おまけの羽無《はなし》Ⅲ if~蒼天編~

俺は酷い過ちを犯した。

大事に想っていたはずだけれど、何一つ行動に移せないまま、言葉にさえしないまま、ただ傷つけた。

どれほど後悔しても過去は戻らない。過去に戻れたところで俺はどうせまた同じ過ちを犯すだろうけれど。

どれほど謝罪をしても二度と彼女には届かない。そもそも一度も届いたことなどないけれど。

何もかも遅すぎたんだと気付いたときには、とっくに手遅れで、それに気付くことすら遅すぎて、ただ俺と言う存在が最低で最悪なだけ。

「いい加減にしろ、いつまでもうじうじしやがって」

吐き捨てるように言われても、ぐうの音も出ない。

でも、どれほど後悔したっていつまでも立ち直れそうになくて。

「せめて蒼龍みたいに働け、愚図が」

同じ上級天使の炎天が冷たく見下ろす。

後継であり、その前段階として中級天使となり、そして“子”である蒼龍はあらゆる後悔を振り払うように、身を粉にして働いている。

中級天使としての仕事はもちろん、一般天使に任せればいいものから、俺の仕事まで、本当に何から何まで、だ。

まるで、忘れたい、というように。

(蒼龍は、忘れられるのかな)

無理だ、とすぐ答えが出る。

だから、ここ数十年働き詰めなのだ。

休め、と言っても聞きやしない。

いつか倒れるだろうが、それもまたさらに何十年も先で、倒れたところで休まないだろう。

その一方で、“親”である俺は、大して仕事もせず、だらだらと机に突っ伏する日々。

知らなかった、は言い訳になり得ない。

本当なら知っていてもおかしくなかったことを知らなかったのだから、責められても仕方がない。

彼女ももっと責めれば良かったのに、と思ったけれど、その機会すら潰していた自分がそう考えても滑稽なだけだ。

炎天がまたため息を吐く。

「よし、置物はいらねえから、捨ててくる」

そう他の上級天使たちに告げて、首根っこを掴まれた俺はされるがまま、引きずられる。

他の同僚たちからの視線さえ冷ややかで。

けれど、彼らがそう強く責め立ててくることはない。

結局、今代の上級天使全員が教育に失敗し、隠されていたとはいえ、”子”らが犯した罪を知らずにいたのだから。

“子”のしたことは当然“親”の責任だ。

その中で俺たち“親子”はとびきり愚かだった、というだけだ。

ふと、いつもは上級天使の仕事場からほど近い、仮眠室がある官舎ではないことに気付く。

「炎天?」

「“夢”でも見て、目を覚ましてこい」

思わず声をかけたが、すでに目的地に到着したらしく、俺はその部屋へ押し込まれる。

彼女が“夢”と言って、さらに慌てた。

「まって、俺は――――」

「黙れ」

鋭く睨みつけられ、思わず口を噤む。

思えば、学生時代から何かやらかした俺の尻ぬぐいはいつも炎天だった。

上級天使になって、そういう機会も減ったというのに、俺は相変わらず彼女に迷惑をかけ続けている。

「でも、“夢”は―――――」

俺たちにとって、“夢”とは緊急の際に使用する、貴重な道具だ。

あらゆる事態を想定し、仮定することで、有事に備えるというモノ。

それを俺たちは“夢”と呼ぶ。

天使は人間と違い、“夢”を見ないから。

だから、こんなことに―――――

「上級天使の一人が全く使い物にならない。後継だって、全部失敗で、すぐには育たないというのに、だ。十分緊急事態だろが」

そう告げて、炎天はどんどん設定を進めていく。

「現実は変えられない。けれど、どこかで踏ん切りをつける必要がある。お前のように立場がある者は特にだ。切り替えもできねえなら、強制的にさせるしかねえだろうが」

そう言われてしまうともう、何も言えない。

取り返しのつかない間違いを犯した俺は、いつか許される日が来るのだろうか。

これは、ただそんな後悔をした愚かな男が、もしもを“夢”見る話。


目を開ければ、俺の前にはかつての彼女がいた。

焼け跡の前の道端に小さく蹲って、ぼんやりと虚ろな目で空を見つめるだけ。

その姿に胸が痛んだから、俺は彼女を拾った。

“夢”だと分かっていても、やはり俺の胸は痛む。

もう戻れない、過去。

無意識に、容赦なく、彼女を傷つけた。

もうすでに、こんなにボロボロだったのに。

どれほどの時間、あそこにいたのだろう?

彼女は天使と人間の混血だから、食事の必要があって、でも彼女はそれをせずに、餓死という手段で、死を待っていた。

隔離された世界で、唯一彼女が選べた死に方だったのだろう。

きっと母親と同じ死に方はしたくなくて、自分を傷つける、と言う方法はとれなかったのだろう。

目の前で唯一の存在が死ぬということは、それほど彼女にとってトラウマで。

(ここまで、俺は分かっていた、はずなのに)

彼女を拾った際、何があったのかを調べた。

母親の自殺。父親は人間だから知らず、ただ混血と言うだけで、母親にも虐げられ、その親族からは存在ごと無視された。

そして、母親は何を思ったのか、娘の前で自殺をし、それを発見した親族が何故かその子供が殺したのだと判断した。何をもってそう思ったのか、俺にはよくわからない。

そうして、警察に連れて行かれたけれど、杜撰な捜査どころじゃない。彼女はただ放置され、結局穢れた家を燃やすから、と親族から申し出があり、やっと動いた。それさえも大して調べもせずに、証拠不十分のため無罪とし、さらには家さえない状態だというのに、子供を独り放り出したのだ。

他に帰る場所のない彼女が、その家さえなかったとき、どう思ったのだろう。

そんな子供が小さく蹲って、ただ死を待っている。

それが、このときの彼女にとって救いだった。

結局俺は、知識としては理解しても、彼女の心を理解はしていなかったのだろう。

いや、理解しようとすらしなかったのかもしれない。

だから、あの子は傷ついて、逃げ出して、俺たちを拒絶した。

口を開きかけて、思わず閉じる。

この動作を彼女は酷く嫌悪した。

傷つけるのでは、と言葉を飲み込んでしまう。

傷つける、なんてそんなこと今更過ぎて、そもそも彼女からしたら、もごもごと口籠るほうが苛立たしかったのだろう。

当時は、何も気にせず、俺は後先考えず、彼女に声を掛けた。

「大丈夫?」

何一つ、大丈夫なわけがないのに。

そんな陳腐な声の掛け方しかできず、そうして拾ったくせに放置した。

彼女にとって唯一の希望を、逃げ道を、救いを潰したのだ。

(それでも―――――)

あの虚ろな瞳に、ぎゅっと胸を締め付けられる。

だから俺は、今回も彼女に手を伸ばす。

「うちにおいでよ」

そう言って、彼女を抱きかかえ、一度蒼龍のいない方の家へ連れ帰る。

(俺の忙しさじゃあ、別々の家に居させるのはまた同じことの繰り返しだ)

上級天使たちはその忙しさや仕事の範囲の広さからいくつか家を保持している。

以前はその一つに彼女を置いたが、仕事の時くらいしか使わない家だったから、全くと言っていいほど行かなかった。言っていいほど、じゃないな。全く行かなかった。

はく、と彼女が何かを言っていたが、俺の耳には届かなかった。

俺は特に聞き返さなかった。

今はそれどころじゃないし、あとでゆっくり聞けばいい、と。

けれど、俺は聞き返すべきだった。

彼女が何を言いたかったのか。何を望んでいたのか。

いや、何を望んでいたか、なんて俺は知っていたはずなのに。

そう簡単には、変われない、ということだろう。

俺がそれに気付くのはもう少し後のことだった。


ひとまず家に連れ帰り、風呂や食事を用意する。

以前は四苦八苦したものの、さすがに2度目となればスムーズだ。

(そうか、俺はこれっきりだったのか………)

そう、2度目。

まだ、2度目なのだ。

もちろん、天使であればそこまで世話を焼く必要はないのだろう。

けれど、本来傷ついた子供をああまでして放置してはならないのだ。

今更ながら申し訳なく、けれどどうしようもなく。

そうして、綺麗になった彼女は戸惑っていて、おいで、と手招いても動こうとしない。

動けない、というのが正しいのだろうか。

「大丈夫だよ」

君を傷つけたりしないから、と心の中で思う。

今はどれほど言葉をかけたとして、信じられないだろう。

今の俺たちは赤の他人だから。

(ああでも、前も結局他人だったか)

独り放っておかれて、彼女が俺を“親”だと思うワケがない。

養子縁組だってしたけれど、俺がしてあげられたことなんてほとんどない。

“夢”の中でくらい、色々してやりたい。

もう、現実の俺は何かしてやることすら、彼女を傷つけるから。

「俺は蒼天。よろしくな」

「ツバサ、です………」

小さな声で彼女は言った。

それさえも愛おしいと思うのに、何故過去の俺は彼女を放置なんてできたのだろう。

「一旦ここに連れてきたんだけど、俺の“子”も住む家に移動していいかな。今すぐじゃなくてもいいんだけれど………」

「……………」

彼女は小さくこくりと頷く。

どうにも反応が鈍い気がするが、こんな感じだったろうか、と振り返る。

(そもそも、前は俺が勝手にあれこれやって、そのまま仕事に戻ったんだったな………)

それから数日は様子を見に来たが、彼女の「大丈夫」を聞いて、行かなくなった。

(ああ、それがダメなんだな)

きっとその「大丈夫」は、今は「大丈夫」なだけで、ずっと続くわけではないのだろう。

そんな簡単なことすら、俺はああならないと気付かなかった。

(もしかしたら、蒼龍も、そうだったのかな)

いいや、違う。とすぐ答えが出る。

後継たる蒼龍はそのために教育を受けている。

彼自身が忙しいことに加えて、そういうものだと生まれた瞬間から・・・・・・・・理解している。

それに対して、彼女にはその理解がない。当たり前だ。混血だからという理由だけで、隔離され、母親だけが世界の全てで、死を待つだけだった彼女に、俺の―――上級天使のことを理解しろと言われても不可能なのだ。

(まずは説明をして、そこからゆっくり理解を得ないといけない)

その手順すら前の自分はやっていなかったし、そもそも彼女が“知らない”ということすら、気付かなかった。

生まれたときから後継の蒼龍と違うのだということを、理解するべきだったのだ。彼女を、拾い育てるのなら。

俺はまだ、自分の過ちに気付かない。


「蒼龍、ただいま」

「おかえりなさい、蒼天様」

彼女を連れて家に帰ると、すぐに蒼龍が出迎えてくれる。

「………さま?」

蒼龍が俺につけた敬称が気になったらしい。

「………その子は?」

蒼龍もきょとんとした顔で彼女を見る。

「拾ったんだ。訳アリっぽいから、うちで預かるから、仲良くしてやって」

“夢”の中でくらい、二人が仲良しであればいい。

そういうある種下世話な考えもあったのだろう。

蒼龍はツバサに想いを寄せていた。

彼女のことを話す我が“子”は微笑ましく、彼のことだからきっと結ばれるだろうなんて暢気に考えていて、自分が拾った子と同一人物だと気付いたのはずっとずっと後だった。

多分蒼龍も、知ったのは俺と同じ時だろう。

「分かりました」

蒼龍は素直に頷き、彼女は戸惑ったまま頷く。

でも、俺は気にしなかった。

なんとかなるだろう、と思ったから。

前とは大きく違うのだから。

「とりあえず、俺は仕事に戻るね。遅くならないように帰るから」

「はい、行ってらっしゃい」

「……………」

いつも通りに蒼龍が見送りの言葉を言い、一方ではく、と彼女の口からは空気が溢れるだけ。

(寂しい、けれど、今は仕方ないのかな)

彼女は、彼女であって違う。

今は拒絶されているからではなく、どうしたらいいか分からないからそういう反応なだけで、慣れれば蒼龍と同じようになるはず。

そう自分に言い聞かせて、「行ってきます」と返した。


パチリ、と目が覚める。

「おはよう」

不機嫌そうな声がして、そちらに目を向ければ、炎天が俺を睨み下ろしていた。

「お前、しばらくここで寝ろ。それで、昼間はしっかり仕事をする。いいな?」

「………分かった」

素直に頷けば、次は「早く起きろ」と急かされる。

「今日も仕事が山盛りだからな」

そうだな、と頷いて、早く終わらせて彼らの元に帰らないと、と思った。

俺はもう―――――


「ただいま~」

「おかえりなさい」

「おか、えりなさい………」

蒼龍がすぐに出迎えて、彼女がおずおずと遠慮がちに出迎えてくれる。

それが嬉しくて、思わず頬が緩む。

「ご飯どうしようか?」

「それなら、ツバサと一緒に作りました」

「え………っ」

俺としては何か食べるか?という質問のつもりだったのだが、まさかの返答に目を丸くする。

天使は食事を必要としない。混血である彼女はある程度必要だが、人間のように1日3食摂らなければならないということはないらしい。

だから、娯楽としての要素が強く、凝る天使はとことん凝るが、興味がなければ生涯摂らない天使もいる。

俺たちはツバサがいるから、毎日1食は必ず摂るようにしている。

「二人で?怪我は?」

「ないです。ツバサは詳しくて、俺たちでもできるものを教えてくれました」

蒼龍がやや興奮したように、目をキラキラさせて早口にまくし立てる。

普段温厚で大人しい彼にしては珍しい。

「あの、」

「それはすごいな。じゃあ、それをもらってもいいかな」

「はい!」

「……………」

二人と一緒にリビングに入る。

「わあ、おいしそう!」

食卓の上には、暖かな料理が並んでいる。

どれも美味しそうで、食の必要としない天使でも、これは腹が鳴りそうだ。

「よし、すぐ着替えて来るから、待っていて」

「はい」

「………はい」

俺は自室に一度引っ込んで、仕事用の荷物を置き、部屋着に着替える。

「お待たせー」

そうして、俺たちは一つの食卓を囲んだ。

暖かくて、前じゃ考えられなかった。

(………前ってなんだっけ)

そんなことがふと頭を過った。

けれど、今はこの幸せを享受しないと罰が当たる。

そうして、俺は思考を放棄した。

2度目の罪は既に――――――――


朝起きて、仕事をして、眠って、彼らの元に帰って―――――

(あれっ?)

なんだか順番が変なところがあった気がした。

日々、同じことの繰り返しで、些細な違いくらいじゃ長寿の天使には同じに感じてしまう。

「なんだっけ、そう、彼女の……―――――」

「蒼天様!」

呼ばれてはっと我に返る。

中断された思考はすでに霧散していった。

「どうした?」

「あのですね」

穏やかに聞けば、蒼龍が楽しそうに話し出す。

学校であったこと、楽しかったこと、できるようになったこと―――――。

うんうんと聞いて、彼が順調に育っていることを知る。

「なので、蒼天様も次は一緒に行きましょう!」

「そうだな。次の休みにでも行こうか」

そんな風に“子”と約束する。

「蒼天様、あの私………」

そこへ、彼女の声がする。

「ああ、ごめんツバサ」

俺がそう言うと彼女はどこか期待したような色をその目に浮かべた。

「明日も早いから、そろそろ寝ないと。休みも確実に取りたいしね」

「…………そう、ですか」

期待の色が消えて、彼女は目を伏せる。

それ以上、何も言わないから、きっと大した用ではないのだろう。

そう判断して、二人におやすみと言う。

「おやすみなさい」

「………おやすみなさい」

このとき、俺は気付くべきだった。

俺が返した言葉は、俺の態度は、何もかも間違いで、二人の様子が真逆であることに気付くべきだったのだ。


「いい加減にしてよ!!!」

家の中から怒鳴り声がした。

帰宅前の扉の前。

驚いて、慌ててドアを開ける。

「なんでいつもいつもあなたが先に話すわけ!?いいえ、後継だもの、多少は仕方ないと思うわ。けれど、何故後継に関係のないことまでペラペラ喋り続けるの?少しは譲ろうとは思わないわけ?私が、私が日々どんな思いで―――――!!!」

そこまで聞こえて、俺はリビングにいる扉の前で固まってしまった。

(あれ、俺――――――)

違和感が形を成し始める。

「なんなの、なんなの?!私が邪魔ならそう、言えばいいのに!!関わらないようにしようとすれば、関わってきて、じゃあって応じようとすれば、すぐどこかへ行く!!!私の話は今まで一度も!!まともに聞かれたことはなかった!!拾われたときだって!!!」

ああ、俺は間違えていた。

連絡が来れば、それに返事を返した。

声を掛けられればちゃんと返事をした。

でも、それだけだ。

彼女をちゃんと見ただろうか?

彼女の表情を見て、声を聞いて、言葉を理解しただろうか。

彼女が、俺たちに嫌悪を見せた、口を開いては閉じる、という動作を、他ならない俺がさせた――――?

「私の言葉を、誰も聞いてくれないのに、私の存在を無視しているも同然なのに。何度お願いしたの?少しでいいから私にも話す時間をちょうだいって。数分でいいのに、1分に満たなくてもいいのに。なのに、どうして?そんなに難しいことなの?」

蒼龍を責め立てる声がただ響く。

“子”の声はない。

「何か言ったらどうなのよ!!!」

怒鳴りつける彼女。

「なんなの!?いつもいつも分かったって言いながら、何一つ、実行できていないじゃない!!」

気配がこちらに近付いてくる。

そして、俺が伸ばしたけれど触れただけでそれ以上動かさなかったリビングへの扉が勢いよく開く。

「あんなに音を立てて、気配も駄々洩れで気付かないとでも?」

涙に濡れて真っ赤になった目で鋭く睨みつけられる。

憎悪に満ちたそれは、見覚えがあった。

(ちがう、初めて―――――違う、また、また俺は―――――)

結局のところ、俺は彼女を蔑ろにしていた。

前よりはマシになったと言っても目の前の彼女には関係ない。

「ねえ、何故私を拾ったんです?聞こえなかったかもしれませんけれど、私は嫌だと言ったんですよ?」

思わず息を飲む。

彼女は、あのとき「嫌だ」と言ったのだ。

それをまあいいやと聞き流したのは自分だ。

仕方なく名乗り、仕方なくここにいて。

でも、もしかしたら、と期待して、ここにいて――――

(俺が、それを裏切った)

何度俺は彼女の期待を裏切れば気が済むのだろう。

「そんなに忙しいですか?私の話を聞く暇もないくらい?返事もときどきしか返さないけれど、蒼龍に返す暇はあるんですね?」

そう言って、彼女は蒼龍の端末と彼女が持つ端末の画面をこちらに見せる。

返事の量や質が違うのは一目瞭然だった。

「まあ、蒼龍は後継ですからね。私と違って。あなたが忙しいのも、大変なのも、それなりに理解はしていますよ。けれど、それでも、私の表情にも気付きませんでした?」

「……………っ」

「私が、何度も言葉を飲み込んだのを、どうせ気付かなかったんでしょう?気付く気もなかったんでしょう?」

ヒントはたくさんあった。

前よりたくさん、たくさんあったのだ。

「どうして拾ったんです?あのまま死ぬことが私の望みで、あなたに拾われた後も、私はあのとき死ねたらと考えない日はありません」

キッパリと言い切る彼女に胸が痛む。

そう言わせてしまったことが。

そう思わせてしまったことが。

「あなたもあなたよね。特にムカついたのは料理を作ったとき。何、一緒に作りましたって顔をしているワケ?ほとんど私がやって、あなたはほんのちょっと手伝っただけじゃない。皿を出して、箸を用意して、それから?たったそれだけのことを誇らしそうな顔して、気持ち悪い。私が必要だから、私のためにやったの。忙しいこの人の負担にならないように、私の話を少しでも聞いてもらえるように」

彼女のあの微妙な顔をした理由をようやく知る。

まるで自分の手柄のように話されて、でもわざわざ指摘するのも空気を悪くするからと飲み込ませた言葉だった。

そして、食事を必要とするのは自分だけだから、と気を遣わせておいて、俺たちは何一つ彼女に気を遣ってやれなかった。

「あなたたちといても、息が詰まる。暴力も、暴言もないけれど、私はここでも蔑ろにされる。ゆっくりと、真綿で首を絞められているみたい」

心臓当たりの服を彼女は握り締める。

「ねえ、知っていた?私が、暴言を吐かれて、暴力に遭っていたこと」

「!!!」

サア、と全身から血の気が引く。

そうだ。だって、彼女は混血だ。

ハッキリと示されてしまう、片翼しかないことから。

そして、現実でも彼女はそうして辛い目に遭いながら独りで戦っていて。

「まあ、知らないでしょうね。一度も相談できなかった。助けてほしいという言葉さえ、言わせてもらえなかった。聞く気もなかったんでしょう?私のことはどんなことでも、緊急性は低いんでしょう?」

ぎろりと睨まれて、思わず怯む。

たった独りで、戦わせてしまったんだ。

手が届く範囲に置きながら、手を伸ばさなかった。

彼女が救いを求めて伸ばす手に気付かなかった。気付こうともしなかった。

「どこかの誰かさんはどんなに言い聞かせても、自分のことばかりで私に少しも譲る気がなくて、別の誰かさんはその人ばかりが大事みたいで、私と同じ目に遭ったらそんなことしないくせに、私に興味さえないから、放置を決め込んで」

たくさんの皮肉と非難が込められた声と言葉。

「なんで拾ったの?私が苦しんでいる様を見て、愉しかった?」

そう吐き捨てて、彼女はまた、俺たちの前から姿を消した。

これでまた謝ろうと追いかけても、同じ結果になるだけだ。

二人揃って立ち尽くした。

(ああ、俺はどの道を選んでも、彼女を傷つけてしまうんだ)

今度は大丈夫、なんて何をもってそう判断したのだろう。

忙しさにかまけて結局放置した。

蒼龍を優先して、彼女は蔑ろにした。

ヒントはたくさんあった。

以前は見えてもいなかったから、彼女が去るまで気付かなかった。

けれど、結局余計に彼女を傷つけた。

目に見えるからこそ、彼女にとってはより深い絶望になったのだろう。

応えない端末を握り締めて眠るより、目の前にいて声が届かない今の状況の方が酷だったかもしれない。

ああ、本当に俺は、救いようのない大馬鹿野郎だ。


「少しは己の愚かさを、罪を理解したか?」

目を開けると、炎天が覗き込んできた。

「…………あぁ」

弱々しく頷くと、呆れたようにため息を吐く。

「見ていたが、本当に酷いものだったな。一目瞭然に、傷ついているのが分かるのに、何一つ気付かないお前の間抜けっぷりは」

反論する余地はない。

いや、反論なんぞ許されない。

「お前は根本的に向いていないんだろうな。大事なモノを2つ以上持つことに。平等に愛することに」

「……………」

「なあ、なんで拾おうと思うんだ?いや、わからなくはないが、何故一人で育てようと思うんだ?」

そう問われて、確かに、と納得する自分がいる。

逆に、見つけて拾った以上は自分で育てるべきだという自分も存在する。

「それから、何故彼女の意思を無視する?」

浮かんだのは差し伸べた手を取ろうとしない彼女。

無理矢理抱きかかえられて、唯一の抵抗を無視された彼女。

「その度に傷ついたんだろうな。善意の押し売りに、彼女は強く拒絶する術を持たない。善意だからと言い聞かせて、なんとか受け入れて、でも自分という存在を蔑ろにされる」

炎天の言葉が痛いくらい響く。

「結局、お前の独り善がりだったな」

それがトドメだった。

「泣いたところでお前のしたことはなくならない。独りぼっちだった彼女をさらに孤独に追い込んで、さらに苦しませたのはお前だろう?」

滲んだ視界でも、炎天が嫌そうな顔をしたのが分かった。

「…………ああ」

それでも涙が出る。

申し訳なくて、悲しくて、苦しくて、けれどどうしようもない。

俺はこれをずっと、抱えて生きていかなければならない。

彼女は放置されたことだけが悲しかったんじゃない。

蔑ろにしていい存在だと、どうでもいい存在だと、そう突きつけられたことが悲しかったのだ。

ここにいてもいいよ、とそう示してあげるだけで、彼女は笑えたのに。

どこにも居場所がないまま、彼女は俺たちに絶望して、諦めたから逃げたのだ。

そこに追い縋って何になる。

自分たちがおよそ200年もの月日のなかで、証明してしまったことだ。

その証明を消すのなら、同じだけ時間をかけるしかないのに。

(とっくに、手遅れなのに)

ようやく自覚して、けれどそれだけの時間は俺たちには永遠に与えられない。

「分かったら、とっとと仕事をしろ」

こんなときでも、炎天は容赦ない。

けれど、今はその厳しさが逆に有難かった。

「ごめんな、ツバサ――――――」

現実の彼女にはもちろん、“夢”の中の彼女にも申し訳ないことをした。

もう届くことはないけれど、言わずにはいれなかった。

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