「はい。お好きな物をどうぞ」

 昼休みになり吾妻さんの怪我が心配で気が気でなかった俺は、ぶつかってしまった責任感を持って見舞いのために吾妻さんの教室まで来た。

 教室のドアを開けると、丁度ドア付近に莉乃さんがいた。

 莉乃さんの方も俺に気が付いて陽気に手を挙げる。


「やあ新田君」

「や、やあ」


 体育の時に少し機嫌が悪くなっていたが、今は普段と変わらぬ様子だ。


「吾妻さんでしょ?」


 莉乃さんがニヤニヤとした笑みで俺の顔を見つめた。


「なんでわかったの?」

「新田君ってそういう人だったな、と思って」

「そういう人って、どういう?」

「吾妻さんならあそこ」


 俺の質問には答えずに莉乃さんは窓際の最前列の席を指差した。

 その席で吾妻さんがグラウンド側を向いて座っている。

 入り口付近での俺と莉乃さんの会話が聞こえたのだろう、吾妻さんがこちらへ振り向きにこりと微笑んだ。

 自分に用があるのだと察して席を立とうとする。

 俺は慌てて手を降ろす仕草をして席に座っているように促した。

 吾妻さんは照れ笑いしながら俺のジェスチャーに従って椅子に腰を落ち着ける。


「意思疎通しててちょっとムカつくんだけど」


 莉乃さんが眉を顰めたわざとらしい不愉快の顔で言った。

 ええっ。あれぐらいの手振りなら誰でも理解できると思うけどな。


「別に意思疎通してるわけじゃないよ」

「なんか最近、吾妻さんと仲が良いらしいね」


 どうなの、と問い詰める目になる。

 仲が良いというのは実際違うんだけど、本当の事は言えないしなぁ。


「仲が良いというか。ちょっと頼まれごとで協力してるだけだよ」

「彼氏役をしてるらしいね」

「なんでそれを?」


 飛び出た言葉に驚くと莉乃さんの目が怪しむように細くなった。


「知られちゃマズい事だった?」

「そんなことはないけど、でもなんで知ってるの?」

「保健室に連れて行く時に吾妻さんから聞かされた」


 なんだって?

 吾妻さんに追及の目を向ける。

 俺の視線に気が付くと吾妻さんは晴れやかな笑顔を返してきた。

 彼女の後ろから小悪魔の羽と尻尾が見えてもおかしくない。


「なんで言っちゃたんだよ」


 嘆きの声を出すと莉乃さんが面白そうに笑った。


「ほんとに人が良いね、新田君は」

「吾妻さんを信用して損したよ」


 よりによって莉乃さんにバラすなんて。


「いいんじゃない虚偽じゃないんだから」

「虚偽とかそういう問題じゃないんだよ」


 他人事のように好き放題言い放つ莉乃さんに窘めの視線を向ける。

 話に尾ひれがついて正式に付き合ってることにされたら、いよいよ莉乃さんへの告白は出来なくなる。

 吾妻さんにはもっと強めに釘を刺しておかないと。


「ちょっと教室入るね」


 何の権限もない莉乃さんに断ってから俺は教室に入った。

 吾妻さんに歩み寄って驚かせない言葉を選んで話を振る。


「吾妻さん。どうして莉乃さんに俺と吾妻さんのこと言っちゃったの?」


 こちらの問いかけを受け取った吾妻さんは、処理する間を置いてから微苦笑した。


「隠しきれませんよ。佐伯さんが私と誠也さんの事を疑わしそうにしてましたから」

「誤魔化す方法はあったはずだよ」

「嘘を塗り重ねるのはよくありません」


 そう返答をしてから俺を安心させるように真面目な顔つきになる。


「それに正直に話したとしても本当の彼氏彼女になるわけじゃありませんから」

「変に噂が広まって本当の恋人だと見做されたらどうするんだよ?」

「勘違いされるまえに関係は解消するつもりなので、あまり気になさらないでください」

「気になさらないで、と言われてもなぁ」


 思い込む人は思い込むのだ。

 一度思い込まれると誤解を解くのは難しいから、誤解を招くことそのものを避けたい。


「誠也さんは私と恋人だと思われるのが、そんなに嫌なんですか?」


 落ち込んだ声音で訊いてくる。

 誰もそんなこと言ってないよ。


「嫌って訳じゃないよ。でも誤解や勘違いはお互いに困るでしょ?」


 俺が問うと吾妻さんは照れたように笑った。


「私は困りませんよ。変な噂が流れても問題ないように彼氏役の相手として誠也さんを選んだんですから」

「それって……」


 俺と恋人になるのはアリ、だということか?


 ――都合よく考えすぎか。


「そんなことより誠也さん。昼休みですよ」


 俺を伺うように上目遣いになる。


「昼食にしませんか?」

「昼食なら五分もあれば十分だよ」

「私は食べるの早くないんです。そろそろ食べ始めないと授業の準備をする時間がなくなってしまいます」


 申し訳なさそうに言った。

 なら、邪魔しちゃ悪いかな。


「じゃあ俺は戻……」

「ここで食べていきませんか?」


 吾妻さんの席から離れようとしていた俺は、思わず動きを止めて振り返る。

 誘われてるの僕?


「佐伯さんも一緒にどうですか?」


 俺の当惑する様子を見ずに吾妻さんは莉乃さんの方を向いて誘っていた。

 ドア付近で俺と吾妻さんの会話を聞いていた莉乃さんが、あからさまに驚いた顔をしている。


「え、あたしも?」

「はい。佐伯さんも一緒にお昼にしませんか?」

「唐突過ぎない?」

「誠也さんはどう思います。佐伯さんもいた方が楽しそうですよね?」


 戸惑う俺に同意を求めてくる。


「まずは俺が一緒に食べることすら了承してないんだけど」

「そうですか。なら今ここであの秘密をバラしてもいいんですよ?」


 表面上は笑顔だが意地悪さを感じた。

 うわ、卑怯な脅迫だ。

 他の生徒もいる中で暴露されたら、俺の残りの学校生活は暗澹たるものになるだろう。


「いやー。吾妻さんとお昼を一緒にできるの楽しそうだなー」


 棒読みで心にもない賛成を示した。


「誠也さんは賛成みたいです。どうします佐伯さん?」


 自然な笑顔で吾妻さんは再び莉乃さんを誘う。

 莉乃さんは検討するように俺と吾妻さんを見つめてから表情を緩めた。


「そこまで誘うなら一緒に食べる」


 そう言うと弁当を取りに行くのか、自分の席へ向かっていった。

 吾妻さんに手綱を握られているような気がする。


「俺は食べる物用意してないんだよね」


 言い訳っぽく吾妻さんに告げる。

 吾妻さんは安心させる微笑を浮かべた。


「大丈夫ですよ。こんなこともあろうかと二人分作って来たので」


 スクールバッグに手を入れ、紺色と桃色それぞれの風呂敷に包まれた弁当箱を二つ出して机に置いた。


 ――用意周到が過ぎる。


 もし俺が弁当を持参していたら片方はどうしていたのだろう?

 ふとそんな疑問を感じた。


「いつも二人分持ってきてるの?」

「いえ。今日は誠也さんを誘うつもりだったので用意しただけです。さすがに毎日二人分は持ってきませんよ」


 答えるとちょっぴり嬉しそうに微苦笑した。


「俺は誘いに応じなかったら片方はどうするつもりだったの?」

「誠也さんは断りません」


 何故か確信ありげに言った。

 断らないと言うよりも、暴露を恐れて断れないだけなんだけど。


「うわ。二人分あるじゃん」


 自分の席から弁当箱を持って戻ってきた莉乃さんが、吾妻さんの机に置かれた二つの弁当箱を見るなり珍事でも目の当たりにしたような反応の声を漏らした。

 じっと二つの弁当箱を眺め、吾妻さんに振り向く。


「見た目に反して大食いだね」


 莉乃さんの発言に吾妻さんは顔を赤らめる。


「私一人でこんなに食べません。片方は誠也さんの分です」


 吾妻さんの説明を聞いた莉乃さんが、二つの弁当箱と俺の顔を比べるように交互に見る。


「どこから出したの、手品?」

「もしそうなら手品師で食っていけるね」

「手品じゃないの?」


 素で驚いている。


「違うよ。吾妻さんが用意しておいてくれたんだよ」

「へえ。それじゃまるで新田君と一緒に食べることを予想してたみたいな偶然だね」

「偶然なのかなぁ?」


 怪しむニュアンスで吾妻さんに視線を向けた。

 吾妻さんはにこりと微笑む。


「必然です」


 それはそれで恐いなぁ。


「偶然か必然かは置いて、そろそろ食べましょう」


 吾妻さんは促すと、桃色の風呂敷で包まれた弁当箱を開けた。

 自然な流れで音頭を取る吾妻さんにつられるように、俺と莉乃さんも弁当の包みを開く。


「ああ!」


 蓋を取りかけたタイミングで莉乃さんが叫んだ。

 手にした蓋を宙に浮かせたまま思わず振り返ると、莉乃さんの端正な顔が驚愕に引き攣っていた。


「莉乃さん。どうしたの?」

「上下、どっちもご飯」


 訳を答えると沈痛な面持ちになる。


「そういうこともあるよ」


 手品師でない俺には慰めるぐらいしかできない。


「実際に体験すると、けっこう悲しいね」


 べそでもかいたように莉乃さんは顔をしかめた。

 おかずがあるものと思って弁当の蓋を開けるから、なおさらショックは大きいだろうな。莉乃さんに同情の念を感じる。


「それはお気の毒ですね。佐伯さん」


 吾妻さんが上下の段両方白米で埋められた莉乃さんの弁当箱を眺めながら慰めるように言った。

 自身の弁当箱に視線を移すと、おかずの入った段を莉乃さんへ押し滑らせる。


「欲しいおかずありますか。全部はダメですけど、少しなら分けますよ」

「え。いいの?」


 吾妻さんの親切に、莉乃さんが信じられない様子で目をぱちくりさせた。


「はい。お好きな物をどうぞ」


 笑顔で吾妻さんが促した。

 莉乃さんは感動したように目を潤ませる。


「うう、吾妻さん優しいねー」


 そう言うと、吾妻さんの弁当箱から卵焼きを一つ箸で摘まみ取った。


「もっと取ってもいいですよ。卵焼き一つじゃ物足りないですよね?」

「いくらなんでも優しすぎるよ」


 口では遠慮しながらも吾妻さんの弁当箱からミニハンバーグを戴いている。


「もう一つ、どうぞ」

「じゃあグラタンもらっていい?」


 もはや遠慮の気配すらなく莉乃さんは吾妻さんからおかずを譲渡してもらっている。

 遠慮ぐらいしようよ、莉乃さん。


「さあおかずも揃ったことだし、食べよー」


 莉乃さんは上機嫌になって、吾妻さんから貰った卵焼きに箸で摘まみ口に運んだ。

 お味はどうですか、吾妻さんが伺っている。

 口の中の物を呑み込んでから莉乃さんは満面の笑みを返した。


「おいしい。吾妻さんは出汁派なんだねー」

「甘い方が好みですか?」

「そんなことはないよー。あたしはどっちでも美味しくいただく派」

「ふふっ、なんですかそれ」


 吾妻さんが楽しそうに笑った。

 莉乃さんもつられるように笑い返した。この二人、意外と気が合うのかもしれない。

 ひとしきり笑い合うと、吾妻さんが教室の時計を見る。


「そろそろ食べ始めないとほんとに授業に遅れてしまいます」


 おかずに目を移し、仕方なさそうに苦笑する。

 莉乃さんが遠慮しないから吾妻さんのおかずが半分ぐらいしか残っていない。さすがに今度は吾妻さんが気の毒に思えてきた。

 俺は自分の弁当箱から卵焼きを一つ箸で摘まみ、吾妻さんの弁当の空いてしまったスペースを埋めてあげた。

 案の定、吾妻さんが驚きの顔を僕に向ける。


「誠也さん。この卵焼きは?」

「もともと吾妻さんが作った物だから返すよ」

「でも、これは誠也さんのために用意したんです」

「弁当を貰えるだけでも贅沢だよ。だから莉乃さんにあげた分は俺が返す」


 遠慮する吾妻さんを無視して、吾妻さんの弁当をもとに近い状態まで埋めていく。

 俺は吾妻さんの弁当におかずを入れていく様子を、莉乃さんが呆れたような目で眺めている。


「そんなことするなら最初からあたしに分けてくれれば良かったのに」

「莉乃さんが吾妻さんから取り過ぎるからだよ」


 吾妻さんの親切に甘え過ぎだ。俺も弁当を貰ってる以上あんまり詰れないけど。

 俺の返答に莉乃さんが不貞腐れたように唇を突き出す。


「むー、あたしが悪いみたいじゃん」

「莉乃さんは悪くありませんよ」


 吾妻さんが微笑を浮かべて割って入る。


「佐伯さんも誠也さんにあげれば、貰った貰わないの問題が無くなると思います」

「あーなるほど。あたしも新田君に何かあげればいいのか」


 吾妻さんの提案に莉乃さんは納得し、二段もある白米だけの弁当箱の片方を俺の方へ移動させた。


「どうぞ新田君」


 貰ったというか押し付けられただけのような。


「新田君なら全部食べられるでしょ?」


 ご飯の割合が多いなぁ。九対一ぐらい。

 けど食べないと白米を持ってきた莉乃さんに悪いよなぁ。


「これぐらいなら食べられるよ」

「じゃあ、ご飯の処理お願い」


 ……やっぱり処理だったのか。

 米の色つやは悪くないから美味しいには美味しいんだろう。けど正直、もうちょっとおかず欲しいなぁ。


「吾妻さん。このハンバーグも美味しい」

「佐伯さんの舌に合うようで良かったです」

「どんな味付けしたの?」

「トマトソースと隠し味に……」


 吾妻さんと莉乃さんは楽しそうに味付けの話題で盛り上がっている。

 二人の会話を止めてまで不満を言えようか。

 そもそも弁当じたい貰い物だからなぁ。

 俺は割り切って白米ばかりの弁当を食すことにした。

 比べる気はなかったのだが、吾妻さんの弁当の方が白米が柔らかく炊かれていることに気が付いたのは面白い発見だった。

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