私の道、私の道
道を歩いていたら、前方に男子中学生の群れが現れた。
サッと頭数を数えるに七人。自転車に乗っているのと、歩いているのが、混ざり合い、集まっていた。
邪魔である。
自転車組は二列、三列に広がりながら、こちらに向かってくる。歩行者組に速度を合わせるために、ゆらゆらと蛇行している。
前方、つまりこちらを見ている者はひとりもいない。お喋りに夢中で一生懸命な様子だった。きっと、正面を向かって歩いてくるこの私の存在に、衝突直前になってはじめて気づくのだろう。あるいは、気付いていても、「誰かが避けてくれるだろう」「相手が避ければ済むことだ」とこんな私なんかのことはその小さな頭から追い出し、クラスメイトの悪口とか、女性教諭の物真似とか、そんな聖なる大仕事に戻っていくのだろう。
野生動物は「本能」という強力なルールに従って極めて合理的な行動をとるという。人間も同じだ。人間も、自分の「快適」という目的のために、極めて合理的な行動を選択する経済的な動物だ。
道ゆく知らない通行人がスムーズに歩けることと、明日からも顔を合わせる友人たちの笑いと尊敬を集めることと、二つの価値を天秤にかけて、「快適」のためにより価値の重い行動を選択する。メリットとデメリット。リスクとコストとリターン。それだけだ。本能的、経済的な行動だ。
それを私は責められない。私のことなんか考えずに、楽しく日々をすごすべきだ。
しかし、私にとって彼らは邪魔で不快な存在だ。これは私の「快適」に関わる問題だ。大問題だ。それを、彼らは勘定に入れていない。
私のことを気にかけないという行動。その選択に潜むリスクの大きさを、彼らは見誤ったのだ。
私は彼らのひとりをできうる限り打ちのめすことに決めた。これは、決定したことだ。
一か月後、私がゆく道に、学生たちは現れなくなった。私の「快適」は私が作る。肩で風を切って真っ直ぐ歩くことの気持ちは、かけがえのない価値である。
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