断章4

 クロエははっきりと確認した。


 同年代の人間ヒューマンのメイドが、オーウェンの部屋に入っていくところを。

 これで目撃するのは何度目だろうか。

 もう5回は見たような光景に、焦り、ソワソワする。


 クロエ自身、この感情の正体が何なのかはわからない。

 ただ、それを見た後には強烈に落ち込み、安心して眠ることができないことだけは確実だ。


(今日こそ……ふたりで何してるのか確かめないと――)


 頬を膨らませ、音を立てないよう慎重に扉に近づく。


 あのメイドおんなは部屋の中に入る際、念入りに周囲の目を気にしていたようだが、人間ヒューマンの感覚には限界がある。その分、獣人であるクロエはバレずに接近できているというわけだ。

 自分のしていることに羞恥心を覚えながらも、これは大事なことなんだ、と自分を奮い立たせる。


『オーウェン様♡』


(えぇぇぇぇ!!!)


 なんだか愛らしくオーウェンの名を呼ぶ声を壁越しに聞き、内心で叫ぶ。


『最近は忙しそうで、私、ずぅっと我慢してたんです。オーウェン様が言うように、周囲にこの関係がバレると困りますから……でも、でもでも……夕食の席にも現れないオーウェン様を想うと、気持ちが抑えられなくなって……』


「こ、この関係……!」


 ということはもう付き合っている・・・・・・・ということなのか。

 

 クロエの頭の中で、そんな言葉が反芻する。

 時は既に遅かった。

 もうオーウェンには妻がいたのだ。愛し愛される関係で結ばれた、伴侶という存在が。


 つい大きめの声を出してしまったが、クロエを気にする様子もない。なんとかバレずに済んだのだろうか。


『少し考え事をしてただけだから、後で夕食はちゃんと食べるよ』


『そうだったんですね。でもよかったです。こうしてオーウェン様と同じ空気を共有できて』


『え……』


『なんでもありません♡ ところで、今夜はどうなさいますか?』


(こ、今夜……!?)


 気づけば走り出していた。

 廊下を逃げるように駆け、ひとつ階が上の自室へ向かう。途中でヴィーナスとすれ違い声を掛けられそうになったが、様子がおかしいことを悟ったのか絶世の美女ヴィーナスは開きかけていた口を閉じた。




 ***




 オーウェンの部屋ではまだ会話が続いている。


「もう行ったか」


 クロエの逃走を引き起こした原因である男、オーウェンが呟いた。

 淡々と、無表情のままルーナを見る。


「上出来だった」


 濃い紫の瞳には満足の色が浮かんでいる。


「オーウェン様、クロエあの子を嫉妬させて、何がしたいんですか?」


 少しむっとした顔で、腰に手を当てて聞くルーナ。

 あの発言も、全てはオーウェンの指示通りに曖昧に表現しただけだ。


 だが、彼女のオーウェンへの熱は本当だった。妹の命を救ってくれたあの日から――いや、もうその前から好きになっていたのかもしれない。必死な頼みを受け入れ、自分を助けると約束してくれたその瞬間から。


 オーウェンの近くにいることが、自分の幸せに直結する。

 ルーナはもうオーウェンのものだった。完全に心酔していた。頭の中はオーウェンへの愛、信頼、想い……全てはオーウェン様のために、その気持ちが彼女をどこまでも突き動かす。


「クロエはどうしても手に入れなければならない」


 オーウェンの声が胸に響く。

 

 並々ならぬ決意がそこにはあった。

 クロエに個人的に熱を上げているというわけではなく、あくまで自分の最大の目的のために必要な仲間こま。たとえ周囲を都合のいいように利用したとしても、目的は達成させる。瞳の奥でうごめく闇。


 ルーナはオーウェンの本当の目的こそ知らないが、遥か遠くの理想を追いかける彼の姿に心奪われた。


「私だけを見ていて欲しい気もしますけど……オーウェン様が望むことなら、もうそれは私の望みですから」


「ありがとう、ルーナ」


 オーウェンがルーナの頭に優しく手を置く。


(頭ポンポン――ッ!)


 熱が一気に上がり、蒸気が頭上から出ているような錯覚に陥る。

 ルーナの心臓は激しく鼓動していた。


「ルーナは確か俺がパーティーに入る前からメイドなんだっけ?」


 急にオーウェンが聞く。


「は、はい。アル様とハル様が加入されたあたりの頃かと」


「そうか。それじゃあ、メンバーみんなのことは信じてる?」


「はい勿論です。私聞きました、裏切り者がいると神託のお告げがあったこと。ですが、私には到底信じられません」


 その言葉を聞き、オーウェンが沈黙を作った。

 ルーナの発言は本心から出たものであると、彼は確信した。


「ルーナのことは信頼・・してる。今から俺が言うことはあくまでウィルの憶測になるけど、それでもいいか?」


「は……はい」


 真剣な眼差しにドキッとしながらも、ルーナはその可愛らしい前髪を上下に揺らした。


 オーウェンは信じている。

 完全に自分に心酔し切ってしまったルーナは、もう自分の支配下にある。命令は忠実に守り、どんな時でも味方でいてくれる、と。


 そして彼の口から、ついさっき知ったばかりの、裏切り者の正体・・・・・・・が明かされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る