「可愛いです、誠也さん」
莉乃さんが去ってから五分ぐらいして、駅の改札から待ち望んでいた吾妻さんが姿を現した。
弾む心で近づいてくる吾妻さんを眺めていると、吾妻さんは俺のもとへ来るなり申し訳なさそうに眉を下げた。
「遅れてしまってごめんなさい、誠也さん」
「いいよ。これぐらいは気にしてないから」
少し時間に間に合わなかったぐらいで怒りはしないさ。
水色のワンピースを着て清楚な雰囲気を纏う吾妻さんに見惚れながら、心広く遅刻を許した。
けれど俺とは違いしっかり者の吾妻さんが遅刻した理由は気になる。
「それにしても待ち合わせに遅れるなんて吾妻さんらしくないね。何かあったの?」
尋ねると、吾妻さんは残念そうに肩を落とす。
「ここまで来る途中に忘れ物に気がついたんです。それで取りに戻ってました」
「忘れ物すること自体、吾妻さんらしくないよ」
俺との比較で言うと、苦笑を返される。
「誠也さんが思っているほど、私はしっかりした人間じゃないです」
「俺よりかはよっぽどしっかりしてるよ。俺だったら必要なものじゃない限り、取りには戻らないだろうから」
「それで忘れたってふてぶてしく説明するんですか?」
「ふてぶてしく態度はしないよ。最低限、反省の色ぐらい見せるよ」
冗談交じりに言い返して吾妻さんとお互いに笑い合う。
思ったよりも自然に会話が出来ている。デートだからと気負わず普段通りにしていればいいかもしれない。
「ここで話してていも通行人の邪魔だから、そろそろ行こう吾妻さん」
気を良くして誘うと、はいと溌剌な返事をくれた。
そうしてしばらく歩き、駅からほど近いモール街に到着した。
休日とはいえ土曜日だからか人通りは想像よりも少なく、混雑しているのではないかと不安だった俺は安心した。
「この町に来たら、やっぱりここですよね」
勝手知ったる様子で吾妻さんが言う。
もしかして吾妻さん、ここに来るの初めてじゃない?
「吾妻さん、来たことあるの?」
まさかと思って聞くと、吾妻さんは驚いた顔で首を横に振った。
「いいえ。来たことはないですけど、モール街があるのは以前から知っていたので」
「よかった。吾妻さんが来たことないだろうと思ってデート場所に選んだから。来たことある場所だったら大恥だよ」
「大恥ってことはないですよ。それにモール街があるのは知ってましたけど、どんなお店があるのかは一切知らないんです。楽しみが無くなっちゃいますから」
俺を慰めながら吾妻さんは嬉々とした声音を出す。
喜んでる吾妻さん、少し子供っぽいな。だがそんな吾妻さんも可愛い。
「行きましょう誠也さん。様々なお店が私たちを待ってますよ」
吾妻さんがはしゃぎたい気持ちを頑張って抑えた口調で俺を促し、先導するようにモール街に入っていった。
微笑ましい気分で後をついていこうとしたが、吾妻さんはモール街の入り口付近に構えていた店舗の前で立ち止まる。
吾妻さんの目線の先を追うと、房状にラックへ掛けられた多種多様なカチューシャに興味を示していた。
数々の色やデザインのカチューシャの中から猫耳のついたものを手に取る。つぶさに猫耳のカチューシャを眺めて、ふいに俺の方へ振り向き笑顔を浮かべた。
猫耳カチューシャを付けた姿を見せてくれるのだろうか?
「誠也さん、付けてみてください」
俺の甘い想像は打ち壊された。反対に猫耳カチューシャを頭に乗せた恥晒しのような自分の醜態が脳裏に浮かんでしまう。
「吾妻さんが付けるんじゃないの?」
「誠也さんに似合うと思って。はい、どうぞ」
こちらの心中など察せず、吾妻さんは俺の頭にカチューシャを乗せた。猫耳カチューシャを取り付けた俺の姿を見て満足そうに頷く。
「似合ってますよ。可愛いです」
「吾妻さんが付けた方が似合うと思うけどなぁ」
「誠也さん、ニャーって鳴いてみてください」
「いくら吾妻さんの頼みでも鳴かないよ」
当然、拒否する。
毅然として吾妻さんと接していたいのに、猫耳のせいで威厳も何も無くなってしまった気分だ。
乗り気でない俺を見てか、吾妻さんは残念そうに肩を落とす。
「仕方ないですね。他のにします」
「他のとか、そういう問題じゃなく……」
遠回しにお断りを表明している間にも吾妻さんはウサギ耳のカチューシャを手に持っていた。
こちらの訴えなど気に留めず、俺の頭へカチューシャを乗せるために両腕ごと上げた。
どう抵抗しようか、と考え始めたその時、俺の思考は止まった。
吾妻さん本人は気にしていないのか、半袖の裾が垂れて細い二の腕越しに無防備な脇が覗いてしまっている。
普段は見えない部分が拝めると、何か目にしてはいけないものを見ている気分になるのはどうしてなのだろうか?
勝手にドギマギしている間にも俺の頭へカチューシャを乗せて吾妻さんは笑顔になる。
「可愛いです、誠也さん」
俺は無言でカチューシャを外した。
途端に吾妻さんは不満そうに眉を寄せる。
「せっかく似合ってるのに外しちゃうんですか」
「これだけで可愛くなるとは思えないんだが」
「可愛いですよ。鏡で見たらわかると思います」
そう主張して店前に立てかけられたスタンドミラーを指差した。
吾妻さんの言を信じてカチューシャを被り直してスタンドミラーに自分の姿を映す。
頭に不要物が乗っかっているようにしか思えない。どこが可愛いのか理解に困る。
「ごめん吾妻さん。わからない」
「そうですか。わからないですか」
正直に感想を言うと、吾妻さんは落ち込んだ声を漏らした。
「誠也さんからしたら毎日見てる顔ですもんね。カチューシャ一つで可愛くなったとは思えないのも無理はありませんね」
「ファンシーグッズの数は問題じゃないはずだけど」
「私からしたら可愛いんですけどね。カチューシャ付き誠也さん」
「逆に聞きたい。どうすれば自分自身で可愛いと思えるようになるかな?」
もしかしたら可愛さを自覚できるようになるのでは、と吾妻さんの意見を尊重したい気持ちで尋ねた。
吾妻さんは思案の顔つきになり、顎に手を当てて考え込む。
そんなに真剣に考えることでもないような気もするけど。
しばしの沈黙を経て吾妻さんが顎から手を離した。
「念じれば可愛いと思えるようになります」
「それは無理はあると思うよ」
結局は個人の感性なのだろう。
とはいえ吾妻さんはカチューシャを付けてる俺を見たいらしいから、強硬に反対するもの気が引ける。
「吾妻さんはこれを付けててほしいの?」
「時折見たくなります。あるじゃないですか、たくさん食べるとクドイけど時々だとすごく美味しい食材とか」
「なるほど。言いたいことは理解できるし、気持ちもわかる」
「わかるならどうか買わせてください。それで私が可愛い誠也さんを見たくなった時に付けてください」
上目遣いで俺を見ておねだりする。
うーむ。実用性のないものを買ってしまうのは何故か尻込みする……そもそもカップルが買うものに実用性を求めるべきではないのか?
「ほら、私も猫耳の方を付けますから」
吾妻さんは先ほどラックに戻した猫耳カチューシャを頭に乗せる。
猫耳の吾妻さん、グッド。
「吾妻さん似合ってるよ。すっごい可愛い」
俺が本音を呟くと、途端に熱を持ったように顔を赤くしてしまう。
悪気はない。猫耳の吾妻さんが可愛かったから可愛いと言ったに過ぎない。
「俺がウサミミ買ったら、吾妻さんもたまに猫耳姿を俺に見せてよ。それがカチューシャをつける条件」
「わかりました。それで手打ちにしましょう」
照れているのか顔を赤くしたまま吾妻さんは若干の躊躇を見せて承諾した。
お互いに装着してしまえば恥ずかしさは半減するだろう。何事も二人でやれば怖くないはずだ。
「店の中もちょっと見ていきましょう」
照れ隠しなのか吾妻さんは俺から視線を逸らすようにして店内へ入っていった。
羞恥を覗かせる吾妻さんに頬が緩むのを抑えられないまま、吾妻さんの後について店に歩み入った。
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