「誠也さん、失恋しちゃいましたね」

 放課後の帰り道、今日も吾妻さんに誘われて一緒に帰ることになった。

 しかし昼休みの不機嫌が直っていないのか、吾妻さんは俺の質問だけに答えて自分から話題を振ることはない。


「吾妻さん」


 不機嫌の理由を探るため俺は思い切って尋ねることにした。


「なんですか?」

「昼休みから機嫌損ねてない?」

「さすがの誠也さんも気付いてましたか」


 吾妻さんは苦笑いした。

 自分でも女子の気持ちなど察せられない方だと思っているが、吾妻さんのは見るからに腑に落ちてない顔つきだったからな。


「わかりやすかったよ。でもどうしたの急に、莉乃さんの発言が気に食わなかった?」

「ちょっと腹が立ってしまって。ご心配かけて申し訳ありません」

「謝ることじゃないけど、腹が立った理由を聞かせてよ」


 尋ねると辛そうに視線を降ろした。

 無理にとは言わない。俺に話せないならばそれは俺には介入してほくしないという意思表示だから。

 でも吾妻さんはおもむろに口を開いた。


「佐伯さんが私と誠也さんをくっ付けようとしてきました」

「うん」

「私はそのことにムカついたんです」

「莉乃さんに悪気はないと思うよ。俺もちょっとイラッと来たけど冗談だと受け流すしかないね」


 無意識に莉乃さんを庇った言い方をしてしまう。

 莉乃さんは人に気を遣える性格だ。ただちょっとばかり無神経なところがあるだけで。


「冗談めかしてますけど、本音が含まれていると思います」

「本音?」


 どういう本音なんだ?

 莉乃さんは俺と吾妻さんに恋人になって欲しい、ということか?


「もしも佐伯さんが誠也さんに気があれば、あんな無責任なことは言わないはずです」

「要するに莉乃さんは完全に俺に気がないってこと?」


 でも、どうして莉乃さんが俺に好意を持っていないことに告白を阻止した吾妻さんが怒っているのだろう。


「誠也さんは私が告白を阻止した理由が分かりますか?」

「唐突だね。確か俺が不幸になるからだよね?」

「そうです。けど誠也さんが莉乃さんと結ばれることを拒んでるわけではないんですよ」


 半分正解というニュアンスで吾妻さんは打ち明けた。

 告白を阻止するってことは恋人関係になることを忌避していたんじゃないのか?

 恋人関係になること自体は問題じゃない?


「私は莉乃さんの方が誠也さんを好きになって結ばれることを望んでいました。そのために誠也さんの彼女役をして男性としての魅力を磨こうと考えていたんです」

「そのためにわざわざ吾妻さんは俺と一緒に居てくれたんだ」

「だから莉乃さんの心が誠也さんから離れて、私は彼女役として悔しいんです」


 悔しがってくれるんだ。

 吾妻さんはやっぱり人に何かしてあげたい性格なんだね。


「吾妻さん。ありがとう俺のために」


 感謝を伝えると、吾妻さんは儚げに微笑んだ。


「礼を言われるようなことはしてないです。私は自分のために行動しただけですから」

「吾妻さんの行動に反して俺はもう莉乃さんの事は好きじゃないのかも。告白しようって気が起きないんだ、ごめん」

「莉乃さんにも誠也さんと恋人になる気はなさそうです。結局同じ事ですから誠也さんのせいじゃありません」


 好きじゃないと口に出すと白けた気分になる。


「少しも未練はありませんか?」

「ない。不思議なくらいに」

「わかりました」


 俺が答えると、吾妻さんは肩の荷が降りたように晴れやかな笑顔を浮かべた。


「誠也さん、失恋しちゃいましたね」

「失恋? ああ、そうか」


 笑いが込み上げてきた。

 俺が笑い声を漏らすと、吾妻さんまでつられたように笑いだした。


「はははっ」

「ふふっ」


 失恋したはずなのに清々しい気分だ。

 これなら落胆なく明日を迎えられる気がする。


「誠也さんは失恋したんですから、もっと悲しまないとダメですよ」


 笑い声交じりに吾妻さんが指摘する。

 そうはいってもなぁ。


「思ったよりも悲しくないんだ。諦めが付いたからかな」

「片思いってそんなものです。長くはもたないんです」

「そう言うってことは、吾妻さんにも片思いの経験があるの?」


 是非とも聞いてみたい。

 吾妻さんは当然と自慢するような笑みを顔に現した。


「私も片思いぐらいしたことありますよ」

「したことあるってことは、今は好きな人いないの?」


 口ぶりからして今はいないという感じだ。

 あわよくばどんな人が好きなのかを聞いてみたいと思っていたが、冗談らしく目を細めて見返してきた。


「それ以上の詮索はデリカシーに欠けますよ」

「うっ」

「誠也さんだって昔の失恋を掘り返されるのは嫌ですよね?」

「まあ、あんまり嬉しくないかな。もう終わったことだから」


 口にしてから莉乃さんへの恋が含まれていることに気が付く。

 あの溢れるようだった好意も終わったことになるのか。

 一つの恋愛が終わりを告げた実感が胸に押し寄せてくる。


「せっかくなら、もっと前向きな話をしましょう」


 吾妻さんが空気を塗り替えるような口調で提案した。


「前向きな話?」

「はい。建設的で、実益的で、楽観的な話です」

「何を話せばいいの?」


 訊くと、博識ぶるように人差し指を立てて答える。


「佐伯さん以上に良い人がいるか考えてみたら楽しいかもしれません」

「新しい恋愛を始めようってこと?」

「はい。もちろん無理にとは言いませんが」


 莉乃さん以上に良い人?

 俺の周りでそんな人がいるのだろうか?


「考えておくよ」


 とりあえず保留にしておく。

 意識的に好きになるなんてことあるんだろうか?


「誠也さんに好きになってもらえるなら、相手も嬉しいと思います」


 歯の浮くようなお世辞を言ってくれる。


「何を根拠に?」

「誠也さんの事を近くで見てきた私の主観ですが、誠也さんを好きになる人は少なくないと思います。それに私と恋人ごっこしたので女性慣れしたはずです」

「それでも莉乃さんは好きになってくれなかったけどね」

「佐伯さんとは相性が悪かっただけです」


 相性か。

 そういえば莉乃さんの言い分だと俺と吾妻さんは相性が良好らしいけど、恋人としてどうなのだろうか?


「相性と言えば莉乃さんが俺と吾妻さんは良いって言ってたよね」


 吾妻さんとほんとの恋人になった姿を想像してみる。

 ……楽しそうだな。


「もし仮に俺の好きな人が吾妻さんなら上手くいくのかな?」


 ずばり訊いてみた。

 真面目に答えてくれるかと思いきや、吾妻さんは意外にも頬を赤らめて顔を逸らした。


「……そういうことは考える物ではありませんし、本人に訊くものじゃありません」

「失礼だよね。ごめん」


 勝手に吾妻さんを恋人に仮定したのは軽率だろう。

 それこそ相性云々で交際しちゃいけない。結局は好きかどうかが大事だ。


「頑張って次の恋愛を探してみるよ」

「ほんとですか」

「相手が見つかればいいけどね」

「大丈夫です。きっと見つかります」


 何の根拠もないはずなのに吾妻さんは請け合うように頷いた。


「応援しますからね」

「ありがとう」

「さて、今日も終わりのようです」


 吾妻さんが呟く。

 話している間にいつの間にか分かれ道まで来ていた。


「それでは誠也さん。私はこっちなので」


 吾妻さんは方向転換し、住宅街側の道に立った。

 俺も反対の商店街側の道に歩み出す。


「じゃあね。吾妻さん」

「さようなら誠也さん」


 別れを告げると俺に背中を向けて住宅街の道を進み始めた。


 新しい恋愛か。


 莉乃さん以外の身近な女子を想像しながら自宅へ向かう。

 簡単に見つかるとも思えないし、努力してどうにかなるものでもないだろう。

 恋愛の事は一旦留保して、目前の夕食の事を考えながら帰路を進んだ。

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