発明館の恋
ほぼお湯の水
第1話 令嬢、孤軍奮闘ス!
「サァお立会い!!文明の風なびくはここ帝都、モダンにさとい紳士淑女の必携品。
どうか仔細にご覧遊ばせ!!」
私は大声を張り上げ、額の汗をぬぐいました。
私の名は、井形 玉雪(いがた たまゆき)。幼き頃より、心優しき両親に蝶よ花よと育てられてまいりましたが…今しがたは少し訳あって、路上で出店を広げております。
私は軽く咳払いすると、なお大きな声を上げました。
「どうですこちらが発明品。ほかでは決して手に入らぬ、まさに珍品まさにモダン。みすみす逃すはアァ勿体無い!帝都のモダンが泣いているッ!!売り切れ御免の早い者勝ちと相成りまして、サァサァどうぞもっと前へ。前へ、前へと願いますッ!」
道行く人の気を惹くため居もしない観客を『前へ』促してはみたものの、人々は一向に立ち止まる気配がありません。
やはり私は世間知らずゆえ、何をやってもうまくいかないのでしょうか…
しかし、うなだれた私のもとに、いつしか一人の紳士がいらっしゃいました。私ははじかれたように顔を上げます。
「い、いいいらっしゃいまし!」
「お嬢さん、これは一体何ですか。」
お髭の紳士はやや訝しげに、そっと店頭の品を手に取ります。
よくぞ聞いたとばかりに、私はお髭に身を乗り出しました。
「はい、こちら当方入魂の一品、『四ツ目眼鏡』と申しますッ!」
「ほう、四ツ目。」
「はい、四ツ目でございますッッ!」
紳士は私が身を乗り出した分と同じだけのけぞると、やや吊り上がった両の目を細めました。
「で、これは一体どういう様に、役立つのかね。」
嗚呼、有り難いことにこの御仁、まだ興味を失ってはいない。私は静かに武者震いしました。
井形玉雪・齢十六、今の今まさにこの瞬間まで待っておりました……そう、発明家のお父様が私に託した最大の発明品かつ私の人生における最後の切り札『四ツ目眼鏡』の素晴らしさを世間様へとお伝えできる、まさに今この瞬間をばッッ!
私は紳士のお髭…ではなく、その目をしっかりと見据えました。
「こちらの四ツ目眼鏡、ご覧のとおりただの眼鏡ではございません。」
私は自信満々に、紳士から眼鏡を取り上げます。
「もちろんこちら、天然水晶をふんだんに使用しておりただの眼鏡としても第一級品ですが…。」
紳士はここで『ホホウ』と声をあげました。どうやら、お父様のこだわりの天然水晶がお気に召したようです。
掴みは上々!!私は心の中で快哉をあげました。
しかし玉雪、ここからこそが、真剣勝負というものよ。この素晴らしい四ツ目眼鏡がただの贅沢眼鏡ではないという事をしっかりと世間にお示しできなくては、天国のお父様に顔向けはできません。
しゃんと背筋を伸ばした私は、眼鏡を高く持ち上げます。
気づくと周囲にはすでに、紳士以外に数人が集まってきておりました…
齢十六・女玉雪。この機こそをば必ずや、ものにして見せましょう!!
「こちらの眼鏡、このように、ここを押し込むと。」
私は勝ち誇った顔で、眼鏡の淵に仕込まれたボタンを押しました。
即座に薄い箱のようなものが眼鏡の両脇から飛び出てまいり、シャカリとレンズを覆います。
周囲の人々はその素早さにおお、と声をあげました。私の頬はゆるみます。
「して、その箱のような物は、何なんだ??」
お髭の紳士はもはや待ちきれないといった様子で、今度は私に身を乗り出しています。私は十分に勿体をつけてから、彼に眼鏡を差し出しました。
「おかけになれば、判りますこと。」
紳士はいつしか出来上がった大きな人の輪の中で、ゆっくり眼鏡をかけられました。
ごくり、と人々が息をのみます。
「…」
「どうですか?」
「何も見えない。」
予想外の紳士の反応に、周囲の人々がざわめきます。
エ、何も見えない。そんなはずは…あッいけないいけない。何よりも大切な手順を忘れていた。
私は即座に紳士に近づいて、レンズを覆う箱の横に付いた小さな歯車を回しました。「失礼いたします。」
歯車の回るキリキリという音も響き渡るような静寂が、辺りを包みます。
「いかがでござんしょう。」
「あ…ああ、見える、見えるが…何だこれは…。」
『何が見えるんだ!』という野次馬の声に反応し、お髭の紳士は頓狂な声を上げました。
「これは…ただの万華鏡じゃないか!」
「エエ、そうですとも。」
自信満々に微笑む私の横で、人々は万華鏡?万華鏡だって?と不穏につぶやき始めます。中にはハッ!とあざ笑う声までも。
思わぬ反応に慌てながらも、私は必死になりました。
「そ。そのとおり、こちらの四ツ目眼鏡は単なる眼鏡としてでなく、なんと万華鏡としてもお使い頂ける画期的発明品なのです!
眼鏡をかけながらにして、いつでも万華鏡の幻想を味わえるまさに至高の芸術品…としての価値がある…」
どうしてでしょう、声を上げれば上げるほど、人が消えてゆく。
眼鏡に万華鏡だって?あんなもの作るなんて、とんだ馬鹿者だな。
ばかばかしい、誰が買うんだあんなもの。
「一品です…。」
私の声はいつしか小さく、小さくなっていきました。
最後の言葉を言い終えたとたん、目からは涙が落ちていました。
そこへ、誰かの影がそっと近づいてまいります。
「お嬢さん。」
かけられた声に顔を上げると、先程眼鏡をお試しになった紳士が一人ぼっちで、ぽつねんとたたずんでおりました。
「はい、なんでしょう。」
私ははしたなく鼻をすすりながらもどうにか笑みを繕います。
しかして紳士は、至極真面目に言い放つのです。
「水晶の部分だけ、安く売ってはくれんかね。」
「水晶の、部分だけ……?」
私はカアッと頭に血が上るのを感じました。
あんまり、あんまりじゃないか。
水晶の部分だけも何もそもそも四ツ目眼鏡から万華鏡を取り去ったら、ただの眼鏡じゃないか。
お父様の最大の発明品をただの眼鏡に変えてしまうだなんてあんまり、あんまりにも…お父様に、失礼じゃないかッ!!!!
怒りに任せてむしゃぶりつきたいのをブルブルこらえた私は、出来得るかぎりの冷たい声を出しました。
「申し訳ありません。私は『四ツ目眼鏡しか』お売りしませんの…それでは。」
何か言いたそうな紳士に背を向けて『ヨッコラショ』と眼鏡を抱え上げると、私は脱兎のごとく立ち去りました。
偉大な発明の恩恵を無下にする群衆にほとほと幻滅したこともありますが、何よりそろそろ、警官などに見つかる気配がいたします。
雪でも降り出しそうな寒空のもと、眼鏡の山を抱えた手は氷のように冷えてゆきました。
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