 僕が戻って来たのに気づき、声をかけて来た。

「佐和田のやつは無事だったか」

「うん、問題なかったよ」

「湊人もまだ怪我なのによくやる。大丈夫かよ」

 部員の一人が心配そうに言ってきた。

「もちろん」

 だって僕には――

「龍神様がついてるからね!」

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